第40話


 ザーザーと降り注ぐ雨のせいで、晴那たちは連日で空き教室にて昼食を取っていた。図書委員会の集まりは1日だけだったようで、今日は由羅の姿もある。

 

 一つの机を3人で囲いながら食事をするのは少し手狭だが、これに至っては仕方ないだろう。


 「そういえば、晴那ちゃんすっかり花粉症治ったね」


  由羅の指摘通り、いまではマスクは勿論のこと、薬が無くてもくしゃみは全くでないのだ。


 一時はどうなることかと思ったが、季節の移ろいとともに無事に収まってくれたらしく、ホッと息を吐くことが出来ていた。


 「あの時は薬くれて本当にありがとうございました」

 「気にしないで。でも、あっという間だよね…あと1ヶ月で期末試験で、それ終わったらすぐ夏休みだよ?どこか行ったりするの? 」

 「家の手伝いくらいですかね」

 「そうなの?じゃあどこか遊びに…」

 「あたしととほぼ毎日遊ぶ約束してるから」


 初めて聞く話に、ひまりに驚きの目を向ける。けれど彼女はどこか澄ました顔で、挑発するように姉である由羅を睨んでいた。


 「……1日くらい空いてるでしょ」

 「無理」

 「……はあ?あんた我儘もいい加減に…」

 「あたし、この子と一緒の風呂に入って同じベッドで寝たから」


 どうして、今その話題を出しているのか、ひまりの考えがちっとも分からない。 


 由羅は、心底驚いた様子で目を見開いていた。 


 そして、信じられないと言った様子でポツリと声を漏らしている。


 「そうなの…?」


 ひまりが言っているのは、沖縄へ行った際のホテルでの出来事だろう。


 何も間違ったことは言っていないため、そっと首を縦に振れば、由羅は勢いよくひまりに掴み掛っていった。


 「ひまり、どういうこと」

 「だから、由羅姉が付け入る隙はないってこと」

 「……はあ?」


 タイミングよく、中休み終了5分前のチャイムが室内に響き渡る。

 それと同時にひまりは手早く荷物を纏めて、まだサンドウィッチを食べている途中の晴那の手を掴んだ。


 「ちょっかい出すの、やめてよ」


 歩き出す彼女に釣られて、晴那も強制的に足を踏み出すことになる。

 もぐもぐと口を動かしながら、不可解なひまりの様子に首を傾げてしまう。


 教室を出てから人気の少ない廊下にて、ひまりはようやく足を止めてくれた。


 「ちょっと、ひまり…っどうしたの?」

 「……好きじゃないなら、はっきり言った方がいいよ」

 「え…」

 「由羅姉に、告白されたんでしょ」

 「なんでひまりが知ってるの……」


 言葉を返した直後に、自分が墓穴を掘ってしまったことに気づく。


 ひまりの瞳は疑惑から確信へと変わり、より一層由羅への軽蔑を強めてしまっていた。


 「あの人押し強いから、晴那流されちゃうんじゃないの」

 「それは…」

 「純粋なシマを丸め込もうとするとか、本当にあり得ない」


 怒りを隠さずに、ひまりが言葉を吐き捨てる。


 「どうして、ひまりが怒るの?」

 「友達が強引に関係迫られてたら、助けるでしょ。ふつう」

 「……うん」


 ひまりは別に、おかしなことを言っていない。


 沖縄に居たころまったく好きでもない男子生徒からしつこく迫られて、見かねた香澄が喝を入れて追っ払ってくれたこともあった。


 友達として、善意でやっていることで、香澄からそうされたときは純粋に嬉しかったのに。


 どうしてひまりに同じことをされると、チクチクと胸が痛んでくるのだろう。

 この子の善意を素直に受け取ることができない、自分が情けなくて堪らない。

 

 どうしてこんなに言いようのない違和感で胸がいっぱいになるのか、ちっとも分からなのだ。






 飲食業の社員は、休みが殆ど存在しない。それがオーナーとなればなおさらで、うみんちゅハウスでは両親のどちらかが必ず働いている状態で、共に夕食を囲める日も中々ないのだ。


 有難いことに店はかなり繁盛して軌道に乗り始めているため、こうして今晩、3人揃って晩御飯を食べられるのは本当に久しぶりなのだ。

 炊きあがった白米を大皿に盛りつけていれば、母が「そうだ」と声を上げる。


 「晴那、この前お隣の子のお母さんにご飯食べさせてもらったんでしょう」


 あの日由羅の母親が作ったボンゴレパスタがあまりにも美味しく、母親にウチでも作ってと頼み込んだのだ。


 その際に、隣に住む同い年の女の子の存在と、家庭事情も簡単に説明していた。


 「ひまりだっけ?呼んできてよ」

 「いるかわからないよ?」

 「タコライスいっぱい作っちゃったし、呼ぶだけ呼んでみて」


 友達の多いひまりのことだから、クラスメイトとどこかへ遊びに行って、家を空けている可能性もある。


 朝とは違って合鍵を使わずにインターホンをならせば、暫く間をおいた後に、ゆっくりと扉が開いた。

 

