第5話 講師はマンツーマン、志望校への確実な合格を約束します。

 《白馬の嘶き亭》の建物は大通りから見て反対側が凹んだ形になっていて、そのくぼんだ場所に位置する中庭は宿の宿泊者以外からは見えなくなっている。

 訓練でもなるべく自分の手の内を他人に晒すことを良しとしない俺にとっては、この場所は理想的な環境だ。

 役目を終え無造作に置かれた樽や木箱を軽く横に退けて、簡易的な戦闘スペースを作ると俺はミリアに呼び掛ける。


「よし、んじゃまぁ、軽く模擬戦といくか」

「待ってました師匠!」


 俺が入り口から建物に呼びかけると、ミリアがドタドタと中庭に入ってくる。その姿は、雑用品を入れる背嚢を背負っていない以外は冒険時のそれである。

 訓練でも軽装ではなく冒険時の装備を使うのは、初心者ルーキー悪魔狩りスレイヤー》の鉄則だ。なるべく実戦と変わらない環境に身を置かないと、装備や重量の関係で訓練での動きを実戦で再現できない事もありうる。折角やるからには少しでも身になる訓練を施したい。

 特にこいつはアドリブなんかにめったやたらに弱いので、少しでも練習と違えば、実戦で「ぐへー!?」だとか、「ぬぎゃー!?」みたいなアホな悲鳴をあげることになる。聞くに堪えない雑音は出る前に消す、これに限る。


「よしよし、ちゃんと着込んで来たな」

「はい! 最初の訓練の時に軽装で行ったら小一時間床に座らされて説教されたことは、流石の私でも憶えていますよ師匠!」

「お前が三歩歩いて忘れるアホ未満じゃなくて嬉しいよ俺は」

「えへへ、それほどでもないですよー」


 ……褒めてねーけど。


 軽くやり取りをしながら、俺はアホみたいに……いや、アホそのもののだらしない笑顔を浮かべたミリアをじっくり観察する。優れた観察眼は、《悪魔狩り》にとって必要不可欠。たとえ、以前対峙した相手でも、そのコンディションは日によって違う。そのわずかな違いを見極めることが、こちらの生死に繋がることもあり得るのだ。


 まぁ、俺に出会った悪魔に二度目はないけどな。


 そんなことを考えながらミリアを見ていると、俺はあることに気づいた。


 ふむ、腰にポーチが何個か増えてるな。俺が買えと言ったものではないし、こいつの考えで着けたものか。


 ミリアの腰に以前はなかったポーチが数個ついている。今回の課題のために増設した小物入れの線もあるが、背嚢や外套のような移動用の装備を外してきて、これだけを残しているのはこいつなりの意図があるととるのが自然だ。 

 俺はそれに気づいたことを悟らせないように気を配りながら、自分の得物を抜くと中段に構える。

 俺の得物は綿と布を刀身に巻き付けた、超慈悲深き木剣だ。ミリアはこれを「愛情注入棒ラブリースティック」などというアホ極まりない名前で呼ぶ。ケツの穴にでもぶちこんでやれば、発言を改めるだろうか。

 まぁ、俺は師匠から少し刃引きしただけの真剣でだらだら血を流しながら鍛えられたので、愛はともかくとして優しさ位なら多少はこもっているのは間違いないのだが。


「んじゃ、やるか。条件は《加護ブレス》の不使用以外はなんでもあり。いつでもいいぞ」

「よーし、いきますよ師匠!」


 ミリアが武器を抜き放つ。こいつの使う武器は全て実戦で使う真剣だ。実戦と同じ武器でないと重量差で取り回しに差が生まれて役に立たない。

 それに、俺はこいつから一撃もらうほど雑魚でもない。もしこいつから一撃もらうことがあれば、それは俺の引退の日に他ならないだろう。


「ふふふ、5日という大冒険を越えて成長した私に、師匠も感涙すること間違いなし! ……いや、今回こそ私の勝利もあり得るのでは?」

「おっ、アホが思い上がってるな? ボコにするから覚悟しとけ?」


 たった五日の冒険で俺に勝つなど、思い上がりも甚だしい。まぁ、それがこいつがアホである所以なのだが。

 俺は単独で深部 《魔界リンボ》に潜り、30日以上現地補給しながら活動したこともある。それから比べればこいつの冒険の密度など、場末の食堂で出される野菜スープのように薄い。もちろん具もほとんど入ってないやつだ。


