第18話 話してなかったかも?

 金曜日――。


 真央と千尋が所属するテニス部の放課後練習は休みの日だ。だけど、真央は放課後も学校に残っていた。クラス委員の定例会があったからだ。

 日菜と千尋と、十七時に神社の鳥居の下に集まる約束をして。教室を出ていく二人を手を振って見送って。真央はクラス委員長である和真とともに、クラス委員会の活動場所である生徒会室へと向かった。


 定例会の内容は全学年への伝達事項と、冬休みに向けての注意事項の周知だけだ。クラス委員会は三十分ほどで解散となった。

 教室に戻ろうと廊下を歩き始めてすぐ。


「今日の秋祭り、木村さんは来るの?」


 並んで歩く和真が尋ねた。


「日菜? 白石じゃなくて? 日菜なら来るわよ?」


 背の高い和真を見上げて、真央は首をかしげた。日菜は来れないかも、なんて話は一言もしていないはずなのに。

 でも和真は眉間にしわを寄せて、考え込んでいる。


「日菜が何か言ってたの?」


「いや。ただ、昨日も今日も暗い顔をしてたから。白石も来ないし、やっぱり行かない……なんて、言い出すんじゃないかと心配してたんだ」


 そういうことかと納得して、


「よく見てるのね」


 真央は感心と、ちょっとの冷やかしを含んだ笑みを向けた。それを見た和真は困り顔で微笑んだ。


「木村さんは大地や清水と違って、大人しいし。白石と違って、まわりを気にして言葉を飲み込むタイプだから、少し気にしてたんだよ。――橋本もだろ?」


 そう言って真央を見返して、和真は唇の端を少しだけ上げた。含みのある和真の笑みに、真央は澄まし顔でそっぽを向いた。


「私の場合はクラス委員としてじゃなく、友達としてよ。……まぁ、確かに。ちょっと過保護気味な自覚はあるけれど」


「ほら、見ろ」


 間髪入れずに言って、和真は笑い声をあげた。あまりにも楽し気な笑い声に、真央はムッとした。


「別に白石のことはどうでもいいのよ、来ないなら来ないで。気になるのは日菜が落ち込んでいることと……白石に、理由を聞こうとしないこと」


 真央はすっと目を細めると、足元をにらみつけた。


「私が白石を問い質しに行こうかとも思ったけど、それは違う気がして。かと言って、あまり日菜をせっつくのも良くない気がするし……」


「心配性だな」


「心配したくもなるわよ。日菜はあの性格だし、白石もあの性格なんだから。千尋は応援しよう、なんて言うけど。そんな簡単にうなずけるわけないじゃない」


 キリキリと目をつり上げる真央の横顔をちらりと見て、和真は苦笑いした。


「まぁ、気持ちはわからなくもないけど……」


 話をしているうちに教室に戻ってきた。

 テニス部は放課後練習のない日だけど、野球部は普通に練習がある。和真はカバンを持ったら、急いでグラウンドに向かわないといけない。


「野球部の練習で、俺と大地は遅れると思うから。先にまわってて」


「わかった。神社に着いたら連絡して」


 教室の入口で足を止めた和真を見上げて、真央は微笑んだ。


「それじゃあ、また……」


 ――また、あとで。


 そう言おうとした和真は目を丸くして、言葉を切った。驚いた顔はすぐに怒った顔になったかと思うと、ため息とともに呆れ顔になった。

 和真の百面相に首をかしげていた真央は、和真の視線を追いかけて教室の中をのぞきこんで、


「白石のやつ……まだ残ってたの?」


 深々とため息をついた。


 電気も消されて薄暗くなった教室に、ぽつんと一人。窓際の後ろから二番目の席に悠斗が残っていた。悠斗は一心不乱に本のページをめくっている。

 授業が終わって、ホームルームが始まるまでの十分ほどのあいだ。ちょっと本でも読んでいようと開いたら、物語が面白い展開になって没頭してしまった。

 そんなところだろう。


 和真と真央は顔を見合わせると、揃ってため息をついた。かと思うと、ずかずかと悠斗の席に向かって、


「白石、とっくにホームルームは終わったぞ」


「……ぐえっ!」


 和真は悠斗のえり首をつかんで、ため息混じりに言った。


「とっとと帰りなさい」


「イテッ!」


 真央も悠斗の頭をぺしりとはたいて、ため息混じりに言った。

 突然、襟首をつかまれ、頭を叩かれた悠斗は目を白黒させながら辺りを見まわした。


「……いつ、終わったの。帰りのホームルーム」


「もう一時間以上も前よ!」

「一時間以上も前だよ!」


 真央と和真に同時に怒鳴られて、悠斗は耳に指をつっこんで、首をすくめた。


「うるさいなぁ、もう……。帰るよ、帰る。せっかく、いいところだったのに!」


 ぐちぐちと言いながらイスに座り直すと、悠斗は帰り支度を始めた。唇をとがらせて、すねた表情の悠斗を、真央はじろりと睨みつけた。

 悠斗の態度にはいつもイラッとさせられる。でも、今日は特に腹が立って、


「そんなに……本を読むことが大事なの?」


 真央は低い声で尋ねた。

 強い語気に、和真は真央の横顔を見つめた。真央の苛立ちと、和真のほんの少しの緊張なんて、悠斗は全く気付いていない。


「うん、大事。――じゃあ、また来週な!」


 カバンをななめに掛けて立ち上がると、あっけらかんとした笑顔でそう言った。

 瞬間、真央の目がキッ! と、つりあがった。すっと息を吸い込んで金切り声で怒鳴ろうとして、


「今日の秋祭り、やっぱり来ないのか?」


