第22話 ううん、持っておく。

 気にしたようすもなく、ふがふがと鼻を鳴らしてかつお節の味を満喫していたくせに。額をなでる悠斗の手が止まったとたん、かぎしっぽは悠斗の顔をじっと見上げた。

 黄色い目の黒猫。まるで夜空と満月みたいだ。


 かぎしっぽは瞬きしたかと思うと、日菜のひざから飛び降りて、さっさと参道を駆けて行ってしまった。


「母さんと俺のことが大好きだって言ったのも。次の秋祭りもいっしょに行こうって言ったのも。ただ単に俺が泣いて駄々をこねるから、口から出まかせで嘘をついたのか。それとも……守れるかどうかは別として、親父の正直で、素直な気持ちだったのか。どっちだったんだろうって」


 かぎしっぽの背中を見送る悠斗の横顔はさみし気に見えた。かぎしっぽをなでていた人差し指が、取り残されたみたいに宙に浮いている。それがなんとなく嫌で、日菜は悠斗の手をつかんでいた。


 悠斗は目を丸くして、日菜の顔を見つめた。いつもの日菜だったら恥ずかしくて目をそらしていたかもしれない。

 でも、今は――きゅっと唇を引き結んで、恥ずかしさをこらえて。真っ直ぐに悠斗の目を見つめ返した。


「小説の中には、いろんな人が出てくるだろ? 息子を置いて出ていく父親も、父親に置いてかれる息子も、いくらでもいる。どっかに答えが書いてあるんじゃないかって、そう思ったんだ」


 日菜の手の中で、悠斗の手が動いて、開いた。日菜の左の手のひらに、手のひらをぴたりとあわせて、


「バカだよな。小説を読んだって、こうだったのかもって可能性が増えるばっかりなんだ。答えは……親父の本心は、親父に聞かなきゃわからない。薄々、わかってたのに小説を読むことをやめられなかった」


 悠斗は自嘲気味に微笑んだ。悠斗の指が、日菜の指と指のあいだに滑り込んでくる。少しだけ痛いけど、手を離したら、きっと今度は胸が痛くなる。

 だから、日菜は応えるように、ぎゅっと悠斗の手をにぎり返した。


「ちゃんと親父に聞いておけばよかった。聞いとけば、こんなに悩むことなんてなかったんだ。日菜を困らせることもなかったし、いっしょに秋祭りにも行けたかもしれない。……ごめん」


 何に対してあやまったんだろう。

 何もあやまることなんてないのに。


 日菜はふるふると、いきおいよく首を横に振った。

 いきおいがよすぎたのかもしれない。変な顔になっていたのかもしれない。

 悠斗は声をあげて笑った。でも、その声はいつもよりも元気がなくて。日菜はますます悲しくなった。


 うつむいて、考え込んで――。


「そうだ、悠斗くんにおみやげ!」


 日菜はハッと顔をあげると、悠斗からパッと手を離して、ななめに掛けた自分のカバンをあさった。


 日菜の手が離れた瞬間。

 遠退いていくかぎしっぽの背中を見つめていたときよりもよっぽど、悠斗はさみし気な顔をしていたのだけど。カバンの中のおみやげに気を取られていた日菜は気が付かなかった。