「では、地上に降りた最後の天使こと、師匠の一番弟子ミリア・コルド参ります!」

「前口上、前のと変わってないか?」


 軽口を叩きながら、お互いに構えを取り合い模擬戦が始まった。

 ミリアは膝を軽く曲げ、右手の剣の腕を引いて左手の盾をやや前に構えるオーソドックスな剣盾スタイル。盾でのパリィや受けからカウンターを狙う。

 対する俺もあらゆる動きに対応しやすい中段に片手で構える。剣先は目の位置。その先を通して敵を見る。


「てやー! とやー!」


 ミリアは気の抜けるかけ声を上げながら右手の剣を過剰に振り回してこちらを威嚇する。

 正直、一見無駄に疲れるだけの無意味な行為だが、恐らくこれにも腰に着けたポーチのように、こいつなりの意図があるはずだ。


「戦闘において、あらゆる行為は勝利への布石でなくてはならない」


 これは俺の師匠の弁だ。

 戦闘では隙を見せた方が先にやられる。だから戦闘では、いかに相手がつけ込んでくる隙に繋がる無駄な行為を減らせるかが肝要だ。

 しかし、それをあべこべに利用することもできる。一見無駄に見える行為に勝利への仕掛けを仕込めば、隙を突いたと思い込んで必殺を確信した相手の、その油断を逆手に取って殺せるわけだ。

 中には、俺が昔一緒に戦った《狂言回しトリックスター》のように、戦闘中に本当になんの意味もない行動をする奴もいるが、それは例外中の例外だ。

 俺は、この健気な弟子の作戦にあえて乗ってやる。やりたいことを自由にやらせて、そこから改善点を学ばせるのも初心者を育てるコツだ。

 まぁ、調子づいたアホを、作戦ごとズタボロに破った上でコケにしたい気持ちも多分に混ざってるが。


「ほや! てい! とーう!」


 ミリアは相変わらずのアホなかけ声。もしこれがこちらの気を緩ませる作戦なら効果有りだが、恐らくこれはこいつの素だろう。

 アホなかけ声と、それに合わせての無駄に大きな剣の動き。これが意味するところはーーー


「ーーーシッ!」

「おっ!」


 体捌きだけで雑な攻撃を避け続けていた俺が、若干大きなステップで後退したその時、ミリアが動いた。

 俺のステップに合わせてミリアが素早く腕を振る。しかし、それは剣ではなく盾を着けた腕の方だ。盾に隠れた手の先から、鈍い銀の輝きがこちらに向かって放たれる。

 投げナイフだ。


 なるほど、腰のポーチはナイフホルダーか。


 そんなことを考えながらも、俺は軽々とそれを剣で弾く。もし剣で最初から攻撃を凌いでいたら、飛んでくるナイフを無理な体捌きで避けることになり、そこから隙に繋がったかもしれないが、さすがにそんなへまはしない。


「ふっ! ふっ!」


 何本かナイフを握り込んでいたらしく、立て続けにミリアがナイフを放つ。投げる合間に、右手の剣も地面に刺してホルダーのナイフに手をかける。どうやら中距離戦で押し切る作戦のようだ。

