第五話 憩いも束の間

 その後もキユウと共にバスラを巡ってみたが、事件に関わりそうなことは何も見つからなかった。


「酒も抜けて疲れた、少し休憩だ」


「俺も腹減った……あ、ちょっと俺は寄りたいところがあるから、そこ寄る」


 ということでキユウと別れ、カルは先程クウタに教えてもらった彼が働く宿屋を訪れた。

 木造二階家、赤い暖簾が風に揺れ、暖簾には白い文字で「飛天」と書かれていた。綺麗に掃除が行き届いた店先には塵一つなく、どこからか心を落ち着かせるお香の香りも漂っている。バスラでなかなか評判が良いというのも納得の佇まいをしていた。


 暖簾をくぐり、店の中に入ると早速クウタが現れ、爽やかな笑顔で出迎えてくれた。


「いらっしゃいませ! あぁ、カルじゃないか! 来てくれたんだな。さぁ、上がって上がって」


 クウタは宿に入ってすぐの、畳の客間にカルを招き入れた。ちょっと待ってて、と一端離れるとお茶を淹れたお盆を片手にすぐ戻ってきた。


「店はちょっとだけお願いしてきた。しかしなぁ、お前とバスラで会えるなんて。本当に何があるかわからないもんだ。お前といると山の匂いとか駆け回っていた頃を思い出すよ」


「俺も予想外だよ。なんてったってクウタが引っ越しちゃった後、ガキの俺にはクウタを探すことも連絡を取る手段もなかったからな」


 本当だな、と嬉しそうに笑うクウタを見ていると、こちらも嬉しくなる。子供の頃の別れはあまりに突然で子供の自分達にはどうしようもなく、別れを惜しむ間もなかったからだ。

 だけどこうやって、また会えたのだ。別れてさびしかった時間などもう関係はない。


 カルは淹れてくれた茶をすすりながら、自分の身の上のことを語り、クウタも己のことを話してくれた。


 自分はクウタがいなくなった後も変わらず村で暮らしていた。しかし半年前に両親が病で亡くなり、それから旅を始めているということ。


 クウタはバスラに引っ越し、二年前からこの「飛天」で働いている。クウタの両親は仕事で別の町に引っ越すことになったのだが「自分はバスラを離れたい」と一大決心をして言い切った。だから実家は売りに出し、ここで住み込みをしているという。

 こう見えても出世頭なんだぜ、と自信満々に言える姿がたくましさを感じさせる。


 二人で話し込んでいるとタキチが(楽しそうだねぇ)と言いながら欠伸をしていた。もちろんクウタには、この失礼な態度をしている相棒の声は聞こえていない。


「そういえばさ、カルが昼間一緒にいた渋い人って、もしかしてキユウ先生?」


 クウタの問いに「そうだ」と答えると、彼の表情はパッとさらに明るくなった。


「へぇ、やっぱり! あの人も変わらないなぁ! というよりも、ますます強さを感じさせる雰囲気があったな。昔、お前が剣術を教わっている様子を見たけど、あの頃も格好良かったし」


 はしゃぐクウタの様子を見たタキチが(えー、あの酔っ払いってそんなに有名なの?)と疑問の声を上げた。

 カルはキユウのことについて、タキチにこっそりと教えた。


 キユウは剣術を教える者としてはかなり高名なのだ。先生とも師匠とも呼ばれ、剣術の腕前は一流。高官からも声をかけられるほど、高い地位を望める力を持っている。


 しかし彼はその立場になることを拒み、たとえ莫大な給金や良家の娘との縁談を持ちかけられてもその話を蹴り、点々と宛てもない旅烏を続けている。弟子として誰かを鍛えることも滅多になく、おそらく自分が最後の弟子なのではないかと思われる。


 酒好きで自由本坊、縛られるのが嫌い。地位も望まなければ婚約もしない、何を考えているのかわからない男。


「しかしなぁ、そんな先生に比べて。お前って昔から顔がかわいいまんまだな」


 急にクウタの話題が変わる。カルが「かわいいだぁ?」と顔を引きつらせると、クウタは大笑いした。もちろんタキチもプッと笑っていた。


「あはは、そう怒るなよ。だってお前はわりと童顔だし、身体は剣士にしては細身だし。昔、お前が昼寝している時にイタズラでおしろいと口紅を塗ったら、すっげぇ面白かったよなー」


 思い出したらまた笑えてきた、とクウタは声を上げて笑い続ける。

 それはカルにとって、あまり思い出したくない思い出だ。化粧されたことに気づかないまま村の中を歩いていたら、村中の少年達に「どこのお嬢さんですかっ⁉」と声をかけられたのだ。


 どうしてだろう、と戸惑っていると。家に帰り、偶然に見た鏡の中に、とんでもない姿をした自分がいたのだ。それは両親にも見られてしまい「かわいい娘ができたみたいねぇ」なんて能天気なことを言われた……情けない話だ。


「あらあら、なんだか楽しそうねー」


 クウタが一人で盛り上がっている中、客間の障子が開かれる。

 菓子の乗った盆を持ち、開いた障子から顔をのぞかせたのはクウタと同じように袖をたすきがけし、着物の裾も短めにまくし上げ、黒髪を一つの団子に結った活発そうな女性だった。


 クウタは笑いで流れた涙を拭うと女性を紹介してくれた。彼女の名前はスー。この宿の主人の娘であり、自分の婚約者である、と。


「えー、婚約者⁉ クウタに、もう婚約者!」


「なんだよ、そんなに驚くことかよ」


「そりゃあ、小さい頃、野良犬に追われて肥溜めに落っこちたクウタが婚約――いてっ」


 バツが悪そうなクウタに小突かれたところで、ほのかに頬を染めたスーがフフッと笑った。見ただけでわかる、彼女が今幸せなんだということが。


「カルさんのことはクウタさんからよーく話を聞いてるわ。幼い頃から剣術を頑張っている、かわいい剣士さんだって」


 だからかわいいって言うな。恨みを込めてクウタを睨むと、彼は素知らぬ顔をしていた。

 そんな和気藹藹としている中、換気のために開かれた窓の外から穏やかでない声が聞こえてきた。


「殺しだー!」

「人がまた斬られたぞ!」


 事件が起きたらしい。


「こんな明るい時間に?」


 カルの呟きに、クウタが不安げな表情でうなずく。


「あぁ、最近バスラでは人斬りが多発している。それは昼間だろうが朝だろうが、人混みだろうが関係ないんだ。場所を選ばないし、人を選ばない無差別みたいだな」


「無差別か……厄介だな」


 普通なら目立たぬ場所や夜間に人斬りは発生しやすいものだ。人目をはばからぬ、時間も気にせず、ということは憎しみや目的など関係のない、ただ殺戮を楽しむ愉快犯なのだろうか。


 外では人々が慌ただしく駆け回る足音が聞こえる。

 そんな中、足音に混じり、店先から聞き覚えのある声が自分の名を呼んでいた。

 カルは立ち上がった。


「行くのか、カル」


「うん、行ってくる。また後でな、クウタ」


 宿を出ると外ではキユウが待っていた。

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