ファイル11 体育祭の二日後事件
「まだギリギリ六月だってのに、暑いですね」
「暑いっていうか、熱いわ。この校庭、実は巨大ホットプレートなんじゃないの?」
暑さに活力を奪われた私は地面を見やりながら言う。
だが、いくら見たところで太陽光は私の頭と背中を照らすし、体育祭は続く。
そう。本日は我らが桜浜高校の体育祭であり、私は校庭を囲うように連なる席の一つに腰掛けていた。
当然ながら、いま私の隣にいるアイリは、本来ならずっと遠くの一年生の席にいるべきだったが、次の種目に出るついでに寄り道したらしい。
「あなた、次は何に出るの?」
「大玉転がしです」
「そういえば、凛も大玉転がし出るって聞いていたけど?」
「ややややっぱ私は大玉転がしでないです。――わわわ私、そろそろ行きますね。ままままた後で」
それはあからさまな逃げだったが、私は追求しなかった。
なにせ本当に暑い。
インドア派のミス研にこの暑さで体育祭は虐待に等しい。
萌もバテていたし、果南は早々にどこかへ避難していた。
それに凛も病弱体質なので、うっかりすると熱中症になる危険性が――
と、そこまで考え、つい私は凛とアイリを別人と考えてしまっていたことに気づく。
凛は病弱体質のくせに我慢強いから、私がちゃんと注意してやらなければならないのに。
次にアイリと出会ったら、私のスポーツドリンクを飲ませよう。
そう思っていたのだが――
凛は熱中症ではなく、怪我を負った。
大玉転がしの最中に転び、幅十センチ以上の大きな擦り傷を膝に作っていた。
別に歩けないとかそういう傷ではないが、この後の競争系の種目は大事を取って棄権することになった。
また、怪我が痛むのか、先程のアイリは「また後で」と言っていたが、その日は結局アイリとは会わずじまいになった。
ただ、会わずじまいになり、私は考えて、考えて、二日後になった。
「こんにちは。おとといはお疲れさまでした」
快活な声がミス研に上がり、私も果南は釣られて明るい返事をする。
体育祭は疲れたが、翌日は振替休日で休みだったので、あらかたの疲れは取れていたのだ。
ただ私は、アイリに挨拶を返すなり視線を下げて、その下半身に注目した。
本来の桜浜高校には学校指定のハイソックスがあるが、アイリはくるぶしも見えるアンクレットを好んで履いていた。
そのためアイリはいつも健康的な太腿、ふくらはぎをいつも曝け出していたのだが、
「今日は、タイツ、なのね」
私は言う。
するとアイリは、私から目を逸し、
「そそそそそうですね。ええ、ええ。きききき今日はそういう気分なんです」
「今日は、今年一番の暑さらしいけど?」
おとといの体育祭も暑かったが、今日は気温三二度、湿度八五パーセントとのこと。
なのにアイリは黒のタイツを履いていた。
しかも厚手の。
「てててて天気予報、見てなかったんで」
「……ふーん」
私は軽く相槌を打つが、やはりそう来たかと思う。
膝の怪我なんて、スカートでは基本的に隠しようがない。
うちの学校では女子のスラックスも可だが、凛は未購入。
そうなると、当然ながら選択肢は、スカートの丈を膝下にするか、ニーハイソックスやタイツで覆い隠すのみ。
さもないと私にその怪我が凛と同じだと追求されてしまう。
だがスカートでは防御が心もとないので、アイリはタイツを選んだ――というところだろう(家を出るときの凛は学校指定のハイソックスだった)。
だが、それは、そのタイツさえ取り除いてしまえば、アイリに残る防壁はなく、私の攻め放題となる。
そうなると、問題はそのタイツの除去方法だ。
すぐに思いつくのは、いまさっきまで私が飲んでいたお茶を――
『きゃあ――! 熱い!』
『ごめんなさい、アイリ。うっかりお茶をこぼしてしまったわ! ヤケドしたら大変だから、早くタイツを脱いで! ほら脱がせてあげるから! 全部脱いで!』
――なんて方法があるが、明らかに変態の所業だ。
しかも確信犯なのがバレバレ。
では、話の流れからタイツに興味を示すのはどうだろう?
