第十二話 呪われた刀

 青年は亡くなった夫の親友であり、彼が愛する妻を殺害する瞬間を見てしまった目撃者だった。


「二人は本当に愛し合っていました。仕事も順調で、いつかは二人でバスラでも指折りになる茶店を出そうと夢を持っていたほどです。それが、そんな二人があんなことになるなんて……」


 青年は今にも消え入りそうな震え声を出す。


「本当に、ありえないんです。まるで何かにとり憑かれたみたいで……じゃなきゃ、あんなひどいことには……」


 青年の言葉を聞き、カルはやはり夫婦が憎み合って、そうなったのではないことを悟る。己が憎しみを抱いての事件でないのなら、外的な要因があるはず。やはり呪刀かもしれない。

 青年は胸に手を当てながら、事件の始終を語ってくれた。


 昨夜、被害者の夫婦と青年は夕食の約束をしていた。夜に青年が家を訪れると、親友である夫はまだ帰宅しておらず、妻が家の中にいた。夕食の支度をしながら二人で夫の帰りを待つことにしたそうだ。まだかな、お腹空いたね、と何気ない会話をしながら。

 そんな時だった、悲しい結末は不意に訪れる。


 妻は夫の帰りが待ち切れず、外の様子を見に行こうと家の引き戸を開けた。

 すると戸のすぐ前には待ち焦がれていた夫が立っていたのだ。


『あら、おかえりなさい』


 夫の姿にほほえむ妻は夫が手に持った物を見ていなかった。その手には闇に溶け込むような黒い刀があり、刀を持つ夫は無表情でうつむき――わけのわからないことをブツブツ呟きながら、顔を上げた。


 そこにあるのはいつもの優しい眼差しではなく、生気を失った目。その目で妻を一瞥した、瞬く間のこと。妻に向かって振り上げ、下ろされたのは黒い刀だ。その時は一瞬過ぎて、青年も止めることはできなかった。

 響く妻の悲鳴。飛び散る血。

 妻は夫に向かって手を伸ばしたが、その手は誰に触れることなく、地に沈む。


『あ、な、た……』


 夫に届かぬ呼び声はか細く、消えていく。


『な、何をしているんだ!』


 青年が叫ぶと夫はハッと顔を上げた。そこにはいつもの妻を慈しむ優しい夫の顔があった。

 しかし、その顔は血に染まり、地に伏せる妻を見て驚愕に変わる。


 なんで彼女は死んでいるんだ?

 これは自分がやったのか?

 なぜ、俺は。なぜこんなことをっ⁉


 己の手の、血を滴らせる刀を見て夫は理解した。愛する女性を手にかけたことを。これからを約束していたのに、これからも未来を幸せに過ごそうとしていたのに。

 それを自ら終止符を打ってしまった。

 なぜだ、と何回も叫んでいたという。


「そして自害したわけか……ひどい」


 カルの言葉の後で青年はすすり泣いた。


「何が原因か、なんてわからないです。でもあいつが、あんなことをするなんて普通じゃない。あの顔は得体の知らないものにでも、とり憑かれたような感じだった。あいつの意思ではない。だから、二人の無念を晴らしてほしい、絶対にっ……」


 大切な人達をもう失くしたくないから、と言って青年は涙を拭った。

 それは自分も同じ思いだ。誰かを守るために、この磨いてきた剣術は振るわなければならない。刀は命を奪うためのものではないのだ。


 カルは「わかりました」とうなずく。

 そして“一点”だけ確認すべきことを、青年にたずねてから彼と別れた。

 必ず二人の無念を晴らします、と去っていく寂しげな背中に向けて言うと、青年は前を向きながら小さく会釈をしていた。


(……カル、今あの兄ちゃんに聞いていた黒い刀って、なんなんだ?)


