乙女ゲームのヒロインは婚約破棄を阻止したい

第一章⑥

　食事中の話題は、主に冬休み中のことだった。

　ミリアは聞き役に徹（てっ）する。

　エドワードは王太子の政務として各地の視察に行ってきたそうだ。書類仕事は学園でもできるが、移動を伴（ともな）う視察は長期の休暇でないと行けない。

　ジョセフはエドワードに同行したり、鍛（たん）練（れん）をしたりして過ごしたらしい。近衛騎士団の訓練に参加した時は、模（も）擬（ぎ）刀で滅多打ちにされ、全く歯が立たなかったと悔（くや）しがっていた。学園一位の剣術の腕（うで）をもってしても、近衛騎士の足（あし）下（もと）にも及（およ）ばないのだとか。

　アルフォンスは父親の政務を手伝っていたとのことだった。機密事（じ）項（こう）には触（ふ）れられないが、宰相補佐の仕事を知れたのは実のある経験だったと言っていた。リリエントを送った話は出なかった。もちろんミリアと遭（そう）遇（ぐう）したことも。

　三人とも卒業を前にして、周囲のプレッシャーにさらされたようだ。

　成人を迎えるのは十七歳だが、卒業すればほぼ大人として扱（あつか）われる。十七歳になるまでの数カ月、何もせずにぶらぶらできるわけではない。

　その点、ミリアは気楽だった。

　卒業後は今よりも責任ある仕事を任されるようにはなるだろうが、跡（あと）取（と）りはエルリックだ。まだまだ「女が表の仕事をするなんて」という気風があるため、重要な商談に出されることもないだろう。結婚相手を見つける方が大変かもしれない。

　食事を終えても、四人はお茶を飲みながらしばらく会話を続けていた。

　ふと我に返ると、周囲の席がびっしりと埋（う）まり、みな聞き耳を立てていた。

　そわそわしていると、アルフォンスが懐（かい）中（ちゅう）時（ど）計（けい）を取り出した。エドワードがそれをのぞき込んでため息をつく。

「ミリア嬢、もっと話していたいのだが、そろそろ行かなければならない」

　エドワードが立ち上がったので、ミリアも一応挨拶のため立ち上がる。

　するとその横へなぜかエドワードが回ってきて、ミリアの手を取った。

「また一緒に昼食をとってくれるだろうか？」

「……お時間が合えば」

　エドワードは少しだけ眉を寄せた。そして──。

「楽しみにしている」

　──突（とつ）然（ぜん）ミリアの手の甲（こう）に口づけた。

　反射的にミリアは手を引き抜こうとしたが、エドワードはそれを許さなかった。痛いほどにがっちりと強く握（にぎ）られている。

　どよっと周囲の空気が動いた。

　エドワードはそのまま口を離さずに、上目遣いでミリアを見た。物（もの）欲（ほ）しそうな目だ。

「殿（でん）下（か）」

　アルフォンスが非難の声を上げる。

　するとエドワードは名残（なごり）惜（お）しそうに目を伏（ふ）せ、ちゅっと音を立てて口を離した。

　そして目を細めて今一度にこりと笑うと、身をひるがえし、アルフォンスとジョセフを連れてカフェテリアを出て行った。

　一人その場に残されたミリアは、胸の前で口づけられた右手を左手で握り、うつむき真っ赤になって震（ふる）えていた。

　羞（しゅう）恥（ち）心（しん）からではない。痛みからでもない。怒（いか）りからだった。

　こんな所で何してくれちゃってんの!?

　手の甲に口づけるのは夜会などで行われる挨拶の一つだ。しかし、今ここは真っ昼間のカフェテリアである。友人同士でするものではない。

　しかもなんなのあの目は！　口づけの長さは！　音は！

　エドワードの気持ちがミリアにあることを周囲に見せつけるかのようだった。

　その場にローズがいなかったのは幸いだが、噂はあっという間に、それも誇（こ）張（ちょう）されて伝わるだろう。

　頭をかきむしって叫（さけ）びたい気分だった。今すぐ枕（まくら）でベッドを滅（め）茶（ちゃ）苦（く）茶（ちゃ）に叩（たた）きたい。

　顔がいいお陰（かげ）で様にはなっていたが、これでミリアが友人としての好意すら持っていなければ、気持ち悪いだけの変態野（や）郎（ろう）だ。

　これだからイケメンは嫌なのだ。

　　　　　　　◆◇◆

　王族やすでに爵位を継いだ貴族のために用意されている執務用の建物へ向かう途中、アルフォンスはエドワードをとがめた。

「やりすぎですよ」

「あれはミリアも怒（おこ）ってると思うぞ」

　アルフォンスの呆（あき）れた声に、ジョセフがうんうんとうなずく。

「ジェフに言われたくはない。だいたいお前はなぜミリア嬢を呼び捨てにしている」

　ジョセフは女性に対して非常に軽い。常に浮（うき）名（な）を流していて、相手も町娘から未亡人まで節操がない。

「俺はそういうキャラだから」

　アルフォンスはそれもどうかと思ったが、それより今はエドワードだ。

　休暇明けに久しぶりに会えて浮（うき）足（あし）立（だ）っていたのだろうが、限度というものがある。

「まさか、ミリア嬢を王（おう）妃（ひ）にと考えているのではありませんね？　ミリア嬢は王妃に相応しくありません。身分、教養、立ち居振る舞い。どれをとっても不合格です」

「王妃とまでは……考えていない」

「ミリアは遊びってことか？　ひどいな。女性には俺みたいに誠実でいないと」

「お前が言うな！」

「二人とも」

　アルフォンスの厳しい声に、エドワードとジョセフが黙る。

「殿下にはローズ嬢がいます。このままだとハロルド侯爵家も黙っていないでしょう。今一度ご自分の立場を考えて下さい」

「……わかっている」

　わかっていないから言っているのだ。

「どうしてそんなにミリア嬢に執（しゅう）着（ちゃく）するんですか」

「……ミリア嬢は、今最も勢いのあるスタイン商会の会長の娘だ。繫がりを持っておいて損はない」

　エドワードはもっともらしく言ったが、それだけでないのは明らかだった。

　なぜミリアに魅（ひ）かれるのか、アルフォンスには理解できない。

　言動は優雅とは程遠く、容姿がそれほど整っているわけでもない。話すことと言えば商（あきな）いや菓（か）子（し）のことばかり。どこに魅力を感じているのか。

　それでも、心で想うだけなら好きにすればいい。

　一（いっ）介（かい）の貴族であるならば、愛人とするのもまあいいだろう。

　だがエドワードは王太子なのだ。

　卒業までのあと半年、何もなければいいが、とアルフォンスは思った。