ファイル22 ご注文は肉まんですか事件
私、森井凛は家出中です。
家出して、昔から家族で常連だった中華料理店の青龍閣のお世話になっています。
基本的に恥ずかしがり屋の私が、チャイナドレスを着て接客業をするのは大変ですが、歳も近い
この前も、外国のお客さんに私が戸惑っていたら、春ちゃんが助けてくれました。
春ちゃんは凄いです。
年下なのに、お姉ちゃんみたいです。
もちろん、私の本当のお姉ちゃんとは、全然似ていませんが。
私のお姉ちゃんは私と違って友達づくりが上手です。
ちょっと童顔ですけど、目元はキリッとしています。
すぐ怒ったりするけど、優しいです。
私の大好きなお姉ちゃんです。
ただ――、そのお姉ちゃんといろいろあって、ただいま私は家出となっています。
一度だけ、お姉ちゃんが家出する私に会いに来てくれましたが、ちゃんとした話はできず、もうそれっきりです。
あるいは、ずっとこのまま――
「凛ちゃん。ちゃんと手を動かしてね。まだお仕事あるよ」
「え? あ、うん――じゃなく、はい! ごめんなさい」
テーブルの後片付けをしながら考え事をしていたら、春ちゃんに注意されてしまいました。
いけません。
私はこのお店のお世話になっているんですから、ちゃんと働かないと。
それに、今は日曜の夜九時。
これから夕食という人もたくさん来ますし、その人たちはたいていお酒飲みです(お酒……)。
私は気合を入れなおすと、素早くテーブルを片付け、厨房に向かいます。
次の料理の配膳のためです。
ただ、お皿を持とうとした瞬間、春ちゃんに止められてしまいました。
「あ、ちょっと待って、凛ちゃん」
「え?」
「これは私がやっとくからさ、悪いけど他の仕事頼まれてくれない?」
春ちゃんはそう言うと、ビニール袋を私に手渡しました。
中身は、ホカホカな肉まんが二つです。
「面倒な常連さんがさ、出前してくれって電話してきたんだよね。ただ、私も他のスタッフさんも手一杯だから、お願いできる?」
それは初めて頼まれるお仕事でしたが、私は断れる立場ではありません。
私は素直に「どこに持っていけばいいの?」と聞きます。
私は、あんまり遠いところや、エッチなお店のあるところだと嫌だなと思いましたが、幸いにして出前先はすぐ近くの公園でした。
歩いて十五分くらいです。
「それじゃ、急いでいってくるね」
「うん――あ、いや、のんびりでいいから」
春ちゃんはそう言って私を見送ってくれましたが、やっぱり急いだほうがいいと思い、私は小走りで道を駆け出しました。
それに時間的な話だけでなく、走ったほうが寒さが紛れると思いました。
なにせもう十一月の下旬です。
一応、上着は着てきましたが、下半身はスリットのあるチャイナドレスのままです。
夜の外気が太腿にけっこう突き刺さります。
なので身体を温めるためにも、私は出前先の公園へ急ぎました。
ただ、いざ公園に着き、出前した人を探そうとして、私はある問題に気づき、慌てました。
というのも、私は春ちゃんに出前の目的地を聞いていたものの、誰に出前するか聞いていなかったのです。
なのに、公園にはたくさんの人がいるのです。
ここは、海沿いで夜景も見える広々とした公園なので、カップルも多いですし、日曜日とはいえサラリーマンの方もたくさんいます。
ちなみにスマホは持ってきていません。
となれば、私に残された道は三つです。
一つ目は急いでお店に戻って、お客さんの特徴を聞くこと。
ただ、お店まで往復するとなると、頑張って走っても十分はかかり、肉まんは冷えてしまうでしょう。
二つ目の道は、いま私がここにいる人々の中から、お客さんを探し当てることです。
一人ひとり「肉まんの出前をしましたか?」と聞いて回ってもいいですし、肉まんを出前しそうな人を推理で見つけるというのもありです。
ただ、内向的な私がこの場の全員に話を聞くにはかなりの勇気が必要ですし、推理をしようにも手がかりが少なすぎです。
私はミス研所属ですけど、果南さんみたいに頭がいいわけじゃないのです。
