第33話 正直で、素直な……。

「待って、悠斗くん!」


 日菜の大きな声に振り返った悠斗は、目を丸くしていた。まん丸の目が驚いたときのかぎしっぽそっくりで、日菜はくすりと微笑んだ。

 微笑んで、


「どうして、初詣の日。言っちゃだめだったのか、教えてくれる?」


 尋ねた。


 正直で、素直な気持ちを飲み込むことなんてできない。

 やっぱり悠斗と離れたくないという気持ちを認めて、言葉にしてしまった以上。どうして、初詣の日、日菜の言葉を止めたのか。告白させてくれなかったのか。

 今すぐにでも理由を知りたいと、そう思ったのだ。


 日菜に間近で目をのぞきこまれて、悠斗は微かに目元を赤らめた。でもすぐに真剣な表情になると、


「日菜の誕生日って三月七日だろ?」


 そう尋ねた。疑問系だけど、確信を持って言っているようで。日菜は首をかしげた。


「……言ったこと、あったっけ?」


「ううん、日菜からは聞いてない。でも、ばあちゃんから聞いた。ばあちゃんも誕生日、同じ日だろ。……知らなかったの?」


 日菜はきょとんとしたまま、うなずいた。知らなかった。

 悠斗は驚いたようにじっと日菜を見つめたあと、にんまりと笑った。優越感を隠そうとしない悠斗に、日菜は唇をとがらせた。

 すねる日菜を見て、ケラケラと笑ったあと。


「ばあちゃんが言ってたんだ。じいちゃんがばあちゃんに告白したのは、ばあちゃんの誕生日だったんだって。中学二年のときの。だから、俺も日菜の誕生日にって。それに、ほら。やっぱり俺から言いたいし……」


 悠斗はそう言って、ぽりぽりとほほを掻いた。照れくさそうに目を伏せる悠斗を見つめて、


「もしかして、おじいちゃんの真似をしようとしたの?」


 日菜は元も子もないことを言った。とたんに悠斗の目がつりあがった。


「真似って言うなよ! ゲン担ぎだよ! じいちゃんとばあちゃんにあやかろうとしたんだよ! あ、また、そういう顔して! 大事なことなんだからな!」


 納得したような、呆れたような顔をする日菜を見て、悠斗はますます目をつりあげた。


「俺は日菜とこの先もずっといっしょにいたいんだよ。じいちゃんとばあちゃんみたいに、ずっと。でも、それってすごいことなんだ。簡単じゃないんだよ。だから、あやかるし、ゲン担ぎだってするんだよ。いくらでも!」


 あまりにもきっぱりと、でもびっくりするくらい真剣な表情で言われて。日菜はパチパチとまばたきした。


 おじいちゃんとおばあちゃんは中学二年のときに話すようになって。それから、おばあちゃんが死ぬまで、ずっといっしょにいた。それは確かに素敵なことだ。

 でも、悠斗にとっては特別に素敵なことで、憧れの関係だったのかもしれない。

 悠斗のお父さんとお母さんのことがあるから。だから、こんなに真剣に、必死になるのかもしれない。


 ロマンティストなようでいて、とても現実的で。でも、悠斗らしい。

 それに、そんなに真剣に、必死に。この先ずっと、なんて言われたら――。


 ――うれしくないわけ、ないじゃない。


 唇を噛んで、にやつきそうになるのをどうにか堪えて。日菜はすました顔でうなずいた。


「仕方ないな、そのゲン担ぎに付き合ってあげるよ」


 悠斗はパッと笑顔になると、


「うん、ありがと!」


 元気いっぱいにうなずいた。

 あまりにも晴れやかな悠斗の笑みに、日菜はまた、きゅっと唇を噛み締めた。

 今度はにやつきそうになったからじゃない。言葉を飲み込むためだ。


 日菜の気持ちも、悠斗の気持ちも。こんなにもはっきりとわかってるのに。それなのに、言葉にして伝えちゃいけないのだ。

 日菜の誕生日まで、大好きだと言葉にできないのだ。


 ――正直で、素直な気持ちを言葉にできないのって、こんなに苦しいんだ。


 悠斗に出会うまでは当たり前のように、その苦しさを飲み込んできたのに。今は我慢するのがとてもつらい。

 悠斗とつないでいない方の手を、日菜はぎゅっと胸の前でにぎりしめた。

 

