第10話


 意識を飛ばしていた晴那が次に目を覚ましたのは、隣で眠っていたひまりの驚いた声を聞いた時だった。


 瞼を擦りながら目を開けば、至近距離に顔を赤くさせたひまりの姿が視界に入る。


 「おはよう、ひまり…」

 「おはよう…じゃなくて、あんたなんであたしのベッドで寝てんの」

 「ひまりが引っ張って出られなかったの」


 欠伸を噛み殺しながら、上体を起こす。仮眠を取ったおかげで、先ほどまで感じていた睡眠不足もすっかり解消されていた。


 これでいつも通り心地よく学校へ行けそうだと、チラリと時計を見る。

 針は10時を指しており、晴那はようやく今の状況を理解した。


 「遅刻だ…」

 「え……10時!?絶対間に合わないじゃん、てか遅刻確定だし」

 

 大きくため息を吐かれ、罪悪感に襲われる。 


 起こしに来たのに役目を果たせないどころか、隣で眠りこけてしまったのだ。


 呆れさせてしまって当然だろう。


 「あんたさあ、起こしに来て自分も寝ちゃうってどういうこと?」

 「だって…」

 「あー、もういい。とりあえず朝ごはん食べよ」


 気まずさから、ひまりの様子を伺ってしまう。


 ベッドから降りた彼女は、外の空気を吸いたいのかベランダの扉を開けていた。

 