……あんな魅力的な人と私は、違います。
……。
では三つ目の道ですが、これもちょっと勇気がいります。
それは、この場の誰かにスマホを借りて、お店に電話することです。
お店の電話番号は覚えていませんが、検索すればすぐに分かるでしょうし、他の二つの方法よりも確実で、短時間で済みます。
ただ、いきなり知らない人――それもチャイナドレスを来た女子高校生――にスマホを貸してくれる人がいるかどうか、そしてその人にちゃんと私がお願いができるか、それが問題です。
見渡すと、やはり目につくのはカップルとサラリーマンですが、夜だからでしょうか、みんな怒ると怖そうに見えます。
でも、聞かなければいけません。
私は意を決して、すぐ近くのベンチに座るカップルに声をかけようとしました。
が、そのときでした。
「ああ。あなた、もしかして赤龍門の人?」
後ろから声をかけられました。
それも、私が働く中華料理屋の名前をちゃんと言い当てて。
私は、びっくりしましたが、そういえば私の下半身はチャイナドレスなので、誰から見ても中華屋さんの店員だと一目瞭然です。
だからお客さんのほうから私を見つけてくれても全然不思議じゃありません。
私は、声をかけられ、振り向くまでの一瞬でそう理解すると、すぐに接客スマイルで「おまたせしました」と言おうとしましたが、
言えませんでした。
ただ単に、びっくりした顔のままでいました。
後ろから声をかけられたからではありません。
私が出前のための店員だと見破られたからでもありません。
そこにいたのが、私のよく知る人だったからです。
「ああ、これこれ。私、この肉まんが好きなのよね。はいこれ、五百円」
その人は、なんでもないようにただのお客のように振る舞い、私からビニール袋を取り上げると、代わりに五百円を手渡してきました。
その手は、ずっと夜風を浴びていたのか、酷く冷たいものでした。
ただ、その人は笑顔で言います。
「あなた、手冷たいわね。よかったら、あなたも肉まん食べる? 私のおごりよ」
私の手は――さっきまでお店で働いていて、ここまで駆け足で来たので、それほど冷たいはずがありません。
しかし、その人はそう言いました。
ちょっと、棒読みで。
けれど、私はそれを断ろうかと思いました。
今、この人とは一緒にいたくありませんでした。
いえ、正確に言えば一緒にいたいのですが、物事はそう単純な話じゃないからこそ、私は家出したのです。
だから私は、首を横に振ろうとしましたが、
――その人に差し出された肉まんが――とても温かかったので――
「それじゃあ……、いただきます……」
そう頷きました。
すると、その人は、私の頷きにどこか安心したように息をつきました。
ただ、その後、何かあるのかと思いきや、特になんの会話もありませんでした。
夜の公園で、ただひたすら肉まんを食べる女子高生二人がそこにいるだけでした。
しかも肉まんは美味しいものでしたが、ものの数分で食べ終わってしまいました。
そして、その人も私も、じっと立つだけでした。
夜風を浴び、波と車の音を聞くだけ。
この人は、きっと何かの話をするつもりでここに現れたのでしょうが、何も言いません。
あるいは私からしっかり話すべきだったのかもしれませんが、突然の事態に、私も勇気が出ません。
――いっそお酒でもあればいいのに。
そんなことを私が思いはじめたとき、その人は突然「あれ!」と声を発しました。
私は肩をびくりとさせ、なに? と思いましたが、その人は指を差していました。
海の向こう側に堂々と立ち、鮮やかなイルミネーションを照らす円形の巨大建築物――大観覧車を。
「あれ、乗りましょう」
「え?」
私はあっけにとられますが、その人は素早く私の腕を掴むと、ずんずんと歩き始めました。
力強く、私の腕を引っ張ります。
私はされるがままで、ちょっと転びそうになりました。
ただ、その人は慌てて「あ、ごめん」と言い、歩くペースをゆっくりにしてくれます。