 成行きを静かに見ていたタキチが疑問を投げかけてくる。

 それは青年の話に出てきた言葉で、今しがた、カルが青年に確認した“一点”のことだ。


『確かに黒い刀を見たんですね?』


 たずねると青年はうなずいた。


『黒い刀は確かに見ました。でもあいつが自害した後は、もう普通の刀になっていた。あいつが死んだ後、妙な黒い煙みたいなものが、宙を飛んでいったんです……』


 青年の言葉を頭の中で復唱する。

 黒い刀、黒い煙のようなもの。

 それが意味するもの。


「黒い刀かぁ、それは呪刀っぽいな」


 タキチとカルの疑問に答えたのは、ふらりと現れたキユウだった。タキチが(あ、酔っ払いが来やがった)と声を上げる。


「まぁ、こんな物騒な事件を起こすのはタチの悪い呪刀だろうとは思っていたが。やはりそうみたいだな」


 キユウは今回の事件は呪刀だと、やはり読んでいたらしい。そうならそうと教えてくれればいいのに。そう思いながら「どんな刀なんだ?」と呪刀についてたずねてみた。


「どんなっつってもな。形はまぁ、色々だが見た目は明らかに禍々しい。妖刀は大体が人間を守護してくれるから、お前のタヌキみたいに間が抜けて柔らかそうな雰囲気を出している。だが呪刀はその反対だ」


 キユウの言葉を聞き、カルの妖刀が熱を放つ。軽く馬鹿にされた点に怒っているらしい。

 キユウは気にせず、話を続ける。


「呪刀は災いの元だ。人の心を操ることも、邪な部分を増大させることもできるだろうな。俺が過去に見てきた呪刀は、みんな持ち主をキチガイに豹変させた……全部、持ち主ごと始末するしかなかったがな」


「邪な部分を、増大?」


 それなら呪刀に囚われた人間は憎しみを増大させて相手を斬る、ということになるのだろうか。

 そう考えてみたものの、すぐに「違う」とカルは自分の考えを否定する。

 だって今回被害にあった人達は相手のことを憎んでなどいない、むしろ愛している。夫婦も親子も……それならなぜだ。


 そんな疑問が浮かぶ一方、カルの中には、また別の疑問が生まれた。それはそばにいる専門家に聞いてみることにしよう。


「キユウ、昨日、母を斬った男が持っていた刀は話に出てくるような禍々しいものじゃなく、ただの鉄の刀だ。さっき夫婦の話に出てきた代物も、最終的には普通の刀となっていたみたいだ。黒い刀じゃないのは、なぜだ?」


 頭をかくカルをよそに、キユウは余裕そうに両腕を前で組んでから、カルの疑問に答えていく。


「呪刀の原因、それと成り得るものっつーのは、要は人の憎しみと言われている。例えば死んだ人間の憎しみが凶悪な邪念の塊となり、それが刀にとり憑けばその刀は姿形を変える。その刀を持つ者――呪刀を持つ者は妙な力を得たり、邪念に操られるかもしれない……そんな可能性があるっつぅ話だが、それなら合点がいくだろ」


 それは様々な修羅場をくぐりぬけてきた彼だからこそ、知識として得ているもの。

 そうかもしれない、とカルは納得する。さっきの青年の話では黒い煙のようなものが宙を飛んでいったということだったから。


 その正体が邪念だとしたら。邪念が離れれば刀は元の形に戻り、それと同時に操られていた意識も取り戻す。今回の被害者である夫婦の夫は、親友の声がきっかけで邪念が離れた。

 そして妻の惨殺という真実を見て耐えられず、持っていた刀で自害した。


 では呪刀は、その邪念とやらはなぜ、愛し合う二人を狙うのか。憎しみを増幅させているわけではなく、愛し合う者達を意図的に選んでいるのだろうか。


 しかし全ての答えは呪刀。その原因となる邪念が原因ということで可能性は固められた。

 なかなか厄介な事件だ。でも予想通り、呪刀の邪念というのがあるなら。その邪念は再びどこかへと飛んでいってしまい、現在は行方不明なのだ。早く見つけなければ、また被害が出てしまう。


「早く解決しないと……」


 そう思った時、カルは自分の背筋の震えを感じた。そんな大きな事件、自分に食い止めることができるかな。そんな不安がよぎってしまった。

 解決したい。これ以上、悲しむ人を出したくない。そう思うのに、この自分の気持ちの怖じ気づき――自分で情けなくなる。


 そんな思いをかき消したくて、カルは自然とタキチの鞘に手を触れていた。自分の考えること全てを読み取ることができるタキチは(大丈夫だって)と優しく言葉をかけてくれた。

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