ファイル3 妹には優しくすべき事件

 夕方、学校からの帰り道。


「ところで、凛は好きな人とかいるの?」


「え、えぇ!?」


 私は世間話の延長で何気なく聞いたつもりだったが、彼女は大声をあげた。


 目をまんまるにして驚き、だがすぐに顔を赤くして、口から「はぅぅ」と小動物の鳴き声を出して、


「な、なんで……突然……?」


 なんて、今度は小さく言った。


 あまりに可愛らしい反応だが、これこそが私の妹、森井凛である。


 アイリでは考えられないようなリアクションだが、そのアイリと同一人物疑惑がある本人である。


 これほどの差異があるので、私もまさか凛がアイリになりきっているとは最初は思わなかったのだ。


 しかも、凛は恥ずかしいものでも見るかのように、両手で顔を覆い、指の隙間から私を見つめてくる。


 こんなのだから、凛相手には、アイリに対するように凛=アイリ疑惑を堂々と聞けていなかったのだ。


 だから今日は遠回しに恋愛トークで凛の様子を伺おうとしたのだが、思いのほか驚かれてしまった。


 私は慌てて言い繕う。


「あ、いや、うちの高校って、けっこうそういう手の早い人が多いから、凛も誰かに言い寄られていないかなって思って」


 まあ、手が早いと言っても主にアイリとか、アイリとか、アイリしかいないが。


 だが凛は、私の言葉に安堵したように息をついて答える。


「あ……あぁ……、そういうのは、ないよ」


 か細い声だったが、それは姉を安心させようと気配りするような優しい声だった。


 つくづく、不思議なことにアイリとは大違いである。


 だが、だからこそ、妙な疑惑はさっさと決着させるに限る。


 私はあらかじめ考えていた計画に移る。


 ちょうど人通りが少ない高架下にまで来たことだし。


「何もなければいいんだけど、これからもそういうことがないとは限らないし……、ちょっと練習してみましょうか?」


「れ、練習?」


 凛は戸惑う様子を見せたが、私はぐいと凛の肩を抱いてみせる。


「今からね、私が凛のこと口説いてみせるから、凛はそれに耐えて、私を拒否してみせて」


「え、え? 私を、口説く?」


「そう。もしも学校で強引な人に口説かれたときのための練習ね」


「え……えっと……」


「これは、凛のためだから」


 私は優しい笑顔を作る。


 すると凛は、少し迷ったようだが、やがて「うん」と頷いた。


 それに対し、私もまた満足げに頷くと、私は凛を壁際へと押しやった。


 すると、そこは高架を支える柱の陰になっていて、離れた人間からは何も見えなくなる。


「あ、あの……お姉ちゃん……」


 凛が不安げな声をあげる。


 だが私は「しばらくは、お姉ちゃんじゃないわ」とくすりと笑う。


 そして、


「あなた、とてもいい匂いがするわね」


「――!」


 私は、普段ではありえない艷やかな声を出し、柔らかな笑顔を作ってみせる。


「私は鈴っていうの。あなた、お名前は?」


「え……えっと……えっと……凛……です……」


「そう。名前も素敵ね。それにあなたの綺麗な目に、よく似合うと思うわ」


「そ……そうですか……?」


 凛は謙遜する素振りを見せるが、私が言葉を発するだけで凛の顔は赤みを増していった。


 さて、計画はこうだ。


 私が凛を口説くことは、言わばゲームである。


 だが、これがアイリであればゲームだろうとなんだろうと私の口説きを本気にして、暴走し、殺人鬼モードになる。


 前科があるのでわかる。


 なので凛=アイリならば、凛も殺人鬼モードになる可能性は高く、そうなれば凛=アイリという疑惑は置いといても、凛が姉である私に恋愛感情を持っていることが明らかになる。