 しかし。


「それはあまりよろしくないな」

「あ」


 ミリアの攻撃の手が止まる。

 なぜなら、俺が先ほど庭の脇に退けた樽の影に隠れたからだ。射線が通らないと、弓と違い貫通力のない投げナイフは途端に無用の長物になる。


「おら、ここからだぞ、少し足掻け!」


 叫びながら樽を蹴飛ばす。転がる樽は、その形状ゆえに不規則な動きでミリアへと迫る。


「わ、わわっ!?」


 突然の反撃に狼狽えたミリアは慌ててこれを回避。しかし、突き立てた剣の回収を忘れる。減点1。


「おらおらどうした! 品切かよおい!」


 回避で体勢を崩したミリアへと俺は迫る。この時、先ほど弾いて地面に転がったナイフを回収。ミリアの鼻先へと放つ。


「ひぇ!?」


 目の前の地面にナイフが突き立ったことで、ミリアの体が反射的に止まる。減点2。

 そして、俺は逃げ足を奪われたミリアに肉薄。剣を振り上げる。ミリアは咄嗟に盾で頭部を隠す。緊急時に想定内の動き。減点3。


「動きがバレバレだぞ!」


「ぐわぁーーーー!? ぎゃん!?」


 振り上げた剣ーーーではなく、肉薄した勢いのままにがら空きのミリアの胴に蹴りを放つ。

 ミリアの最初の叫び声は蹴られた衝撃で地面を転がった時のもので、二つ目は樽にぶち当たった衝撃によるものだ。

 そのまま目を回すミリアに、俺はゆっくりと近づいて鼻先へ剣先を突き付ける。


「まだやるか?」


 焦点の定まらない虚ろな目で、ミリアは力なく首を左右に振った。


「こ、降参しましゅ………」


 ミリアの「降参」の声を聞いた瞬間、俺は突き付けたラブリースティックを中庭に放り投げた。


「よーし、模擬戦終わり! 装備外して片付けしたら部屋に集合だ。すぐ反省会だからな」

「ひゃい……………」


 ラブリースティックとまだ目を回すミリアを中庭に残して、俺は先に建物へと入る。

 一人になった俺は「はぁ~」と溜め息をひとつ吐くと、ぐるぐると肩を回した。肉体的には全く疲れていないが、やはり指導という観点で相手を観察しながらの戦闘は骨が折れる。

 戦闘での観察眼は今までの経験でかなり磨かれているし、元々、観察力の高さは師匠からのお墨付きも貰っている。

 しかし、それでも疲れてしまうのはひとえに「指導」という活動が付いて回るからだろう。


 昔は観察した相手はぶっ殺してたから、観察した相手に指導するなんて無かったもんなぁ。あー、めんどくせぇ。


 観察して、殺して、はい終わりの昔と違って、今はその後に「指導」しなくてはならない。昔、組織にいたときに後人の育成のために教官にならないかと誘われたことが何度もあったが、その度に断っていたのもこの「指導」が嫌いだからだ。


 自分ではよく分からんが、俺の指導って分かりやすいらしいからみんな質問攻めにしてくるんだよなぁ。まぁ、ミリアのアホが分かるぐらいだから素質はあるんだろうが、それとやりたいかどうかは別問題だからな。


 それでも断りきれずに何度か「指導」をしたこともあったが、毎回質問攻めにあった上に、噂を聞きつけた奴らがどんどんと集まって、「指導」をやる度に参加者が増えすぎて辟易させられたものだ。


 師匠はその辺り上手くやってたよなぁ。模擬戦の後は毎回、あからさまに嫌そうな顔をして質問を許さなかったからな。


 俺の師匠は、教官ではあったが教官としては最底辺のクズだった。弟子同士を刃引きもそこそこの剣で切りあいをさせる「決闘」という訓練に始まり、そこそこ深い《魔界リンボ》に弟子を一人で突っ込ませる「お使い」という名の口減らしや、一緒に《魔界》に入るまではいいが、奥の方で急に消えて弟子を置き去りにする「散歩」など、ありとあらゆる手段で弟子の数を減らそうとしていた。