 目を擦っており、珍しく髪の毛には寝癖が付いてしまっている。

 

 「昼寝してたの?」 

 「うん… 」


 眠たげに欠伸をするひまりは普段より子供っぽい。

 

 「なに?」

 「お母さんがタコライス作ってくれて、ひまりも食べないかって」

 「いいの!?」


 予想以上に、ひまりは嬉しそうに食いついてきた。


 そういえば、以前沖縄に行った時もひまりは美味しそうに沖縄料理を頬張っていた。お土産のお菓子も大量に買い込んでおり、恐らく舌が合うのだろう。


 二人で晴那の家へ向かえば、すでに食卓には4人分のご飯が用意されていた。呑気な母親は、ひまりが留守にしている可能性をちっとも考えていなかったのだろう。


 「こんばんは、ゆっくりしていってね」


 今更ながらに、ひまりが島袋家に来るのが初めてであることに気づく。お隣同士で、晴那は何度も彼女の家にお世話になっていたというのに、その逆はなかったのだ。

 

 いつもどこかしら空いている4人掛けのダイニングテーブルの椅子は、珍しく全て埋まっていた。晴那の隣にひまりが座って、手を合わせてから食べ始める。


 「いつも晴那が世話になってるさあね」

 「いえ、全然…」

 「お父さん仕事で忙しいんでしょ?いつでもウチでご飯食べたらいいさ」


 父親の言葉に、ひまりは本当に嬉しそうに笑みを浮かべていた。


 「この前も沖縄連れて行ってくれたんでしょう?本当にお世話になってばかりで…」

 「いいんです、父親が航空会社に勤めているから、チケット手に入りやすいだけなので」


 確か、ひまりの父親はパイロットだったはずだ。頭が良くなければなれない職業だと聞くし、この子が賢いのも父親譲りなのだ。

 

 「本当にモデルさんみたいだねえ」

 「晴那の言う通りさあ」

 「いや、そんな…」

 「今度良かったら、うちのお店でご飯食べに来てね。何でも好きなの作ってあげるよ」

 

 自分の娘と同い年の女の子が、いつも一人ぼっちで生活をしている。


 それがすぐ隣で、娘の友人となれば、世話を焼きたくなる両親の気持ちも分かるような気がした。


 夕食を食べ終えてから、お礼にと晴那はひまりから勉強を教わっていた。教わると言うよりは、明日提出の数学の宿題を手伝ってもらっているのだ。


 ひまりはとうに終わっているらしく、母親からもらったジーマミー豆腐を美味しそうに頬張りながら、晴那の宿題を見てくれていた。


 「…なんか、シマの親って感じだね」

 「どういうこと?」

 「優しくて素直で…あったかい」


 それは、褒め言葉だろうか。

 確かに、晴那は自分の両親に対して不満を抱いたことは殆どなかった。優しいけれど、厳しすぎずに伸び伸びと育てられ、勉強が出来なくても厳しく怒られた記憶も無い。


 「なんくるないさあ」を口癖に、背負い過ぎずにここまで育てて貰ってきた。


 「いつも味気なかったの。一人でご飯食べても、なんか作業みたいな感じで…だから、久しぶりに本当に美味しいって思えた」

 「また、いつでもきて。毎日でも」

 「それは迷惑でしょ」

 「子供なんだから甘えればいいさ」

 「……また、方言出てる」


 指摘されて、慌てて口を押さえる。やはり、両親が方言をバリバリに使っているせいか、中々抜けてくれないのだ。

 最近は以前のような焦りはないが、標準語を喋ることの難しさを痛感させられる。


 「……ありがとう」


 その笑みを見て、こみ上げてきた感情に、思わず持っていたシャープペンシルを落としてしまう。


 今のは、マズイ。


 言いようのない愛おしさと共に、可愛いと思ってしまった自分がいる。


 シャープペンシルを探すふりをして、思わず顔をそむけてしまう。


 初めて感じる感情に、酷く心はかき乱されていた。ずっと気づかないようにしていたものが、少しずつ芽を出し始めている。


 だけど、その芽が花を咲かせることはないと知っているから、晴那は今もこうして目を背けてしまっているのだ。

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