「これ、秋祭りで買ってきたんだ」


 なぜか、むくれている悠斗を不思議に思いながら、日菜は手のひらにお狐さまの置き物を二つ乗せた。

 赤い前掛けをつけた、真っ白なお狐さまだ。

 稲荷神社なんかにあるお狐さまと同じように左右一対いっついになっている。


「右と左、どっちがいい?」


 日菜の手のひらの上のお狐さまを、悠斗はじっと見つめた。眉間にしわができるほど、真剣にお狐さまを見つめていた悠斗は、不意にため息をついた。


「日菜、俺がクラスの連中と喋らないからって、こういうの、知らないと思ってるだろ?」


 悠斗の白い目に、日菜はあわてて背筋を伸ばした。かと思うと、そろそろと首をすくめて、上目遣いに悠斗を見つめた。


「え、えっと……もしかして、知ってる……?」


「知ってる。女子が教室で話してるの、小学生の頃から何度も聞いてる。うちのあたりじゃ、結構、有名な話なんだよ」


 顔を真っ赤にしてあわてふためく日菜を見つめて、悠斗はため息混じりに言った。


「お狐さまは左右一体で一対。好きな相手と一体ずつ持ってれば、一対に戻りたいお狐さまが相手との縁を結んでくれる……って、やつだろ。女子って、そういうの好きだよな」


「そ、そっか……知ってるんだ……」


 盛大にため息をつく悠斗から、日菜はそろそろと目をそらした。できるなら真っ赤になった顔を手で隠したいけど、残念ながらお狐さまが乗っている。

 まさに悠斗の言ったとおりだ。

 悠斗はきっと知らないだろうから、おみやげだと言って渡してしまおうと思っていたのだ。


 ――埋まるための穴を用意してもらいたい……。


 あまりの恥ずかしさにうつむいていると、


「縁結びっていうと恋愛のイメージが強いけど、人間関係とか、仕事の縁のことも言うんだよ」


 悠斗が言った。


「そうなの?」


「そうなの」


 大真面目な顔でうなずく悠斗を見て、日菜は苦笑いした。なんだか恥ずかしがってるのがバカらしくなってきてしまった。


「さすが、くわしいね」


 黒猫が横切るのを全力回避しようとするだけのことはある。

 日菜の楽し気な笑い声に、悠斗は目を細めて微笑んだ。


「小三の秋祭りのときに、親父から教わったんだ。お狐さまが縁を結んでくれるから。必ず、また会えるからって」


 悠斗の軽い口調と、裏腹な大切な話に、日菜はかたまった。日菜がぼさっとしているすきに、悠斗は右手に乗っているお狐さまをつまみあげた。そして、


「これで、左右のお狐さまがそろった」


 そう言って、ニカッと歯を見せて笑った。いつもどおりの、あっけらかんとした笑顔だ。

 でも、その笑顔を手放しでは喜べなかった。


「ダメ……だよ」


 だって、お狐さまが左右揃ったということは。悠斗が持っているお狐さまは、これ以上、縁を結ぼうとしないということだ。

 お父さんとまた会えるようにと、悠斗がずっと大事に持っていたお狐さまなのに。

 日菜はキッと目をつりあげると、悠斗が持っているお狐さまに手を伸ばした。


「ダメだよ、そんなの! 返して! そのお狐さま、返して!」


「だめ、一度もらったんだから俺のもの。もう返してやらないから」


 悠斗はけらけらと笑いながら立ち上がると、走り出した。日菜もあわててあとを追いかけた。

 せまい境内だけど、逃げようと思えばいくらでも逃げる場所はある。運動神経が良いわけじゃない悠斗だけど、それでも男の子だ。

 日菜よりも足は速いし、体力もある。


 と、いうか日菜が飛びぬけて運動神経が悪いのだ。女子の中でも下から数えた方が早いくらいに足も遅いし、体力もない。

 全く追い付く気配がないどころか、早々にふらつき始めている日菜を見て、悠斗の方が足を止めた。苦笑いして、


「いいんだよ」


 きっぱりとそう言った。


「こういうの、なんていうんだろ? 願い事の上書き?」


 悠斗は首をかしげて考えていたかと思うと、


「日菜はお狐さまに、俺との縁を願ったんだろ? 日菜の願い事で上書きされるなら悪くないって。すごくうれしいって思うから。だから、これでいい!」


 パッと笑顔になった。

 悠斗の笑顔に、日菜はきゅっと唇をかんだ。

 日菜に気を使ってうそをついたりなんて、悠斗は絶対にしない。その言葉は悠斗の正直で、素直な気持ちだ。


 なら、それを断るなんて失礼だ。

 だって、日菜の正直で、素直な気持ちは、悠斗にお狐さまを受け取ってほしいのだから。


「ありがとう、日菜」


 お狐さまを大事そうに手のひらに乗せて、悠斗が微笑んだ。いつもどおり……じゃ、ない。

 いつもよりもずっと、ずっと、優しい目で微笑んでいた。


「……うん」


 日菜がうなずいたのを見て、悠斗は跳ねるような足取りで階段に戻ってきた。

 悠斗のとなりに腰かけようとスカートの後ろを押さえて中腰になった日菜は、


「来年は秋祭りに行くよ」


 その体勢のまま、固まった。中途半端な体勢の日菜に目を丸くした悠斗は、おずおずと日菜の腕をつかむと、そっと引っ張った。

 引っ張られるままにストン……と、腰を下ろした日菜を見つめて、


「次の秋祭りを待つのもやめる。小説を読んで、答えを探すのも。親父には自分から会いに行って。直接、聞いてみればいいやって思ったから。だから、来年は日菜といっしょに秋祭りに行きたい」


 くしゃりと笑った。

 すごくうれしくて、すごく楽しみで。声も出せないまま、日菜は無言でこくこくとうなずいた。

 日菜の無言の返事に悠斗は満足げに笑った。

 かと思うと、お狐さまをひっくり返して、お腹のあたりを爪で引っかき始めた。


「……何、してるの?」


「何って……ここに入ってるおみくじを見ようと思ったんだけど」


「おみくじ?」


 言われて、日菜も同じようにひっくり返した。よく見てみると、お狐さまのお腹には白いシールが貼ってあった。悠斗がはがそうとしていたのは、このシールらしい。


「日菜……。もしかして、ただの狐の置き物だと思ってたの?」


「思ってた」


 日菜はこくりとうなずいた。悠斗はシールをぺりっとはがして、けらけらと笑った。


「いろいろと調査が足りてなさ過ぎない?」


 全然、否定できない。がっくりと肩を落としていると、


「せーので、開けるぞ」


「え? あ、うん!」


 悠斗が肘で日菜の腕をつついた。あわててシールをはがして、お腹の中に入っていたおみくじを取り出した。ずいぶんと小さく折りたたまれてる。


「せーの……!」


 悠斗のかけ声に合わせて、同時におみくじを広げて、


「俺、大吉!」


 悠斗は満面の笑顔に、


「私……末吉だ」


 日菜は微妙な表情になった。


「あはは、あんまり良くない! 明日、神社におみくじを結びに行かなきゃだな」


 自分が大吉だったからか。上機嫌で笑う悠斗に唇をとがらせながら、うなずこうとして、


「ううん。やっぱり、いいや。持っておく」


 日菜はふと、ほほを緩めた。にやついた、と言ってもいい。

 不思議そうな表情で首をかしげたあと。日菜のおみくじをのぞきこんだ悠斗は、


「うん、これは……いっか」


 そう呟いた。


 日菜と悠斗は顔を見合わせて、くしゃりと笑った。

 だって、二枚のおみくじは、恋愛のところだけ同じことが書いてあったから。


 ――良い人です。信じなさい。


 と、――。

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