また、私の腕を掴むのをやめて、私の手を握りました。
「いい、かしら?」
ずるいことに、この人は握ってから尋ねてきました。
そんなの、断れるはずがないのに。
私はその人の冷たい手を握り返すことで、その問いの答えとしました。
いったい、この人が何を考えているのか分かりませんが、もう今日は黙ってこの人についていくことにしました。
ゆっくり、一緒に歩いていきました。
目的地の観覧車は、桜浜のシンボルの一つではありますが、その足元の遊園地は知名度も低く、都会の真ん中ゆえに比較的こじんまりとした面積で、私も訪れるのは久々でした。
しかしいざ近くに来てみると、記憶にあるよりも、遠くから見るよりも、ずっと大きいことが分かり、私はちょっと圧倒されます。
そういえば、高さは百メートルを超えるとか――。
三十階建てのマンションに相当する高さです。
きっと、頂上からの景色はとても綺麗なものでしょう。
ただ、さすがにそれほど大きいだけあって、この街のシンボルなだけあって、いまは日曜の夜ということもあって、けっこうな行列に並ぶことになりました。
その間、私は下半身のチャイナドレスを曝け出したままだったので、寒いうえに、ちょっと恥ずかしかったです。
もし、私の手を握るその人が羽織る上着がロングだったら、私に貸してくれたかもしれませんが、その人の上着は普通のジャケットでした。
これでは今の私の上着(カーディガン)と変わりありません。
ただ、そうやって並んでいる間も、私はその人と、ずっと手をつないでいました。
だんだん、その人の手も温かくなってきていて、私もその人も、手が汗っぽくなってきましたが、それでも手はしっかり握り続けました。
最初は、この人と一緒にいたくないなんて思いましたが、今はむしろ――ずっと握っていたい気分でした。
だって、これからどんなことになるか分かりませんし。
この人が、今日話すことの内容によっては、私がこの人と手を握るなんてことは、もう最後かもしれませんし。
――やがて、私たちの番になりました。
係員さんの誘導に従って、私たちはゴンドラに乗り込みます。
手をつないだままだったので、二人並んで座ります。
ゴンドラの中は風がないだけ、ちょっと暖かく感じました。
そして、ゆっくりとゴンドラは上昇していきます。
少しずつ、桜浜の夜景が目の前に広がっていきます。
まだ低所ですが、遊園地のイルミネーションなんかはとても綺麗な輝きです。
ただ――、相変わらず、その人との会話はありません。
もしかして、行き当たりばったりで観覧車に乗ろうと言い出したのでは? と疑いたくなります。
実際、この人は勢いで行動するところがあるので――
「実はね――」
と、その人はまた突然に口を開きました。
「私の後輩が――、前に言っていたのよ。観覧車に乗りたいって――」
「後輩、が……」
その言葉に、私の心臓がちょっとドキリとしました。
「あー、前に後輩と一緒に花火を見に行ったんだけどね、そのとき花火を見るのに観覧車ってのも考えていたらしいのよ。まぁ、今日は花火なんてないけど……」
「……」
そういえば、そんなことを言ったこともありました。
それをこの人が覚えていてくれたのは嬉しいですが、しかし、そんなサプライズみたいなことをしてくれるということは――
――やっぱり、これが最後なのかもしれません。
もう諦めろ、と宣告されるのかもしれません。
そう思わずにはいられません。
知らず、私はこの人の手を強く握りました。
「だから、まあ、あなたがその代わり――って言っちゃあ、後輩にも失礼なんだけど――、どう? この景色」
「えっと……はい……。とても綺麗です」
私は、正直に言います。
それに久しぶりに乗っただけあって、ちょっと感動もしました。
ですがその人は、「そう?」と、なにか納得できないというふうに小首をかしげました。
そして、
「それじゃ、――、好き?」
その人は、そう続けました。
それは、何が好きという話なのでしょう。
景色が?
