古今統帥者列伝

遠蛮長恨歌

第1話 .秦の白起(?-前二五七)

白起(はく・き。?-前二五七)

 白起は邮の人で、通称公孫起。戦国時代の歴史の一時期、秦、楚、斉、韓、趙、魏、燕が並び立って覇を競い合った戦国後半、社会情勢依然として改革と模索の中にあり、頻繁に戦争が起こり、それがあまりに激しいので規模は尚ますます大きくなった。当時西方の秦に身を置いた商鞅はここで政治改革を行い、まず主たる宗族制度を破壊し、経済的には比較的迅速な発展を可能にした。秦は富国強兵、辺境に領域を広げ、北は上郡、南は巴蜀、東は黄河と函谷関を国家の防壁とし、七国の中で最大の強国となり、絶えず軍隊を出して韓、魏、趙の国土を奪い取り、天府の雄国と賞された。


 白起は長らくの軍隊生活の中で兵法に通暁し、用兵を善くする。史書曰く、秦の昭王は常に彼を非常に信任し、常に重任を任せたという。前二九四年、秦昭王の一三年、昭王は白起を左庶長(卿大夫の一で軍政の権を司る)に任命し、秦軍を統率させ韓国を攻めさせた。白起は一挙に新城を占領した。前二九三年、白起はまた命を受け秦軍を統帥して韓、魏の連合軍と伊闕で大戦、斬首二十余万、魏将公孫喜を擒え、城五つを奪う大勝利を獲る。白起は戦功赫赫をもって大尉に昇った。前二九二年、白起は大良造(秦における最高軍政長官)に任ぜられる。翌年また軍を率いて魏の城邑六十余を下し、翌年また兵を率いて魏の重鎮垣城を下す。前二八六年、命を奉じて趙を囲み、趙の光狼城を奪った。前二七九年また軍を率いて楚に攻め入り、鄢、鄧の五城を抜き、翌年楚の都郢を下して夷陵を焼く。急迫された楚は都を東に遷した。これにより楚の西側大部分は秦の支配下に置かれて南郡とされ、白起は功によって武安君。

 

 前二七三年、白起は命を奉じ軍を率いて魏を伐つ。魏軍を大敗させ、斬敵一三余万人、華陽一帯を占拠した。前二六四年には再び韓を攻め、五万を切り、韓国の重鎮陘城を占領。しばらくして今度は晋の南過半を奪った。


 前二六二年、白起は軍を韓に派遣し、野王城を占領、上党地方と韓の都城との連携を裁ち、上党に駐守する韓軍を孤軍と為す。上党の韓将・馮亭は当時境内を根拠地とし、率いるところ将士たちに自分の意見を開示した。彼曰く「秦軍は野王を占拠し、我らが鄭を通る道は断たれた。もし秦軍が侵攻の途上、韓の黄河以南を攻めるならば救援の手立てはない。我が軍は孤軍であり力は少なく、この地を守り切ることは不可能であろう。そこで私はいったん秦に降ろうと想う。趙に帰順するより善いと考えるからだ。趙が上党を得れば秦は必定、これを攻めるであろうから。そして、韓趙の連合には秦に抗いうる勢力が無い」馮亭の主張は部局の賛同を得られ、ここに使者を派遣して約を結ぶ。趙の孝成王は相国、平原君を派遣して上党を慰労し、馮亭は華陽君に封ぜられた。前二六〇年、白起は果然として低将・王齕を派遣して上党を攻め、馮亭は軍を督して苦戦、救いの兵至らず、やむを得ず遂に上党に入る。残余の軍は難民を連れて趙に逃れた。長平関においてようやく趙の大将廉頗が兵を領し、上党二十万を救いにやってくる。しかしすでに上党は失われ、秦趙両軍は長平関の最前線で対峙する。初戦こそ趙軍わずかに怯みを見せたが、廉頗もまた著明な大将であり、豊富な実戦経験を備えていた。彼は秦強趙弱の形勢に対して守戦を採択、秦軍との巷戦を避け、塁を築いて堅守、戦闘を長期化させ、双方消耗して秦軍が戦わずして自ずから退くのを待つ。秦軍はしばしば趙軍に挑戦をいどむが、廉頗は堅持して応ぜず。領軍対峙して数月が過ぎ、秦軍は依然として攻略の糸口をつかめなかった。秦軍が深く知ったことは,廉頗ある限り趙軍を破ることは困難を極めるということ。ここで秦の宰相・王侯范雎が人を派遣して大金を積み、趙国に離間の計を仕掛ける。「廉頗は年老いていてまったく与しやすい。彼は戦争を恐れており、おそるるに足りない。実のところ秦が最も恐れているのは働き盛りな趙括であり、彼が軍を指揮していればとっくに秦軍を撃退しただろう」と。趙の孝成王はすでに廉頗に不満があり、彼が堅守して戦わず軍隊に損失を強いていると想っていた。今またこの流言に国中失望し、みな懊悩し忿怒し、遂に令を下して廉頗を更迭、新たに趙括を大将として長平に派遣した。