 春の風が室内に舞い込んできて、マスクをしていたことにホッとしてしまう。


 「だるいし、あたし休むけど。島袋はどうすんの」

 「行かないの…?」

 「だって遅刻確定じゃん。職員室連行されるなら、風邪ひいてましたって言った方がマシ」

 「けど、私も休んだら怪しまれない?クラスで二人も休んで…」


 そんな不安を抱える晴那に対して、ひまりは呆れたようにオデコをでこぴんしてきた。

 地味に疎い痛みが走り、咄嗟にそこを押さえてしまう。


 「アホか。クラスで接点ないんだから誰も怪しまないから」

 「そっか…」

 「朝ごはん食べるけど、あんたも食べる?」


 ただでさえ迷惑を掛けてしまっているのだから、これ以上お世話になるのも申し訳ない。

 断ろうと口を開いたのと、晴那のお腹から虫の音が鳴ったのはほぼ同時だった。


 「用意してくるから」


 それを返事と受け取ったのか、ひまりはパジャマ姿のまま部屋を出て行ってしまう。

 彼女の後に続いてリビングに通されたが、間取りはやはり晴那の家とあまり変わらないようだ。


 インテリアの違いで印象は異なるが、部屋の広さ自体は殆ど同じだ。


 ダイニングテーブル前の椅子に腰をかけていれば、すぐにひまりが冷蔵庫から朝ごはんを取って持ってきてくれる。


 ミニ丼ほどの大きさのボウルに、なにやらラップが掛けられていた。


 「なにこれ?」

 「オーバーナイトオーツ」


 言われても全く分からない。オートミールを牛乳で浸しているようで、おまけに果物が沢山入っている。


 東京には晴那が知らない食べ物が沢山あるのだ。

 一度手を合わせてから、食べるためにマスクを外す。


 すると、向かいの席に座っているひまりからじっと見られていることに気づいた。


 「なに」

 「マスクしてない島袋、初めて見たから」

 「変…?」

 「いや、あんたまだ友達出来てないんでしょ」

 「いるよ、2人」


 咄嗟に浮かんだのは由羅の姿と、中休みに校舎裏で見かける野良猫だ。 

 見栄を張って、つい動物を頭数に入れてしまったのだ。


 「クラスにはいないでしょ。寂しくないわけ?」

 「別にもう慣れた」

 「アンタさ、クラスの女子からブスって言われてんだよ」


 陰口で、ブスと言われていることは知っている。手洗い場で面白おかしく話していたクラスメイトの会話は、いまだに晴那の記憶に残っているのだ。


 沖縄にいた頃、とびっきり容姿を褒められた覚えはないが、ブスと罵られたこともない。


 東京と沖縄では美的感覚も違うのだろうかと考えたこともあったが、そもそもクラスメイトの前で一度も素顔は晒していないのだ。


 「島袋をブスって言う奴らより、アンタの方が顔整ってる」

 「え…」

 「悔しくないの?」


 質問から逃れるように、晴那はオーバーナイトなんとかを一口頬張った。

 悔しくないと言えば嘘になるけど、いまはそれに歯向かう気力もない。


 無心で噛み締めていれば、口内に広がる旨味に思わず目を見開いてしまう。


 「おいしい!」


 オートミールを豆乳で漬け込んでいたのだろう。味が染みていて美味しいし、ラズベリーやバナナもいいアクセントになっている。


 あまりの美味しさに、ついかき込んでしまっていた。


 「東京すごい。めっちゃ美味しい」


 自然と口角が上がる。本当に美味しいものを食べると、意識せずとも表情に出てしまうのだ。


 「これ、自分で作ったの?」

 「まあ…お父さん、仕事で忙しくて家に殆ど帰ってこないし…」

 「料理めっちゃ上手なんだ」


 思ったままに伝えれば、ひまりはどこかこそばゆそうに唇を尖らせていた。

 薄らと、耳もピンク色に染まっている。


 「あんた、恥ずかしくないわけ…普通そんな真正面からどストレートに人のこと褒めないから、高校生が」

 「そうなの?」

 「そう!マウントもうざいし、足引っ張ろうとしてくるやつばっかだから。クラスの奴らだって、あたしと仲良くして話のネタ引っ張り出そうとしてるだけなんだから」


 この前、クラスの子にひまりの好きな男の子の話を聞かれたことを思い出す。


 仲は良さそうだったが、秘密を聞き出そうとする彼女たちの表情は、どこかいやらしく感じたのだ。


 「ひまりの好きな男の子聞いてきたのも、足引っ張ろうとしてたってこと…?」

 「あいつら島袋にそんなこと聞いたわけ?信じらんない、マジキモいしうざすぎ」

 「知らないって言ったけど、あんまり聞かれたくなかったの…?」


 忌々しそうに眉間に皺を寄せながら、ひまりは大きくため息を吐いた。

 しかし、しっかりと晴那の目を見て答えてくれる。


 「初恋の男の子のこと、ずっと忘れられないの。小学生の頃からずっと…それを言ったら、あいつら表向きは素敵とか言ったくせに、裏では散々馬鹿にしてた」

 「へー…ゲホッごほっ」

 「あんた勢いよく食べすぎ、犬かっ」


 立ち上がり晴那の方まで回り込んで、困ったように背中をさすってくれる。 

 その手つきは、ひどく優しい。


 水を差し出され、咳が落ち着いてからゆっくりと飲み込んだ。ようやく落ち着き始め、一度大きく息を吐く。


 「ごめんね、それで…?」

 「…しかもアイツらその相手探し始めてんの。どんだけ暇なんだっつーの」

 「そんなに、その男の子のこと好きなの?」

 「別に…」

 「いつか会えるといいね」


 予想外の返答だったのか、ひまりはマジマジと晴那を見つめていた。


 「あんた、馬鹿にしないの…?」

 「馬鹿にされたかったの…?」

 「んなわけないでしょ…本当、島袋といると調子狂うわ」


 口調はキツいが、教室にいる時のような威圧感は感じられない。

 怒っているように見えても、実際はそんなことないのだろう。


 不器用すぎる彼女に、思わず笑みが溢れてしまう。


 「何笑ってんのよ」

 「ひまり、素直じゃないね」

 「はあ…?ぼっちなのに強がってるあんたに言われたくないわよ」

 「好きでぼっちやってるわけじゃない」


 咄嗟に、本音が零れ落ちる。

 ひまりが遠慮なしにズバズバと言葉を口にするため、晴那も釣られて思ったままに言葉を返してしまうのだ。


 友達がいないことに慣れているつもりでも、本音はそんなことなくて、やはり嫌なものは嫌なのだ。


 「…教室で下向く癖、やめな」


 凛とした強い声色に、思わず肩を跳ねさせてしまう。そんな晴那の様子をお構いなしに、ひまりは言葉を続けた。


 「無理に喋らなくてもいい。けど、人を寄せ付けないオーラ出すのはやめた方がいい」

 「そんなオーラ出してないよ」

 「…自覚ないかもしれないけど、みんな取っ付きづらいって思ってる。悪口言ってくる奴もいるかもしれないけど、あんたに興味持って話しかけたいって思ってる子もいるんだよ」


