2  悲劇


 夢からめるように、徐々に意識が戻ってきた。人の声がする。


「この辺か?」


「ああ、音の感じではそう遠くねえ」


――助けて、誰か……。


「ちょ……おい、あれ!」


 声が止まった。足音も。


 一希はすがる思いで地をおうとする。


「あ、動いてる! おーい!」


 バタバタと近付いてくる足音。


「おい、大丈夫か?」


 肩を引かれ、仰向けにされる。


――痛っ!


 声がうまく出せない。目の前に二人の男。青ざめて、とても慌てた顔をしている。


「おっ、意識あるぞ」


「君、聞こえるか?」


 何とかうなずく。声は聞こえるが、頭が揺さぶられるような感覚があってしんどい。息をするのが精一杯だった。体の左側全部が、こたつの熱源に触ったみたいに熱い。痛くて熱い。


――タッちゃんは?


 そこにいたはずの従兄。さっきの大きな音。


 脳が一つの理解に行き着きそうになり、一希は反射的にそれをこばんだ。拒むための涙が滔々とうとうと流れた。


――そんな……嘘でしょ……。


 夢であってほしい。でも、話しかけてくる大人たちの真剣な表情は、どう見ても現実だった。


「動ける?」


「おぶれるかな?」


「いや、これじゃ……」


 男たちがうろたえるのを聞きながら一希は体勢を立て直そうとするが、身動きするたび、左半身に刺すような痛みが走った。何が起きているのか、自分の目で見下ろすこともままならない。


 唯一認識できたのは、お気に入りのヒマワリ柄のTシャツに、コップでバシャッと何かこぼしたような染みがあること。


――これは……血?


 そんなにひどい怪我をしたのか、自分はこれからどうなるのかと不安になる。


 ふと見ると、地面にも点々と血が飛んでいる。首を動かそうとすると、男の一人が一希の視界をさえぎった。その露骨な動きに、見てはいけないものがその先にあることをいやでも確信させられる。一希は気味の悪い震えに襲われた。


「大丈夫だからね。救急車呼ぶから」


「俺、通報してくる」


「よし、俺ここにいるわ」


 一番近い公衆電話は何キロ先だろう。民家となるとさらに遠いかもしれない。

 

 体の痛みが増すのと入れ替わりに、目まいはいくらかやわらいだ。遠近感が安定すると、一希は目に映ったものに違和感を覚えた。


 この袋小路の出口近く。男が今まさに向かおうとしている先だ。


「だめ! そっち行っちゃ」


 思わずとがった声が出る。


 岩壁の足元をおおうように盛り上がった土。枯れ葉や木の根に混じって、不自然な直線が見えている。


「あそこ」


「ん?」


「あれ、爆弾です、多分」


 あれ、と言うべきだったか。


「え?」


「何? どれ?」


「その、黒っぽいやつ」


「あんな小さいのが?」


「何かの部品とかじゃなくて?」


「いや、埋まってんのか」


 そう、大半が土に埋まっている。


「こうなって、こう開くとこの……ここだと思う」


 一希は爆弾のぎ目の動きを右手で示したつもりだが、左手が痛くて動かせずもどかしい。テレビでは見たことがない種類だが、図鑑に出ていた「サラナ」という小さな爆弾。その蝶番ちょうつがいの軸の部分に似ている。


 なかった。何ヶ月か前に来たとき、こんなものはなかった。


 いや、見えていなかったのだ。地中に埋没まいぼつしていた。何かのはずみで出てきてしまったのだろう。そんな危険な場所だなんて思ってもみなかった。忠晴にとってはいつもの遊び場だし、一希だって何度も来ている。


 男は、その部分を大きく迂回うかいして駆けていった。




 確かにそこにある痛みが、時間とともに麻痺まひしてくる。


 疲労の方がまさり始めた頃、誰かがドタドタと走ってきた。オレンジ色のつなぎにヘルメット姿の男。こちらを見ると、


「こりゃあ……」


 つぶやいたきり絶句する。しばしその場に立ち尽くし、気を取り直すように尋ねた。


「もう一つ、ってのは?」


「あそこです」


と、一希のそばに付きそっている男が応じた。


「ああ、これか」


 オレンジの男は舌打ちし、渋い顔で首を振る。


「やっぱり爆弾ですか」


「うん。その子は? 動けるの?」


「いや、ちょっと厳しそうですけど」


「とりあえず、あんたはどいといてくれるかな」


「えっ? いや、でも……」


 男は親指で背後を示し、目配せする。


 一希には見えない位置。そこに忠晴がいるはずだ。おそらく、一希にはとても見せられない姿で。


 事情を察したらしきオレンジの男は、第二の爆弾の周囲の土に慎重に触れた。


「しょうがねえな、待つしかねえか」

 

