体育祭


「あっちい・・・んでまだ五月なのにこんなに気温高えんだよ。」

「まだ五月、されど五月だよー。昔は真夏だからねー、この時期は。」


(それは平安の話じゃないのか。)


 四月もあっという間に過ぎ、五月へと月日は流れる。

 春どころか、初夏ともいえる日差しはじりじりと肌を照り付けた。

 黒羽と愁の会話へ突っ込む気力も起きず、いなりは水筒のふたを開けた。冷えた水が甘露に感じるとはこのことを言うのだろう。


「じゃあ十月とかにでもやればいいだろ。」

「仕方ないですよ。秋は部活の新人戦とかぶりますから。」


 体育祭。それは入学したての一年生が初めて迎える行事であり、一番盛り上がる行事でもある。ここ八坂高校でも、三大行事とまで謳われるほど盛り上がるものらしい。

 今日の体育の授業は体育祭に向けて、クラス別での種目練習がメインだった。


「ぶっつけ本番でもいいだろ別に。」

「ただ走るだけなのにねー。」


 一学年の出場できる種目は男女別で六つ。男子は色別対抗の騎馬戦、クラス別対抗の背中わたり。女子は色別対抗の棒引き、クラス別対抗の移動式玉入れ。そして、選抜メンバーによる色別対抗リレー。

 妖怪三人組は仲良く、その選抜選手に選ばれていた。


「はいはい、文句言わない。バトン練習やるよ!」


 そう言ったのは、同じく四組の選抜選手である戸谷とやだ。

 バスケ部の期待の新人らしく、本気のいなりを除けば四組の女子の中で一番速い。社交的で、クラスの中でも中心的な人物である。委員長とはまた別のポジションで四組をまとめているといってもいい。

 そんな人物に逆らえるはずがなく、三人は木陰からしぶしぶ出て行く。

 他のクラスのメンバーはグラウンドの中央で男女に分かれてクラス別団体戦の作戦及び練習をしている。選抜選手はその周りのトラックでリレー練習をしていた。

 いなりはバトンを受け取り、位置につく。

 走順はいなり、愁、戸谷、黒羽。いなりの数メートル前には愁が態勢を整えて待っている。


「準備OKだ。走ってきていいぞー!」

「了解です。」


 いなりは軽く助走をつけ、走りだす。

 本来ならば、女子は100メートル、男子は200メートル走るところだが、今回はバトン練習なので50メートルも走らない。

 あっという間にバトンゾーンに入る。

 補給態勢の愁の手に、いなりはバトンを投げた。バトンは見事に愁の手の中に入る。


「待て待て待て!!」


 しかし、無事に渡したと思ったはずの愁が走らずにストップをかけた。


「何か問題でもありましたか?」

「いやありまくりだわ。」


 呆れたようにため息をつかれ、いなりは疑問符を頭に浮かべる。


(はて。リレーはバトンを渡せばよかったのではなかっただろうか。)


 リレー初心者とはいえ、バトンの渡し方の知識はあったつもりだがどうやら違ったらしい。


「もしかして吉祥寺さんってリレーやるの初めて?」

「はい。」


 いなりが中学の頃、体育祭でリレー選手は立候補制だった。そのため、わざわざ名乗り出なくとも枠は勝手に埋まる。

 だが、今回は体力テストの結果が全て。

 力加減をして走ったつもりだったが、それでも自分の記録は人間の基準からしたら十分速いらしい。問答無用でリレー選手に選ばれてしまった。


「走ってバトン渡す、ということしかわからない初心者なので、断ろうとしたんですけどね。」

「嘘でしょ。陸上部か何かやってたんだと思ってたのに。」 


 いなりの告白に、戸谷は目を丸くする。

 むしろ逆にどこが陸上部に見えたのだろうか。こちらは生まれてこの方本物のゴムのタータンなんて拝んだこともないのに。


「バトンを投げてよこす奴がどこにいるんだよ。いいか、普通は前の走者の合図で次の走者がバトンを受け取るんだよ。なんの合図なしにバトン投げつけられても俺が助驚くだけじゃねえか。」


 なるほど、といなりは手を打った。確かに先ほどのバトンパスでは愁の助走が遅れ、差が開いてしまう。

 しかし、そう考えると、何かひっかかる。


「その割には普通に受け取ってましたよね。」


 合図どころか投げつけるバトンパスだったはずだが、愁は落とすことなく華麗に受け取っていた。彼がストップをかけたのはその後だ。


「あー、あれは合図ねえし、なんか飛んできたけど受け取ってから止めるか、って思って。」

「本気で言ってます?」

「?普通だろこれくらい。」


 つまりこの男、飛んでくるバトンの気配だけで振り返らずバトンを受け取ったというのだ。

 いくら半分妖怪とはいえ、全く見ていない物体の動きを気配だけで察知するのはかなりの研ぎ澄まされた感覚が必要だ。

 中学時代の部活経歴からしてスポーツ馬鹿なのは薄々感じていたが、それよりも戦闘とか武術の才能がありそうな気がする。

 しかし、本人がそれに無自覚とはどういうことだ。天然なのか、馬鹿なのか。

 いなりは珍生物を見るような目で愁を見てしまった。


「野生のカンっていうのかねー。」

「カンどころの話じゃないでしょう。」


 同じことを考えていたのか、黒羽もまた面白うそうなものを見るような目を向けている。

 一方で、その当人である愁は「なんのことだ?」と首をひねっていた。




◇◆◇




「吉祥寺、バトン片してきてくんない?あたし体育係だからちょっと先生のとこ行ってくる。」

「分かりました。」


 練習後、リレーはそこそこの出来に仕上がっていた。

 黒羽もリレー初心者と言っていたが、いなりよりものみこみが良かった。ニ、三回やっただけで戸谷・黒羽間のバトンパスはほぼ完璧になっている。いなりもまだ若干不安な所もあるが、十回中八回はうまく渡せる自信がある。練習初日にしてはいい手ごたえだったといえよう。