 心に比例するように、目線をゆらゆらと彷徨わせてしまう。

 正直に、嘘をつかない彼女のことだから、お世辞で言っているわけではないのだろう。


 「…でも」

 「なに」

 「方言出るの怖い…」


 転校初日の、担任の剣幕を思い出す。知らなかったとはいえ、あの反応は随分と堪えるものだった。


 肩を落とす晴那に対して、ひまりは呆れたような表情を浮かべている。


 「言っとくけど、あんたの標準語結構不自然だから」

 「うそ…っ」

 「イントネーションもちょっと訛ってる。けど、あたし一回もそれでバカにしたことないでしょ」


 確かにそうだ。言い方はきついけど、ひまりは晴那の言葉を馬鹿にしたことは一度もない。

 

 聞き取りづらいかもしれないのに、急かすことなく最後まで耳を傾けてくれるのだ。


 「英語と同じで、喋らなきゃ習得しないの。聞いて、覚えて、真似して。そうしないといつまで経っても喋れないよ」

 「…いまさら、遅くないかな」

 「2年生始まって、まだ2週間も経ってない癖になに弱音吐いてんの」


 キッチンに移動をしたひまりは、冷蔵庫からグレープフルーツジュースを取り出していた。

 それを一気に口内に流し込んでから、再び晴那に向き合ってくれる。


 「あんた、沖縄に住んで何年?」

 「16年…」

 「16年住んだところと、1ヶ月しか住んでないところ。思い入れも、その土地の知識も違うに決まってる…むしろ同じの方が怖いわ」


 再びリビングに戻った彼女は、座っている晴那の前に立ちはだかる。

 そして、空になったペットボトルを、グッと晴那の目の前に突き出した。


 「周りに変わって欲しいなら、まず島袋が変わりな。下向く癖直して、前向くんだよ」

 

 彼女の意見は最もだった。

 今の環境に不満ばかり並べて、晴那が変わる努力をしなかったのは事実なのだ。


 我儘ばかり言って、駄々を捏ね続けていた。

 東京に転校することになってからずっと、拗ねていたのも確かだ。


 「…無理しなくていいから、あんたのペースで、努力していきなよ」

 「…うん」

 「あたしに言い返す度胸もあるんだから、別に弱いわけじゃないでしょ」

 「その…あんたって呼ばれるの、やだ」

 「は?」


 脈絡のない晴那の言葉に、ひまりは分かりやすく声のトーンを低くさせた。


 「あんた会話のキャッチボールする気ないわけ?」

 「またあんたって言った。晴那って呼んでくれてもいいじゃん」

 「はいはい、わかったよ島袋」

 「なんで苗字呼びなの?名前がいい」


 名字で呼ばれるのはひどくよそよそしく感じてしまう。

 ひまりの言う通り、前を向いてもいいのだったら。

 方言を気にせずに好きに喋っていいのであれば、自分の思っていることをそのまま伝えたかったのだ。


 晴那の言葉に、ひまりは先ほどの威勢を無くして動揺していた。


 「はあ?何名前に拘って…まあ、いいけど。は、晴…シマ」

 「シマ…?私、名前晴那だよ?」

 「うっさいなあ。島袋なんだから、シマでいいでしょ」


 素直に名前を呼んでくれないひまりに、ついむくれてしまう。

 しかし、視界に入った彼女の耳はピンク色どころか赤くなっていることに気づいた。


 「ひまり、恥ずかしいの?」

 「はあ?んなわけないでしょ」

 「でも耳赤いよ」

 「うっさい、それ食べたならさっさと帰って」


 ぐいぐいと背中を押されるが、ちっとも怖くない。

 ひまりも可愛いところがあって、お人形のように容姿が整っているけれど、年相応の女の子なのだ。


 不器用に見えるけど、ひどく優しくて、ひまり相手であれば感情を素直に表現できる。


 気を遣わずに済んで、彼女の前であればありのままの自分でいられるような気がした。

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