第九話 新たな事件の一方で

 母と息子の悲しい事件から幾日も経っていないのにも新たな事件はその日の深夜に発生していた。

 今度は愛し合っている夫婦だった。仲睦まじく、とても恨みを持って伴侶を殺すなんてありえない、と誰もが言っていた。


 だが事件は起きる。

 夫が刀で妻を斬り捨てたのだ。

 そして動かぬ妻の姿を見た夫は“なぜか”嘆き悲しみ、手に持っていた刀で自らの首を斬り、愛する妻の名を口にしながら絶命した。側に居合わせた友人がその現場を見ており、そう語ったという。


 そんなやりきれない話を、昨日も訪れた人気のない酒場でキユウから聞き、カルは卓上の湯飲みを両手で握りながら、深いため息をついた。


「……絶対に変だって。殺し合っているのは互いに恨みとは縁がなさそうな人ばかりだ。普通は憎しみを抱いて相手に殺意を持つもんだろ」


 カルの主張を、キユウは今日もおちょこを傾けながら聞いている。一見何も気にしていなさそうな伯父の素振り。昨日も言っていた『余裕』というものを、また見せているようだ。

 ………ただの飲んだくれ、なだけかもしれないけど。


 そんなキユウを見て(また今日もこの呑兵衛が――)的な文句をタキチは言いかけていたが。彼が自分の言葉が聞こえる存在だということを思い出し、言葉を飲み込んでいた。


「まぁなぁ、夜中には愛し合う夫婦、その前には仲良し親子。この事件には深ぁい因果がありそうだねぇ……あぁ、うまい」


 キユウは酒を口に含み、うまそうに唸る。


「なんの因果だ?」


「俺が知るかい」


(……カル、このおっさん、ホントに事件解決する気あんの?)


「あぁ? ポン太、うるせぇぞ」


(誰がポン太だっ! この酔っ払いっ!)


 今日も今日とて、タヌキと剣豪はにぎやかだ。

 それにしても親子に夫婦。親しい者が、親しい者に殺害されるなんて……悲しいものだ。

 殺す方の気持ちと、殺される方の気持ち。そんなものを考えてみると自分の身を自分で切り刻んでいるみたいに心がものすごく痛くなってくる。


 大切な存在を自分の手で斬る……。

 もし自分がタキチやキユウをこの手で。そう思うだけで胸が痛い。

 大切に思っている者を失うのは、さびしいものだ。自分は両親を亡くした時、自分の身体の一部がなくなったような喪失感を味わった。


 でも悲しみに暮れてはいられない、剣士として、人間として強くなることを両親に誓ったから。タキチにも『一緒に強くなろう』と励まされたから。


 そういえば、とカルは湯飲みの表面を指でさすり、卓を挟んで斜め前に座るキユウを見る。

 キユウには聞きたいことが山とある。

 それはなんら事件とは関係のないことだ。それでも実の伯父にしかわからないこと。今まで誰にも聞けなかった疑問。

 それをどうしても聞きたい。


「キユウ、話変わるけどさ、俺の本当の両親ってどんなだった?」


「あぁ? なんだよ、ホントに急に変わったな」


「聞ける時じゃないと聞けないからさ」


「まぁ、そりゃそうだな」


 キユウは驚く様子もなく、手に持ったおちょこの表面を見ながら「そうだなぁ」と呟く。

 彼はどんなことを語るのか。カルは期待と不安を胸に湯飲みの茶を一口すすり、キユウの言葉を待つ。


 自分には育ての両親と実の両親がいた。育ての両親は半年前に亡くなり。実の両親はとっくの昔に亡くなっているという事実は知っている。

 けれどそれがなぜ、どうしてか。両親はどんな人物だったのか、何も、ずっとわからなかった。


 気づけば育ての両親の元にいて、バスラから離れ、別の地で暮らしていた。金に富んでいたわけではないが特別貧しかったわけでもない。農夫の両親の元、普通に幸せに暮らしていた。


 そんなある時だ。伯父と名乗る人物、キユウが自分の元を訪れたのは。育ての両親も彼が正真正銘の伯父であることは実母の知り合いだったので知っていたという。


 そんな彼から剣術を習うことになった。それはキユウの「教えてやるよ」という気まぐれもあったが、自分に強い男になってほしいという、育ての両親の望みもあって始まったことだ。その願いのため、稽古に励む日々を送ることになった。


 正直、最初は嫌で仕方なかった。伯父とはいえ、全く関わったことのない得体の知れない男。

 そんな相手に毎日厳しく叱責される日々。アザができ、擦り傷はでき、土まみれになり……やたらと罵倒される。


『この人は、なんで俺に、こんな辛く当たるんだ……』


 あまりのつらさに、そう思ったこともある。

 それぐらいにキユウの指導は厳しいものがあった。腹が立って、逃げ出すことも定番で。正直キユウに対して良い感情など抱いてはいなかったのに。


(ふーん、カルって昔はこのおっさんが大嫌いだったんだぁ。今じゃ、信じられないけどなぁ)


(な、なんだよ、タキチっ、別に好きでもないぞ! ただ昔はとにかく厳しかったからさ……)


 そう、ある出来事があってからは。キユウの態度に変化が起き、自分はキユウに嫌な感情を抱かなくなったのだ。

 つらかった稽古は段々と楽しくも感じた。自分が少しずつ強くなるのを感じると嬉しくて、もっと強くなりたいと思うようになった。キユウに「やるようになったな」と褒められるのも嬉しかった。


 だがそんな日々も十歳の時、キユウの失踪によって突然終わる。その理由については昨夜聞いてみたが、はぐらかされる結果で終わってしまった。


 ならば別のことを聞いてみよう。今まで知りたくても知る機会がなかったことがたくさんある。少しずつ彼が知る真実を聞いてみたい。


 他に客がいない薄暗い店内。店の奥では店主が食材を仕込んでいるのか、うまそうな醤油の煮込みの匂いが漂ってくる。

 店の外からは通行人の足音、話し声、笑い声が順番に聞こえてはくるが、うるさいほどではない。店の中は静かだ、と言えるぐらいなのでキユウの言葉はよく聞こえる。深い話をするには素晴らしい環境だ。


 タキチも興味があるのか、昨日と同じく卓の横に立てかけられている二本の赤い飾り紐がふわふわと動いていた。


 キユウは一呼吸ついてから口を開いた。

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