第15話『南佳奈』


「内閣官房長官の補佐官……」


 ということは現、官房長官・小角一心おづのいっしんの秘書……。成る程、これは確かに電話では話し難い類の話だ。そして、色々納得できた。守秘義務、萩の旧家、村田清美のあの態度……。


「ですけど、それがソラちゃんの事故とは何の関係が?」

「私たちにも詳しくは分からなかったのですが、誰かから警察に情報提供があったらしいのです。しかも、その人物はソラ姉ちゃんの死の真相を記した手記なるものを持っているという話です」

「手記ですか……」

「はい、私もその話は警察の事情聴取の時に質問されました。その手記を『見た事はあるか』と、聞かれました。勿論そんなものは見た事ありません。ですが清美さんはソラ姉ちゃんが養子縁組を断った経緯や、別居の経緯、そして、ソラ姉ちゃんの肉体関係……。それらの具体的な内容を何度もしつこく質問されたそうです」

「どういうことですか」

「どうやら警察は最初から村田家による虐待や強要のような話を探っていたみたいです……」

「……」


 その時、私の脳裏にも〝政治スキャンダル〟という言葉が浮かんだ。


「……ですが、結局それらを立件できるほどの証拠が集まらず警察は事故として処理したというのが真相の様です」

「まあ、それはそうでしょうね。もし本当にそんな手記なるものが存在しているのなら真っ先に警察に証拠として提出されないとおかしい。無かったというのならそれらの話は全部嘘という事になる」

「はい、ですが問題はそこからなんです。今度はそれらの聴取を受けた事自体がマスコミに知られソラちゃんの死が疑惑の死として報道されそうになっているのです……」

「なっ……」私は思わず絶句した。


 確かにマスコミになら証拠は必要ない。疑惑があって噂があれば記事にも出来る。ましてやそれが現政権のスキャンダルともなればダメ元でそういう話が出てくることもあるだろう。


「だから私たちはそんな記事が報道される前にソラ姉ちゃんの事故の真相を知ろうと思ったのです」

「それで手袋の話を私に尋ねたのですね」

「はい」

「でも、それだったら警察に任せた方がよいのでは」

「警察は既に事故として処理したので動いてはくれません。捜査はもう終わっています。逆に新しい証拠でも出てこない限りは……」


 成る程、それで私に話を聞き突破口を見つけるつもりだったのか。


「あの、その、ですからその手袋を渡した経緯や今になって突然送り返そうとしていた理由に心当たりが無いかと思いまして……」

「黙っていて申し訳ありません。実は私も当時の記憶があいまいでして、その手袋をソラちゃんに手渡した記憶が無いのです」

「記憶がないですか……」

「はい、私は当時それを失くしたものとばかり思ってました。何故ソラちゃんがその手袋を持っていたのか皆目見当もつかないのです」

「そうですか……。ソラ姉ちゃんはそれを小箱に入れて大事そうにしまってましたから、何か大事な思い出の品だと思っていたのですが……」

「……」


 向井明菜はうなだれた。申し訳ない。しかし、私にはそれを思い出すことが出来ない。それでもどうしても話が聞きたかった。それがソラちゃんに関することならば今は何でも知りたいと思ったのだ。このぽっかりと空いた心の穴を埋めるために……。だから……。


「あの、その話、私にも手伝わしてもらえませんか」


 だから、私は向井にそう告げた――。



 食事を終え鎌倉まで戻って来る頃には夜もすっかり更けていた。丁度、閉店準備をしていた駅前の酒屋に飛び込み適当に目についたウイスキーを購入した。銘柄はカティーサーク。帆船のラベルで有名なスコッチウイスキーだ。


 ――なんだかんだといいながら最近はすっかりお酒に溺れているな……。


 アトリエへ帰った私は早速瓶を開けた。飲み方はトワイスアップ。ワイングラスにウイスキーを注ぎ一緒に買ってきたミネラルウォータを同量注ぐ。ソファーにどっかりと座りグラスに鼻を付け華やかな果実のような香りを楽しんだ。軽やかな蜂蜜のような酒精が胃の中へと落ちていく。


 ――多分これで良い……。


 今、私の胸にぽっかりと空いた穴を埋めるには、もっとソラちゃんの事を知る必要があるのだろう。私の知りえなかったソラちゃんの事を知るのには向井と一緒に行動するのが最善策に思えたのだ。だけど、何だろう、この奇妙な感覚……。何かがおかしい……。今、私は漠然とした不安にさいなまれている。



 ――おや、携帯電話が鳴っている……。


 私はバッグを漁り携帯電話を取り出した。


「んげっ! 南佳奈みなみかなだ……」


 南佳奈は高校時代の美術部の先輩である。そして、同時に呑天楼のオーナーである南勝也の娘でもある。


「はい、もしもし」私は電話に出た。

「おう! ハルっち元気ー! 今日お店に来てたんだってー」

「ええ、まあ」


 相変わらずテンションが高い。


「だったら、私んとこにも顔出しなさいよー。もう」

「いや、人が居たもので」

「んんー、聞いたよー。清楚系の可愛い女子を連れてたんだってー。何? 口説いてんの?」

「いえ、真面目で内緒の話をしてたんですよ」

「へえー、真面目な話ねー。仕事の話とは言わないんだ。ふーん」

「私にだって仕事以外の真面目な話くらいありますよ」

「そうなんだ、へえー。ちなみにー、何の話だったの」

「先日亡くなった幼馴染の話ですよ」

「へ? へえー、珍しいわね……」彼女の声のトーンが下がった。

「何がです」

「ハルっちが過去の話をするなんて」

「そうでしたっけ」

「幼馴染がいるなんて話、私は初めて聞いたわよ」

「……」


 そうだったかな? この人とは結構な回数お酒も飲んでいるはずだ。どこかのタイミングで話したような気がしていたが記憶違いだろうか?


「ねえ、もうちょっと詳しい話を聞かせてよ。そうだ今から久しぶりに一緒に飲みましょう」

「いえ、それはお断りします」私はきっぱりと断った。


 今、一つだけはっきりと思い出した。私がお酒を断ったのはこの人が原因だった。グダグダと管を巻きながら絡んできて朝までお酒に突き合わされて惨い二日酔いにさせられた。もうあんな思いは御免なのだ。


「えー、けちー。もう、一緒に飲も、飲も、飲も」


 ああ、五月蠅い。


「お断りします」

「えー、良いじゃない、ちょっとくらい。けちー」

「もう、切りますよ。飲むのならまた今度、日を改めてです」

「やったー! また今度ね、楽しみにしてるわよ」

「はい」


 私は電話を切った。

 一瞬で精神をごっそり削られた気がする。


 ちなみに彼女の現在の職業は漫画家である。呑天楼のすぐ向かいのマンションに仕事場がある。描いている作品は青春物のラブコメ……。ただし、男同士の熱い絡みが評判の作品である。

 絶賛執筆中タイトルは湘南ビーチボーイズ。真面目で一途なサーファーと暴走族の友情を描いた作品である……。


 腐ってやがる。

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