『私、タイツってあんまり履かないのよね。ちょっと見せて、触らせて、一回脱いで私に履かせて。ほら、脱がせてあげるから』
――さっきより変態っぽい。
だが、そうなると、私も手段を選んではいられない。
先日、傘を投げ捨てたアイリよろしく、私も捨て身の覚悟がいる。
アレでいくしかない。
それは、デメリットはある方法だが――、私は決心する。
「あー、肩が凝るわね。果南は平気なの? 胸が大きいと凝るって言うでしょ?」
まず私は果南に声をかけ、世間話を膨らませる。
「ん? まあ確かに他の子よりは疲れるだろうが、それだけにブラ選びは時間をかけているよ」
「ああ、ブラか。でも可愛くて性能のいいブラって高いのよね」
私はアイリに背を向けて話した。
だがそうすれば自然とアイリは話題に入ってくる。
「鈴先輩は運動不足なんじゃないですか? ほら、肩の筋肉がないと肩凝りしやすいって聞きますよ」
しかも、ちょうどいい話題の膨らませ方をしてくれた。
だから私は、計画を一気に進行させる。
「まあ、そうね。おとといの疲れがまだ残ってるわ。あ、そうだ、アイリ。今なら私の肩を揉ませてあげるわよ」
「え!? ほほほ本当ですか!? それじゃ、あのあの、むむむ胸のマッサージもよければ……」
「それはいらないわ」
私はぴしゃりと言うが、ゆったりと椅子に座り直し、その背をアイリに委ねた。
これは一見すれば、先輩が後輩をこき使っているように見えるだろう。
ただ、実はこの後、私はアイリをもっとこき使う。
肩が終わったら腕、腕が終わったら足のマッサージもさせる。
アイリならきっと喜んでやる。
だが、そこまでやらせれば、詰みだ。
私へのマッサージが終わったら、今度は私がアイリにマッサージをする。
マッサージのお返しとして、お礼として。
もしそれを断れば、アイリは先輩の礼を拒絶する無礼者になるので、アイリは私のマッサージを受けざるを得ない。
もちろん最初は肩揉みからスタートさせてアイリを油断させるが、もちろん足もマッサージする。
そうすれば、タイツを脱がさずとも膝に触れて絆創膏の膨らみを確認できるし、膝を軽くつついて「痛い」と言わせでもすれば、怪我の存在は白日の下に晒される――という寸法だ。
二日前、凛が怪我して、アイリが姿を見せなかったときから考えだした完璧な作戦だ。
まあ、しいて言うなら――
私は他人に身体を触れられるのが嫌いなのに、アイリに触らせるというデメリットはある。
だが、まあ、ちょっとぐらいなら我慢できる。
――たぶん――あんなことにはならず――我慢できる――はず――。
「それじゃ、肩もみしますね」
アイリは普通に私の肩に手を置き、普通に私の肩を揉みはじめ、
「キャゥッ!」
私は思わず甲高い声をあげた。
途端、アイリの手は止まり、元から静かに本を読んでいた果南もこちらを見つめて静止し、私も心臓が止まりかけた。
「……鈴先輩? えっと……痛かったですか?」
アイリが恐る恐る問うが、
「いえ……。いい感じよ。ただ……、ちょっと力が強すぎかしら」
私は慎重に、落ち着いた声で言った。
「……もう少し、優しくお願いね」
「あ……、それじゃ、優しく……」
私のお願いに、アイリは戸惑いながらも受け入れる。
――まだ、大丈夫。
――次は、我慢できる――はず。
アイリが、私の肩に改めて手を触れる。
それに対して私は、肩に力を入れ、歯を食いしばる。
これではとても肩揉みを受け入れる体勢ではないが、背に腹は代えられない。
「いきますよ――」
アイリが再び、指に力を入れる。
そして、
「ひゃん!」
「……」
「……」
「……」
私の地声は決して高くはない。
だが、今の声は、いかにも女子らしい声だったと自覚できる。
それも、形容詞をつけるとしたら、可愛い、またはイヤラシイ、あるいは甘ったるい。
「……つ、続きはもういいわ」
私は諦めた。
今日の計画は失敗に終わった。
ここは戦略的撤退をしなければならないところだ。
だが、敵は、アイリは、私への追撃戦に移った。
「いえいえいえいえ! 鈴先輩は体育祭の疲れがたまっているみたいなので、わわわわ私がしっかりマッサージで癒やします!」
「ちょっ! いいって! あ――! ちょっと、そこは――ひゃ、ひゃぅん!!」
アイリは私の肩をがっちり掴んだ。
だが力強いのは最初だけで、そこからはピアノを弾くようになめらかに指関節を稼働させ、私の肩を程よく揉みほぐした。
「鈴先輩、肩がとーっても凝ってるみたいですね。ここなんか、どうです?」
「あ――ちょっと――! ダメ――!」
アイリはとても朗らかに言う。
しかし、私は甲高く甘ったるい声を我慢できず連発していた。
「ん――! あぁ! ――ひゃうん! ううん!」
「あー、鈴先輩ったら、肩がガチガチですね。もっとしっかりとほしますよ」
「あ――ちょっと――んんん――」
「あぁ、ちょっと鈴先輩、暴れないでください。ちゃんと気持ちよくしますから」
しかもアイリの手は絶妙なタイミングで強弱を繰り返し、背中から腕まで流れるように私の筋肉を揉みほぐす。
だが、これ以上はヤバい。
もう肩から全身がほぐれすぎてしまう。
「んん――果南――助けて――」
私は無駄を承知で果南に助けを求めた。
きっと果南は、面白いものを見る顔で、何もしてくれないだろうが、それでも私は助けを求めずにはいられなかった。
だが、果南はいつになく神妙な面持ちで立ち上がると、「アイリ君」と声をあげた。
私は、もしかして、と思う。
しかし、もしかして、は、もしかして、で終わる。
「
「もちろんです!」
「やあァ――! ん、もう――ダメ! ――ダメダメ! あ――ひゃ――背中は弱いの! ――ダメなの! あ――! つま先もダメ――!」
さて、ある意味では虐待というより拷問に近いそれは、三十分あまり続いた。
その間、私は何度も逃走を試みたが、二人の拷問官相手に逃げられるはずもなく、むしろその逃げた罰として、より良いマッサージが私には提供された。
そうして、マッサージするほうが疲れてきて、
「いやぁ、とても疲れたが、とても充実した時間だった。やはり運動はいいな」
「私も同感です」
とても清々しい果南とアイリがいた。
そして、
「――もう、お嫁にいけない――」
私は屍となっていた。
・・・幕間・・・
「凛。肩揉ませて」
私は、凛の自室に突撃するや否や言った。
すると凛は、突然の侵入者に驚いた様子を見せるも、「いいけど……」と小さく頷く。
だが、
「気持ちいい?」
「……うん。……気持ちいいよ?」
どれだけ肩を揉もうとも、腕を揉もうとも、足を揉もうとも、最後には胸を揉ませてもらったが、凛はせいぜい顔を赤らめるばかりだった。
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