 きつく目を閉じて、気持ちが口からこぼれ出ないように飲み込もうとして――。

 日菜は、ハッと顔をあげた。


「ねえ、悠斗くん。もしかして、他にもいろいろと聞いてる? おじいちゃんとおばあちゃんが付き合ったあとのこととか……」


「うん、初デートの場所とか、プロポーズした日とか……あ、でも聞くなよ! ゲンは担ぐけど……そういうのはないしょの方がいいだろ!?」


 悠斗がわたわたと手を振った。確かに、先のことがわかってしまうのは困る。恥ずかしいし、緊張する。

 でも、日菜が今、気にしているのはそこじゃない。そうじゃなくて――。


「じゃあ、最初のキスは?」


 日菜に聞かれて、悠斗は不思議そうに首をかしげた。


「そういえば聞いてないかな。ばあちゃん、そういう話になると照れて教えてくれなくなっちゃうから」


 けらけらと楽しげに笑っていた悠斗は、


「じゃあ、いつしてもいいの? 例えば、告白する前とか……」


 日菜の言葉を聞いたとたん、かたまった。

 かたまってる悠斗なんてお構いなしで、日菜はぐいっと顔を近づけると、


「例えば、今とか」


 目をのぞきこんで、真剣な表情で尋ねた。と、いうか追い打ちをかけた。

 ますます顔を赤くして、固まったまま。一向に動くようすも答えるようすもない悠斗に、日菜は眉を八の字に下げて。ついには肩を落とした。


「いや……ですか?」


 小さくなっていく日菜の声に、ようやくハッと顔をあげた悠斗は、


「まさか! 相手が日菜なのに、いやなわけない!」


 いきおいよく首を横に振った。


 日菜の手を、悠斗がぎゅっとにぎりしめた。

 つないだ手に勇気をもらって、日菜はもう一歩、歩み寄ると悠斗を見上げた。


 日菜を見つめる悠斗の顔は、困り顔だ。

 不安げに黒目が揺れてる。


 でも、きゅっと唇を引き結んだかと思うと。

 不意に視界が暗くなって――。


「……っ」


 神社に住んでいる黒猫のかぎしっぽ。そのかぎしっぽが日菜にあいさつするときみたいな。本当にちょん……と、唇がふれるだけのキス。

 それでも、日菜の心臓と体温を跳ね上げさせるには十分で――。


「……」


「…………」


 日菜は悠斗の手をにぎりしめたまま。顔を真っ赤にしてうつむいた。


 自分で言い出したくせに。

 言うまではなんてことなかったくせに。


 熱くなったほほを手の甲で押さえて、ちらっと悠斗を上目遣いに見た。悠斗は日菜のことを心配そうに見つめながら、日菜と同じように顔を真っ赤にしていた。


 素直な気持ちを言葉にできないのは、やっぱり苦しい。

 でも、今はこれで十分だ。と、いうか、日菜には十二分過ぎた。

 バクバクと痛いほどに跳ねる心臓を押さえて、苦笑いして――。


「お母さんに、話をしてくるね」


 日菜は顔をあげると、悠斗にはにかんだ笑みを向けた。


「先生に授業、遅れるって言っておいてくれる?」


 予鈴のチャイムの音に、日菜と悠斗はそろって宙を見上げた。


「うん、わかった」


 顔を見合わせて、笑い合って。日菜は悠斗の手をそっと離した。

 脇をすり抜けて、駆け出そうとして、


「日菜」


 悠斗に呼び止められて、振り返った日菜は、


「……!」


 腰にまわされた腕の感触と。右のほほを包んだ手の感触と。唇の感触に、息を飲んだ。

 かぎしっぽのあいさつとは全然、違う。優しいキスに目を白黒させていると、唇が離れて。


「がんばれ」


 一歩下がって、にっこりと笑った悠斗は、いつもどおりのあっけらかんとした笑顔だった。

 悠斗に背中を押されて、駆け出した日菜は振り向けないまま。


 ――なんで、そんな一瞬で上手になるの……!?


 口をぐにゃぐにゃ、もごもごとさせながら。

 顔を真っ赤にして、心の中で絶叫したのだった。


 ***


 駆けていく日菜の背中を微笑んで見送って。唇に指先でふれて。

 悠斗はズボンのポケットからスマホを取り出した。


 本鈴が鳴るまで、あと五分。時間はあまりない。

 でも、今じゃないとかけられない気がした。


 悠斗は電話帳に登録してあった電話番号を開いた。

 通話ボタンを押そうとして、手を止めた。指が震えていた。

 手を握って、開いて。深く息を吐き出して。それでも震えは止まらない。


 目をつむって、手の甲を唇に押し当て――その瞬間、ぴたりと指の震えが止まった。


 もう一度、握って、開いて。深く息を吐き出して。悠斗はくしゃりと笑ってから通話ボタンを押した。


 仕事中かもしれない。スマホをそばに置いていないかもしれない。見知らぬ番号からの電話になんて出ないかもしれない。

 でも――。


「……親父?」


 悠斗が思っていたよりも早く。心配していたよりもあっけなく。相手は電話に出た。


「俺。悠斗。……わかる? ごめん、すぐ切らなきゃなんだけど……話したいことがあって。夜、かけ直したいんだけど……いいかな?」


 返ってきた答えに、悠斗はほっと微笑んだ。


「好きな子ができたんだ。それで、親父にもらったお狐さまを返したくて……」


 ほっとしたら、急に口が軽くなって、


「だから、今度。会いに行ってもいいかな」


 そう言って、悠斗はにひっと歯を見せて笑うと、空を見上げた。

 今日の空は、冬にしては珍しい濃い青色の空だった。

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