 それを、和真の穏やかな声がさえぎった。足を止めた悠斗は、


「行かないよ。日菜に返事したけど?」


 不思議そうな顔で和真を見返した。


「木村さんの誘いを断ったのは、本が読みたかったからか?」


「ん? なんで? 違うよ、秋祭りだからだよ」


 悠斗の答えに、ピリピリとした真央の空気がふっと和らいだ。和真がほっと息をついたことには、真央も悠斗も気付かなかった。


「秋祭りに行きたくないのは、親父が……」


「そこを俺や橋本に説明する必要はない。まったく興味ない」


「……おい」


 和真にばっさりと話を切られて、悠斗は顔をしかめた。でも、それも一瞬。


「ま、そっか。俺も平川や橋本が秋祭り行かないって言っても、へぇ~って感じだしな」


 真顔でそう言う悠斗に、和真は苦笑いした。真央は呆れたようにため息をついた。

 こういう性格をしている悠斗だから、イラッとするけど、妙な信頼感もあるのだ。正直に、思ったことを口にしているんだろうという信頼感。


 でも、そのことに気が付いたのは日菜がいたからだ。

 日菜が転校してきて、悠斗との関係をいつのまにか築いて。自由研究のことで夏休み前にもめたとき、和真と悠斗とのあいだに立ったから。


 だから和真は微笑んで、


「でも、木村さんには話しておいた方がいいんじゃないかな」


 諭すように。優しい口調でそう言った。


「日菜に?」


「話してないだろ、秋祭りに行かない理由。木村さん、断られた理由がわからなくて、暗い顔してたよ」


「あれ? ……そう言えば、話してなかったかも」


 日菜との会話を思い出しているのだろう。宙を見上げて首をかしげていた悠斗は、


「……気になるなら聞けばいいのに」


 不意に唇をとがらせた。

 日菜が直接、聞いてくれなかったことにすねているらしい。犬も食わない類の話に、和真は肩をすくめた。


「それも木村さん本人に言ったらいいよ」


「言い方には気を付けなさいよ」


 真央にピシャリと言われて、悠斗は首をすくめた。

 でも、おずおずと自分よりも背の高い真央を見上げると、


「日菜、暗い顔してたのか?」


 悠斗は念を押すように尋ねた。


「してた」


 真央にきっぱりと言われて、悠斗は唇をとがらせたまま、肩を落とした。


 すねてもいるけど、ショックも受けているようだ。

 それが、聞いてくれなかった日菜に対してか。落ち込んでいる日菜に気付けなかった自分に対してかは――。


「わかった。ありがと、教えてくれて!」


 顔をあげた悠斗の表情を見れば、和真にも真央にもはっきりとわかった。だから、真央は悠斗を見つめて、にこりとほほえんだのだ。


「日菜との待ち合わせ、何時?」


「十七時に神社よ」


「やば! 急いで帰らないと話してる時間、なくなる! じゃあな、平川! 橋本! また来週~」


 バタバタと賑やかな足音を立てて、悠斗は教室を飛び出していった。


「廊下は走るなぁ」


 悠斗の背中に向かって申し訳程度に注意をして、和真は苦笑いした。

 と、――。


「ありがとう」


 隣でぽつりと、小さな声がした。

 和真が目を丸くして見下ろすと、真央ははにかんでうつむいていた。気の強い真央の、らしくない表情にくすりと笑って、


「いえいえ」


 和真は澄ました顔で言った。


「それにしても、うちのクラス委員長さんはとても面倒見がいいのね。部活、大丈夫?」


「大遅刻だよ」


 ため息混じりに言いながら、和真は悠斗の席から見てななめ前にある自分の席に足を向けた。

 机の横にかけてある学校用カバンと、ロッカーの上に置いてあったスポーツバックを交差するようにななめに掛けた。


 クラス委員会で遅くなると伝えてはあるけど、それにしても大遅刻だ。今から着替えたりすることを考えると、練習はほとんどできないだろう。


 でも、まぁ――。


「女の子が暗い顔をしているよりはね。せっかくの秋祭りだし、楽しんでほしいから」


 そう言って、和真は肩をすくめた。


「面倒見がいいだけじゃなくて、優しいのね。私は日菜に甘い……なんて言うけど。平川も似たようなものじゃない」


 感心と、ちょっとの冷やかしを含んだ真央の笑みに、和真は困り顔で微笑んだ。


「女の子には、橋本も入ってるんだけど」


 そう言った瞬間。

 和真はハッと口をつぐんだ。真央も目を丸くした。


「今のなし。ちょっと白石と木村さんに影響された気がする。……部活、行ってくる」


 気まずい雰囲気に和真は早口で言って、苦笑いを浮かべながら小走りに教室を出ていった。


「……行ってらっしゃい」


 真央がようやく絞り出した言葉は、和真の耳には届かなかっただろう。


 真央は教室の中央にある自分の席に向かうと、机の横にかけてあるカバンを手にした。

 カバンを肩にかけた真央は、ふと足を止めた。


「もしかして、日菜が来る前の白石の方が、まだ扱いやすかったのかしら」


 ぽつりとつぶやいた。

 和真の言う“悠斗と日菜の影響”は、真央も感じるところがあるから。

 でも、すぐにゆるゆると首を横に振った。


 そうかもしれないけれど――。

 以前の関係に戻ってしまうのはさみしくて、怖いと。そう思ったから。

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