第32話 1人は2人に

 その日、陽菜は心配だから泊っていくと言ってくれた。

俺は嬉しいかったけど、陽菜が家に何の連絡も入れないのをみて不安にもなった。これ以上、家での陽菜の扱いが酷くなるのが嫌だったから。


「大丈夫。何にも言われないよ」

「……本当に?」

「うん。2人とも私に興味ないから」

「……そっか」


 それ以上は触れてはいけないような気がして、俺は何も言わなかった。

ただ、陽菜の手を握った。


「大丈夫だよ、蓮君。今日は一緒に寝てあげるから」

「風邪、移るよ」

「誰かに移した方が早く治るって言わない?」

「……初めて聞いた」

「言うの」


 こういう時はもう俺の話を聞く状態ではないので、俺は陽菜に任せることにした。陽菜は俺の身体を軽く濡れたタオルで拭いてくれて……そして、一緒に寝ることになった。とは言っても、俺は頭が痛いので前ほど純粋に楽しめない。


 ただ、陽菜の体温に縋るように俺は陽菜の手を握った。


「……ごめん、陽菜。こんなこと頼んで」

「なんで? 私は嬉しいよ。蓮君に頼られて」

「…………ごめん」

「もう。謝るの禁止」


 そう言って陽菜は俺の頭を残った片手で引き寄せると、胸で抱いた。

俺は陽菜の胸を顔に押し付けられて焦る。


「ちょ、ちょっと! 陽菜」

「人の心臓の音って安心するんだって」

「…………」


 そういう陽菜の言葉を信じる様に俺は陽菜の心臓の音に耳を澄ました。


 とくん、とくん、と陽菜の心臓の音が聞こえてくる。

 その間隔はひどく短い。きっと陽菜も緊張しているんだろうと思うと、なんだか気持ちも落ち着いてきた。


「眠って良いよ」

「……うん」


 陽菜が俺の全てを包んでいた。

 だから俺は安心して意識を手放した。



 夢は見なかった。


□□□□□□□□□□□□□□□□


 家で宿題をしていると、急にインターフォンが鳴らされた。父か母に用事でもあるのだろうと思って放っていると、お手伝いさんが私を呼びにきた。どうにも私の友(・)達(・)が来たのだと。


 家に尋ねてくる友達なんて蓮君以外に居ないと思って外に出ると、葵さんがいた。葵さんは蓮君の友達の彼女で、私も何度か喋ったことがある。帰る方向が一緒だからというのもあった。


「あ、七城さーん!」


 その子は明るい子だ。私とは違う。

 だから、そんな子が私の家に来たときにいったい何の用かと疑ってしまったのも仕方ないことだと思う。


「秋月君が風邪ひいたんだって!」

「風邪……。蓮君が?」

「うん。岳君がお見舞い行くって。あと七城さんにも教えた方が良いんじゃないかって。それだけ、じゃあね!」


 そう言って葵さんは返っていった。

 私は居ても立っても居られなくなって、慌てて家を飛び出した。


 帰っているときから様子がおかしかった。

 明らかに体調が悪そうだった。


「……体調悪いなら、そう言えばいいのに!」


 蓮君のばか! 

 そう思いながら慌てて蓮君の家に向かった。


 向かうとちょうど暁君と葵さんが蓮君の扉のところにコンビニ袋をかけていた。


「おー。七城さん」

「……初めまして」


後ろ姿は何度か見たことあるし、学校でいつも蓮君と一緒にいるので顔を覚えてしまった暁君にそう挨拶をする。


「ども。蓮をよろしくな」

「……はい」


 それだけ言葉を交わすと、暁君と葵さんの2人は蓮君の家を後にする。


「なんだか岳君、お父さんみたい」

「そうか? 言うほどだろ」

「娘さんをどうのこうのとかいうタイプだったよ」


 たったそれだけ。

 けれど、暁君の蓮君に対する信頼感というのは顔を見ただけで伝わってきた。


「……良いなぁ」


 合鍵で扉を開けながら、私は一人でそう呟いた。

 羨ましいなぁと思った。


 あのお互いに何も言わなくても繋がっている信頼感は、私と蓮君の間にはまだ無い。だから、少しだけ。


 鍵を開けると、2階に上がった。

 蓮君の部屋に入ると、案の定そこで眠っていた。


 ひどく辛そうな顔をしていて、気分が悪いのかと思った。

なのでそう聞こうとした瞬間、が全て頭の中に入ってきた。



 僕を見捨てないで。僕を放っておかないで。僕を可哀想と言わないで。僕を見て。父さんはどこに行った。戻ってくるって言ってたじゃないか。母さんはなんで死んだんだ。誰が悪いんだ。誰も悪くないのか。僕はどうしたら良いんだ。嫌だ。忘れさせてくれ。夢を見させてくれ。このまま放っておいてくれ。思い出させないでくれ。僕を見てくれ。僕を忘れないでくれ。僕を捨てないでくれ。僕と一緒にいてくれ。約束したじゃないか。僕はどうしたら良いんだ。誰か僕を助けてくれ。違う。あなたたちの助けは要らないんだ。誰でも良くないんだ。父さんが良いんだ。母さんが良いんだ。僕を見てくれ。


「……蓮、君」


 頭の中がぐちゃぐちゃになる。

こんなに濃い感情が流れ込んできたのは初めてだった。


「大丈夫だよ。蓮君。一緒にいるよ」


 思わず彼の手を取ってそう声をかける。

 眠っている彼に声をかけても届かない。


 私はしばらく蓮君の手を握っていたが、ふと額に手を当ててみると凄い熱があったので慌てて冷却シートを買ってきて蓮君の額に乗せた。それから汗が凄かったので、出来る限りはタオルでふき取った。


 そうして、それからずっと手を握っていた。


 蓮君の顔を見ると、またあの悲しみが全て流れ込んでくるから見れなかった。その苦しみを一緒に背負ってあげたいと思ったのに少しでも見てしまうと、それらすべてが流れ込んでくる。


 私はそれでも何度か蓮君の顔を見たけれど、そこに私がいないのを知って少しだけ悲しくなった。


「……蓮君。私がいるよ」


 声をかける。届いて欲しいと思った。

今の蓮君には何よりも届いて欲しいと思った。


 ふと、蓮君の手がぴくりと動いたので顔をみると、ぼんやりと薄目を開けたまま天井を見る蓮君がいた。


「おはよう、蓮君。大丈夫?」

「……あれ、陽菜?」


 蓮君は驚いた様子で私を見る。その瞬間、蓮君の心に居座っていた悲しみが消えて行くのが分かった。蓮君の中に私がいたのが分かって、たまらなく嬉しくなる。その後、蓮君にいくつか提案してお粥を作ろうとした瞬間に、再び蓮君の中に寂しさが生まれたのでそっと手を握った。


 そうすると、蓮君の寂しさがふっと息を吹きかけた蠟燭ろうそくの火のように消えて行くので、私はぎゅっと手を握る。


 この手を離してはいけないと思った。

 蓮君は、笑ってくれた。

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