 戸谷からバトンケースを受け取り、いなりは愁と黒羽に声をかけてから部室棟横の体育倉庫へと向かった。

 古い校舎なだけに、倉庫はさらに古い。建付けの悪い扉を足でこじ開ける。中に入ると、すぐにカビと埃の匂いが入り混じったようなにおいがした。年末の大掃除くらいでしか掃除されないであろう。用具が石灰粉や砂にまみれ、雪景色とは言い難い光景が完成していた。

 人工的にできた汚い雪原に長居するつもりはない。いなりは入り口そばの棚にバトンケースをねじ込んだ。

 これで頼まれた仕事は終わり。いなりは早々にその場を立ち去ろうと扉に手をかける。

 しかし、扉は開かなかった。はて、と不振に思い、試しに取っ手に手をかけてみる。ガチャガチャとこじ開けようとしたが、無駄だった。

 構造上、この体育倉庫には鍵がかからない。それに、思い出せばいなりは入ってきた時、扉を閉めていなかった。


(これはあれか。)


 閉じ込められた、という状況にもかかわらず、いなりは冷静に分析を始めた。

 自分が体育倉庫に向かったことを知っているのは黒羽と愁、そして戸谷の三人だけ。この三人から恨みを買うような真似をした覚えはない。嫌がらせではないだろう。

 そう考えると、考えられる原因は残り一つ。

のモノが介入している。


(少々荒技となってしまうが、仕方がない。)


 取っ手にかけていた手を放し、指を鳴らした。すると、いなりの周囲に火の玉が数個、ふわりと浮き上がる。

 狐火きつねびである。


「いたずらは通用しませんよ。」


 警告するように狐火で周囲を照らしす。

 すると、突然壁板が一枚ひっくり返り、小鬼が出てきた。忍者のような登場の仕方に、思わずいなりは目を見張る。


「あちゃちゃ、人の子に化けてたのか。」

「ちぇー。つまんないの!」


 小鬼は全部で五人。緑、黄、紫、赤、水色のカラフルな髪の色で、お揃いの作務衣を着ている。

 手乗りサイズの小ささで、見ようによっては西洋の小人にも見えるかもしれない。

 小鬼達は倉庫の内の体育用具を上手く使い、壁から下へと降りてきた。


(家鳴りか。)


 家鳴り、別名:和製ポルターガイスト。

 住み着いた家の柱や家具を揺らす妖怪で、学校なんかでは『十三階段』や『開かずの間』といった怪奇現象を起こす。

 彼等にとって、家は体の一部であり、自在に動かすことができるのだ。妖力の強い者なんかは家の配置を入れ替えることができるようになるんだとか。

 今回も人間に対してのいたずらのつもりでやったのだろう。生憎、相手は同じ妖怪だったが。

 しゃがんで家鳴り達の目線に合わせると、赤髪と紫髪の家鳴りが興味津々の様子で近寄ってきた。


「珍しいな。混じった匂いがするよ、この子。」

「狐さんだね。」


 鈴の音を転がすように笑い、楽しそうに狐火の周りではしゃぐ。

 しかし、いなりには次の授業がある。申し訳ないが彼らと戯れている暇はなかった。


「授業があるので扉を開けていただいてもいいでしょうか。」


 彼らの気分を損ねないよう、なるべく誠実に頼む。

 怒らせてしまったら、学校が倒壊しかねない。


「あ、ならちょっと待って!!」

「怖いお犬さんがいるから、今はダメ!」

「狐さんなら、ぜったいダメ。」


 扉に手をかけるいなりを慌てて制する家鳴り達。いなりのジャージの裾を掴んでぶら下がっている。


「怖いお犬さん?」

「うん。怖いお犬さん。二匹もいるの。すっごく強い。」


 水色の小鬼が一生懸命手を広げて説明する。なんとなくすごく強いということは伝わってきた。

 ―――お犬さん。強い。

 そんな妖怪いただろうか。 

 入学して早一カ月。いなりもこの学校に慣れて、どういう妖怪がどこにいるかは把握しているつもりだった。

 しかし、屋内を領域テリトリーとする家鳴り達がここまで警戒するということは相当強い妖怪だ。

 言われた通り、ここで待機するべきだろう。


「分かりました。」




◇◆◇ 




「もう大丈夫でしょうか。」


 五分ほどたっただろうか。もう大丈夫じゃないかと家鳴り達に尋ねてみる。

 すると、水色髪の家鳴りが耳をそば立てる。 


「うん、行っちゃったね。」

「もう大丈夫だよ。」


 家鳴りがちょんっと扉を触ると、今までどうやっても開かなかった扉が自然と開く。


「ばいばい、狐さん。」

「今度はあっちのおっきな建物であおーね!」


 家鳴り達に見送られながら、いなりは倉庫を出た。

 それにしても、“犬”とは一体、何のことだったんだろうか。

 もやもやとしたまま、いなりは教室へと向かう。


(あ、授業・・・。)


 チャイムはとうに鳴ってしまっていたが。

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