第14話


 午後の授業が始まる前に由羅と別れ、晴那は一人で教室に戻って来ていた。

 次の授業で使用する教科書を準備しながら、気分はいつにもまして晴れやかだ。


 慕っている由羅が同じ学校で、これからも一緒にご飯を食べようと誘ってもらえた。これほど嬉しいことはないだろう。


 気を抜いたらつい鼻歌を歌ってしまいそうなくらい上機嫌でいれば、「シマ」と名前呼ばれて顔を上げる。

 この学校で、晴那をその名前で呼ぶのは彼女しかいない。


 「ひまり……」


 教室で声を掛けられたことは殆どなく、つい驚いてしまう。

 ブラックの缶コーヒーを手にした彼女は、主が不在している晴那の隣の席に腰を掛けた。


 「中休み、いつもどこ行ってるの」

 「校舎裏」

 「ひとりで?」

 「ううん、友達と」


 先ほどの、由羅と楽しくお昼ご飯を食べた時間を思い出す。誰かと一緒に食べるだけで、どうしてあんなにも美味しく感じてしまうのだろう。


 いつも憂鬱だった中休みの時間が、これから待ち遠しくなってしまいそうだ。

 

 「あっそ」


 そんな晴那の明るさとは裏腹に、ひまりはつまらなさそうに席を立って、そのまま仲の良い友人らのもとへ戻ってしまった。


 そういえば、ひまりは朝からどこか機嫌が悪かったのだ。その理由が何だったのか、結局分からずじまい。


 尋ねようにも、派手なグループをかき分けて、中心にいるひまりに問いただす度胸は兼ね備えていない。


 遠くから、人の輪の中心にいるひまりを眺める。やはり彼女は人気者で、いつも誰かに囲まれている存在なのだ。


 そんなあの子と、通学時だけは接点があって、合鍵まで渡されている。どう呼べば良いのか分からないこの関係が、発展する日は来るのだろうか。







 人が少ない車内の中で、晴那は席に座りながら電車に揺られていた。朝と違って、この時間帯はいつもゆとりがある。

 そのため、一人でも問題なく電車に乗って、自宅の最寄り駅まで無事に到着することが出来ているのだ。


 マンションに真っすぐには帰らずに、一度近所のコンビニエンスストアへと足を運ぶ。

 そして母親から頼まれていたパックに入った牛乳を手に、レジの列へと並んだ。


 何気なく前の客の姿を眺めていれば、彼は一向に財布を出す気配がない。


 「お支払いは?」

 「suimoで」


 サラリーマンが取り出したのは晴那も持っている交通系カートであるSuimoだった。そのまま指定の所にかざせば、ピピッという電子音と共にお会計が完了している。

 

 スカートのポケットに入れてた、自身のSuimoを取り出して、思わずまじまじと眺めてしまう。


 「これで買い物できるの…?」

 

 まるで魔法のカードではないかと、心が躍る。 

 初めて知る発見に、心はワクワクしてしまっていた。

 

 店員に「次のお客様」と呼ばれて、急ぎ足でレジ前まで向かう。


 「支払いどうします」

 「えっと…これで」


 そういって取り出したのは、Suimoではなくお財布に入っていた小銭だった。

 新たな発見を試す好奇心よりも、もし勘違いだったらどうしようという恐れが上回ってしまったのだ。

 意気地がなく、結局いつも通り現金払いにしてしまった。

 




 その日の晩御飯中。

 母親お手製のフーチャンプルーを頬張りながら、晴那はコンビニでの出来事を母に訪ねた。


 「ねえ、電車乗る時のカードで買い物できるって知ってた?」

 「suimoで…?」


 同じように母も知らなかったらしく、信じられないといったように驚いている。あの電子カードで買い物が出来るなんて、普通思わないだろう。


 クレジットカードならともかく、電車に乗るカードで買い物をするなんて、未だに信じ難いのだ。

  

 「知らなかったさあ」

 「だよね。今日、コンビニで払ってる人いた」

 「はっさ、びっくりだね」


 晴那と違って、母は一向に方言を直そうとしない。

 「いまさら標準語なんてしゃべれないさあ」と呑気に言っているが、周囲の目を気にしない彼女が、晴那は内心羨ましいのだ。


 悪いことも、後ろたいこともしていないはずなのに、方言が出るのを恥ずかしく感じてしまう自分が、どこか情けない。


 相変わらず母が作ってくれるフーチャンプルーは美味しくて、沖縄に居たころと味付けも変わらない。


 早くこちらに馴染まなければと焦る一方、何も変わらずにいる存在にホッとしてしまっているのも、また事実なのだ。

 

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