「あの、救急車は?」


「呼ばれてるはずだけどねえ」


 そうなのだ。オレンジの人は爆弾の人。わかっていたはずなのに、自分を助けに来てくれたという希望を、一希は半分抱いていた。


 かたわらの男が「おっせーな」とこぼす中、一希は数メートル先のオレンジの背中を漠然と見つめた。


 工具箱とおぼしきものから、厚地の布のような黒いものがベロンと取り出される。彼はそれを広げ、爆弾の埋まっている辺りに立てかけた。


 その形には一希も見覚えがある。万一爆発したときに破片から体を守るため、本来は作業服の上から身に着けるものだ。重たそうなエプロンといったところか。


 次に出てきたのは、麻紐あさひものようなもの。続いて、丸く巻かれた黒い線。


 一希には察しがついた。彼が何の準備をしているのか。テレビでもこんな場面は見たことがない。本で見た中でも、難しいから後で読もうと思っていたページにこれらに似た写真が出ていた。


 そして男が手に取った、黄土おうど色の紙包み。一希の考えが当たっていれば、あれは爆薬だ。


――本当にやってるんだ、こういうの。


 命がけで爆弾処理にあたる人たち。本の中だけでなく、実在していたのだ。




 そこへ、先ほどここにいた男が戻ってきた。オレンジの男と会釈えしゃくを交わし、こちらへやって来る。


「工事現場に軍の人がいたからさ。無線で連絡してもらったんだ」


 一希をいたわしげに見やり、


「救急車ももうすぐ来るからね」


と声をかける。


 一希は、もはや何を待っているのかわからなかった。


 体が痛い。息をするのが辛い。水が飲みたい。母さんに会いたい。でも、家に帰ったらきっとひどく叱られる。あっちの爆弾を早く安全にしてほしい。


――タッちゃん……。


 忠晴が無事だと、誰か言ってほしい。もう叶わないと知りながら、それでも一希は願った。




 まもなく、サイレンの音が近付き、止まった。切り通しもこの辺りは幅が狭いため、車では入れない。


 それらしき人々が到着し、にわかに騒がしくなる。皆そろってヘルメット姿。水色のつなぎの三人組がこちらへ走ってくる。


 そこからは目まぐるしかった。彼らは一希の脈を取り、シャツやキュロットをたくし上げて怪我の様子を確かめ、ここは動かせるか、こうすると痛いか、など一通り尋ね、一希はされるがまま、痛ければ痛いと声を上げた。


「お名前言えるかな?」


冴島さえじま一希」


「さえじまかずこちゃん」


「かずき、です」


「ああ、かずき、ね。今日は誰かと一緒に来たの?」


 はっとしてを見やると、さっきの男はいつの間にかいなくなっていた。一希の視線の先はブルーシートで囲われている。


「従兄、です」


「その子のお名前わかる?」


「冴島、たっ、たっ……」


 たまらず嗚咽おえつした。


 ブルーシートの中に向かい、沈痛な面持おももちで手を合わせる人々。その光景が最後の宣告だった。


 忠晴はもう、この世にいない。




 気付けば一希は担架たんかに乗せられ、小走りの男たちに揺られていた。ふと見上げると、岩壁の上にオレンジ色の作業服の男。


 ヘルメットをかぶっていて顔はよく見えないが、先ほど爆破準備をしていた人よりオレンジ色が濃いし、だいぶ若そうだ。一人たたずみ、何をするでもなくただじっと、ブルーシートの中を見下ろしている。




 一希の胸元を染めた血はべとりと赤黒く、Tシャツが救急車の中でジョキジョキと切られてしまうまでの間、不安を煽った。


 真相を知ったのは何日も後のこと。あれは自分の血ではなく、忠晴のものだったのだと。




 忠晴の血。


 父や叔父、叔母と同じ血。


 一希自身の体にも半分だけ流れている、の血だ。



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