 秦の昭王は趙括が廉頗に取って代わったことを大いに喜び、そこでこそかに白起を上将軍と為して親しく前線に立たせ、王齕、蒙驁ら諸将とともに指揮させて趙軍と決戦させた。趙括は長平関の中に入すと、すぐさま廉頗の命令を取り消し、廉頗の作戦を改変して自ら主力部隊を率い出撃して秦軍と雌雄を決しようとした。白起は当時両側に備えをせざるを得ない地理的位置に根拠をおいていたが、まず趙軍の主力を引っ張り出してから堅守し、しかるのち再び行って衆を殲滅すると傑策した。これから交戦の初め、白起は秦軍に命じ戦線を偽り弱をもって示し趙括を図に乗せろと。果然として趙括は初戦を勝利で飾り、秦軍など一鼓のもとに破れるものと誤認、遂に長躯大進して決戦を決める。白起は趙括が見事計にあたったのを見て、戦いかつ退き、その深入りを誘い、趙軍主力をその営塁から引き離すと、しかるのち精騎をもって突如激動を為し、趙軍の退路と糧道を断つ。さらにまた悉く衆を発して、その勢耳を聾さんばかりで迅雷も及ばず。趙軍を昿野に包囲してこれを完全に孤立させた。趙軍は攻囲されること四六日、内に糧はなく外に助けなく、疲労は耐えがたく病弱は日に増す。情勢は日に日に危急を益しながらも、趙括は無策。ただ数十万の軍を四部隊に分かち、四方から包囲を突破せんとするが、秦軍はすでに外に塁を築いており、厳重に之を防いでのけた。趙軍は次々と屠殺され、秦軍の包囲を突破できたものは一人もいなかった。最後に趙括は自ら精鋭数千を率いて囲みを突かんとするが、結果兵敗れ将亡び、趙括自身は矢を受けて死んだ。趙括戦死となって趙軍は本格的に瓦解し、四〇万人が一斉に降伏。趙軍はその投降を認めておきながら、しかしあとあとの反抗を恐れて諸将と議し、「この戦役で我らはすでに上党を得たわけだが、ただ上党人が本心から秦に服すかどうか分からぬし、却って趙に戻られても困る。彼らは窮してやむなく秦に降ったのであって、これが将来患いとなるやもしれぬ。いや、必ず背いてのちの重患となるであろう。拠って我は彼らを皆殺しにするのが良いと想う」そこで秦軍はひそかに軍中に伝令し、夜寸鉄も帯びぬ四〇万人をむごたらしく虐殺し、黄河沿いに坑を作って彼らをうち捨てた。ただ二四〇名だけの比較的年若い小卒が趙の都邯鄲に帰ることをゆるされたのみであったという。もつて秦の国威いや増したが、この虐殺事件は後世まで‘長平坑殺’として歴史上の醜聞となる。


 趙の主力は長平でほぼ殲滅され、趙国境ははなはだ虚ろとなる。そこでは白起は勢いに乗じて上党周囲のすべての城邑を占領し、秦のために党都を建立。しかるのち軍を二つに分け、一路は王齕に率いさせて西へ向かわせ皮牢を占領させ、もう一路は司馬梗に率いさせて北の太原を平定させた。秦军は長躯侵入し、韓、趙両国を恐怖のそこにたたき落としたが、燕の大夫蘇代が相国・范雎のもとを訪れ、白起の勢力が強くなりすぎ、功名日増しに高まることを述べて、これは相国にとっても不利なことではないのかと述べる。 さらに彼は秦王に韓、趙情を求めることを請う。笵雎は果たしてこの言葉に動かされ、秦の昭王に面会し奏して曰く「秦軍は長期の外征で傷亡はなはだ多く、休ませ整え直す必要があります。わたくしが見るに韓、長途の和平を許されるが上策かと」昭王はこの議に賛同し、ついに韓の垣擁を収め、趙国六城を返上して白起の兵団を召還した。


 白起はもとより趙都邯鄲を撃ち、趙国を滅ぼし尽くすつもりであったが、王の命に抗うことは難しかった。やむを得ず合理的主張を放棄し、軍を撤回して秦に帰る。のち彼は相国・笵雎の思惑を知って笵雎と不和となる。二五九年秋、昭王は再び趙都邯鄲攻略を議したが、当時白起は病床にあったため、代わって王陵が大将となった。結果は陣前に利なく、白起がまもなく病から快癒すると昭王はまた白起を王陵に代えた。白起は「二年前、勝ちに乗じて邯鄲を攻めれば勝つことは容易かったでしょう。しかし今趙は元気回復しており、之を破ることは根本的に誰であろうと不可能です」といって固辞した。昭王はそこでまた今度は王齕を王陵の代わりの指揮官として邯鄲を攻めさせたが、いささかも局面を変えること敵わなかった。白起は「国君がわたくしの意見を聞かなかったために、あなた方は今このような仕儀となっているのです。いかによく師を労っても功はありますまい」と吐き捨てたので、昭王はこれを聞いて怒りに震え、のち白起の官職を革め、令して陰密に移り住ませた。さらにのち白起がなお不満から恨み言を言うのを知り、遂に使者を派遣し一本の剣を持たせ、これで自害せよと命じた。白起はやむを得ず、前二五七年すなわち昭王の五一年、咸陽の城外にて自殺した。


 白起は軍旅の中に一生を過ごし、指揮した戦は重大な戦役だけで数十、秦のため抜いた城の数は一〇〇余にのぼり、広げた土地は数千里、秦のために大功あり、罪はなかった。ただ封建時代故に国主への不満自体が罪となり、昭王の怒りが大きくなった故に、白起は遂に死を賜わらねばならなかった。功なり名遂げ、しかし身を滅ぼしたわけである。しかるに白起は軍事に関しては敵をはかること神のごとく、戦法は千変万化で、攻めて克つたざるはなく、戦って勝たざるなかった。むろんこの当時、あるいは歴史上にあっても第一級の名将の称号が失われることはない。ただし彼は人を殺しすぎたことで貶められており、ことに趙国の降卒四〇万を殺して埋めたのは残忍に過ぎると言わなくてはならないが、歴史上注目されるべき、光彩を放つ名声の持ち主であることは疑いない。

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