 私自身、妹を口説くマネなんて恐ろしく恥ずかしいし、控えめに言って死にたくなるが、背に腹は代えられない。


「よかったら、今度の土曜日――は予定があるから、日曜日に私とデート、なんてどうかしら? 私、あなたのことをもっと知りたいの」


 私は言いつつ、凛のことならたいていのことはもう知っているけどな、と思う。


 だが、凛にはちゃんと効果があるようで、相変わらず顔は赤い。


「え、えっと、その日は用事があるので」


「あらそう。それじゃ、いつなら空いているかしら?」


「あ……え、えと……えっと……ど、土曜日だったら」


「それじゃ、土曜日の予定はキャンセルするわ」


「え――!?」


 凛は目線を下げてしまっているが、頬の赤みは十分だった。


 また、私も思いのほか上手な口説きができていることに我ながら驚いた。


 昨日の夜、峰不二子のマネをしておいて良かった。


 恥ずかしいのは確かだが、もうひと押しで行けそうだ。


 私は凛の顎に手をやる。


 そこは、汗のせいか、ほんのりと湿っていた。


「そんな顔を下に向けないで。私に、あなたの可愛い顔を見せて。ほら――」


「あ、あの……」


「緊張しているの? それじゃあ、私の魔法で緊張をほぐしてあげましょうか?」


 そう言いつつ、私は凛の細い腰に手を回す。


 凛の身体は強張っていたが、素直だった。


 まるで嫌がる素振りを見せない。


 面前で、私に吹きかかる息も熱くなっている。


 ただ、知らず、私の息も、羞恥のためか熱くなってきていた。


「ねえ、緊張をほぐす魔法――かけてほしい?」


「い……いえ……、あの、あのあの……」


「あら。いらないの?」


 私は言って、凛を抱き寄せる。


 顔と顔が近づく。


 ここまで来れば、私がすべきことは、あと一つ。


 私はそれを――


「とってもいい気分になるのよ?」


 私は凛と顔の角度を合わせる――が、


「ああああ、あのあのあのあのあのあのあのあのあのあのあの」


 凛は、突如として早口で声をあげた。


 そして、


「お姉ちゃん、ごめん!」


 凛は目を力強くつぶり、私を押しはねのけた。


 私は、ついに凛が暴走したかと思ったが、凛は駆け出した。


 私を置きざりにして、逃げ去ってしまったのだ。


 ものすごい俊足だった。


 そして、


「――――――」


 私は頭をボリボリボリボリと掻きむしった。


 恥ずかしさで死にたくなったからだ。


 演技とはいえ、妹相手に何をしているのか……。


 しかも凛は恥ずかしさのあまり逃げ出してしまった。


 さすがにあとで謝ったほうがいいだろう。


 まあ、暴走しがち、というアイリとの共通点がより強調されたことにはなるが。


 私は溜息をつき、凛の後を追うように、とぼとぼと歩きだした。


 足取りが重い。


 だが、十秒とたたずして、凛の姿が目に入った。


「あ、凛――」


 私はすぐに声をかける。


 そして謝罪の言葉を口にしようとする、が、


「あ、ああああああれ? すすすす鈴先輩じゃないですか。こここここんなところで会うなんて偶然ですね。ももももももしかして鈴先輩の家って、こここここの辺なんですか?」


 そこにいたのは凛ではなく、不自然なほど顔を赤くし、額から汗を垂らし、肩で息をし、壁に手をつく愛里坂アイリだった。


 私は、途端に先程まであった反省・羞恥という言葉を忘れ、アイリを力なく睨む。


 だがアイリは私に構わず言葉を続ける。


「ああああああの鈴先輩。じじじじ実は私、ささささ最近学校で妙な人に口説かれているんで、そそそそそんな人を断る練習っていうのを、ししししししてみたいんですけど、つつつ付き合ってくれませんか?」


 アイリは言って、私の腰を抱く。


 アイリの手はやたら熱い。


 だが私はそれに構わず、


「痛い!!!!!」


 アイリの頭にゲンコツを落とした。


 アイリは頭頂部を押さえ、即座にうずくまり、声にならない苦痛の声をあげていた。


 大げさなりアクションだが、実際のところ、殴った私の拳もけっこうな痛みを訴えていた。


 しかし、それでも私は大きく大きな溜息を優先させる。


「はぁ――。なんで口説かれる側が私に触ろうとしてんのよ」





 ・・・幕間・・・



 私はアイリを置き去りにして家に帰ったが、リビングのソファーに深く腰掛け、私は凛の帰宅を待った。


 今までは凛の弱々しい態度を前にして強く詰問できなかったが、今度こそはアイリ=凛かどうかを明らかにしてやるつもりだった。


 そして、私に遅れること十数分で凛は帰ってきたが、


「ちょっと、凛! こっち――来な、さ――い――」


 私は、頭頂部をさする凛を見て、言葉のトーンを急激に萎ませた。


「え……えっと、頭……どうしたの?」


「え……えっと……、あの……、ちょっと……ビルの上から、植木鉢が落ちてきて……」


 ……もし本当に植木鉢が落ちてきたら、きっと凛は死んでいると思うが。


 ただ、凛の目元は、赤々と腫れていた。


「……えっと……氷嚢、作る?」


 私が問うと、凛は遠慮がちに「うん」と頷く。


 私はゆっくりと、しかし急いで氷嚢を作るが、氷嚢を凛の頭に乗せると同時に言う。


「なんか……あの……ごめんね……」

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