それとも――
いえ、いずれにせよ私の答えは決まっています。
「好き――です。すっごく――」
私は自信満々に答えます。
するとその人は小さく「そう」と相槌を打つだけで、また次の質問に移りました。
「だったら、私の顔は好き?」
それは思わぬ質問でしたが、今度は何が好きかと明確化されました。
それだけに私はちょっと緊張しましたが、これも自信満々に答えます。
「はい、好きです。すっごく――」
さっきと同じ答えだったけど、さっきよりも強くはっきりと口にしました。
しかし、その人はまた「そう」と相槌を打ち、さらに少し不満そうな顔をしました。
そして、
「私は、――――、あんまり好きじゃないのよね」
そう言いました。
何が、とは言いませんが。
話の流れからすれば、自分の顔であることは明らかですが。
いえ、普通に考えれば、それ以外の何があるというのか、という話ですが――。
「私は好きじゃない」
その人は、強調しました。
「好きじゃない、全然」
さらに、言います。
そして、黙り込みました。
目を逸しました。
私を見ません。
窓の外の、夜景を見ています。
私が好きだと言った顔を、私には見せてくれません。
観覧車のブーンという静かな機械音が響くばかりになりました。
その音は、無機質なのに、妙に私の心を揺さぶります。
心臓が、大きく脈打っていました。
胸の奥底が、何かで締め付けられるような感じがしました。
呼吸も、なんとなく苦しくなってきました。
喉と肺が、機能していません。
顔から血の気が失せてきました。
もとから寒い季節でしたが、肌が異様な寒気を訴えだしました。
私の手は、まだこの人の手を握っているというのに、その感覚がなくなりました。
けど、それなのに目頭が熱くなってきました。
目から、涙が出てきます。
涙が止まりません。
止めようと思えば思うほど、流れ出てきます。
そして、この人との思い出が、頭の中に次々と湧いて出てきました。
十六年分の思い出が――。
けれど、思い出すとまた涙が出てきます。
もう、一生このままかと思うほど、涙が出てきます。
このまま、この人と別れても、ひとりぼっちで、この涙は流れ続けるのかと思うほど――
だけど、
「だけど、私は――って、なに泣いてるの!?」
その人は急に振り向くと、驚いた様子で声をあげました。
「え? なに? どうしたの? どこかにぶつけたの? それとも風邪ひいてた? え、無理してた? ごめんね、大丈夫? 病院行く? 救急車呼ぶ? ねえ、凛。大丈夫?」
その人――お姉ちゃんは、酷く慌てた様子で私の身体に異常がないか確かめ、狭い観覧車を右往左往し、そしてスマホを取り出して「一一九番って何番だっけ?」と私に尋ねました。
あまりな様子に私もなんとか涙を堪え、お姉ちゃんの手を止めます。
「平気、だから――、怪我とか――病気とか――ないから」
「え……、じゃあ、なんで泣いてるの?」
お姉ちゃんは不思議そうに、本当に不思議そうに聞きます。
なんでって――そんな当たり前なことをなんで聞くのでしょうか。
私はちょっと腹がたったせいもあり、声を張って言います。
「だって――、お姉ちゃん――、私のこと嫌いなんでしょ!? だから、私とは付き合えないんでしょ!? それが悲しくて、泣いてるの!」
私はそう怒るように、しかし、ついお姉ちゃんの胸に身体を預けて、また泣きました。
こんな状況でも、私はお姉ちゃんに頼りたかったのです。
抱きしめてほしかったのです。
そんなことない、って言ってほしかったのです。
しかしお姉ちゃんは言います。
「ちょっと待って。え、待って――、いや待って――。いつ、そんな話した?」
お姉ちゃんは不思議そうに、本当に不思議そうに聞きました。
その様子に私も思考が停止し、涙も停止し、なんとなく外の景色を眺めます。
そこは、もう観覧車の頂上付近で、とても綺麗な景色が広がっていました。
・・・幕間・・・
「凛のこと嫌いなんて話……してない、よね? ……えっと……」
お姉ちゃんはぶつくさと今日の出来事を振り返ります。
「……肉まん食べて……、観覧車行こうって言って……、アイリの話して……、景色が好きかって聞いて……、私の顔が好きかって聞いて………………、で、私が凛のことを好きって話そうとしてたけど勇気がでなくて凛から顔を逸して……、それでいざ勇気を出して振り向いたら、凛が泣いていて…………」
「………………え?」
「………………あ? ………………あ」
「…………………………………………」
「…………………………………………」
お姉ちゃんは黙り込んで、顔を硬直させ、身体を硬直させて、しばらくそのままでしたが、やがて顔を赤々とさせました。
また、一方の私も、事態を飲み込めず、しばらく思考が停止していましたが、やがて顔が熱くなってきました。
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