 そのくせ「弟子が優秀になったら教官はその弟子に任せて、自分はさっさと隠居させてもらおうかな!」などとのたまう、最高に性格たちの悪い人種だった。

 正直、俺がここまで強くなれたのも「早く強くならなければ、こいつの下では早晩死ぬ」という危機感に依るところが大きかったのかもしれない。


「まぁ、組織を抜けるときに師匠には面倒事を全部押し付けたからとんとんだな、うん」


 そんな糞な師匠だが、俺が組織を抜けるときに発生した数知れない面倒事を、全部ひっくるめて引き受けてもらった(強制)ということがあるので、そこには多少の恩は感じている。


 もっとも、向こうはこっちにおんしか感じていないだろうけどな。


 ともかく、そんなこんなで弟子への「指導」はめんどくさい。特に、手のかかる弟子ほど厄介なものだ。


「ミリアはタフなのはいいけどアホだし、テンションの触れ幅がでかいからなぁ。まったく、困ったやつだ」


 俺はいかにアホのテンションを下げることなく指導をしっかりと叩き込めるか、かけるべき言葉をじっくりと吟味しながら部屋への階段を登るのだった。



◇◇◇



「よーし、それじゃあ反省会な」

「はーい」


 部屋に戻った俺たち二人は先ほどと同じように俺がベッド、ミリアが床に座る形で腰を落ち着けた。とりあえず、基本的に俺の頭がこいつよりも高ければ問題はない。


「よーし、じゃあ今回はいいところと悪いところをセットにするから良く聞けよ」

「おにゃしゃーす!」


 素なのか、あるいはまだ目が回っているのか、若干呂律が怪しいミリアが頭を下げる。ミリアの頭が上がって、聞く姿勢が整ったところで俺は口を開く。


「んじゃいくぞ。まず、今日の見所は何といってもナイフだな。これ、案外悪くなかったな」

「ほんとですか!」

「ああ、武器に意識を向けさせて、反対の盾から繰り出す。ステップ直後の硬直を狙う。一度ではなく畳み掛けるような攻撃。ロジックとしては悪くない」

「やったー!」


 ミリアが両手を天に突き上げ喜ぶ。お手伝いをして親に褒められた子供のようだ。


 まぁ、実際にこいつは子供だが。


「意外に狙いも正確だったしな。どこかで練習したか?」

「いやー、実は課題に出掛ける前に武器屋で準備をしたときに店員さんに薦められまして。《悪魔狩りスレイヤー》たるもの複数の勝ち筋を持つべきだと。お安くしてくれたんで、その場で買って冒険中に少しずつ練習しました!」

「なるほどな、その店員は中々に見る目あるぞ。もし、次の機会が有れば贔屓にしてもいい」


 メインの武器が使えないことを考えて、他の手段を持つことは悪くない。特にこいつにはそろそろ搦め手も教えようと思っていたので、今回のナイフの件はいい機会だ。

 メインの武器と別の距離レンジで戦えるサブの武器として、店員は中々に良い選択をしてくれたと思う。


「まぁ、課題もあるけどな。視線を誘う剣の動きがわざとらし過ぎるところとかな。俺なら剣で相手の思考を奪うほど思いっきり攻め立てて、それからナイフを挟む。行動が攻撃の一連の流れに組み込まれてないと、腕のいい奴にはバレるからな」

「なるほど!」

「あと、ナイフメインに切り替えたときにショートソードを手放したのは悪手だったな。手間がかかっても状況が許すなら、常に武器は身に付けろ。手元から一度でも離れた武器は二度と使えないか、最悪敵に利用される位の心構えでいろ」


 この言葉にミリアは大きくうなづく。


「確かに、師匠にナイフを利用されちゃいましたね」

「真の一流は何でも武器に変える。極端な話だと、俺の昔の同僚の《平和主義者ピースフル》なんかは防具も含めて武器を一切持たない奴で、武器は全部現地調達で済ませてた」


 《平和主義者ピースフル》は、自身の持つ《加護》にほとんど頼ることなく、その卓抜した戦闘能力だけで《踏破者ビヨンド》にまで登り詰めた異端児だ。

 武器を持たないそのスタイルは、検問などの警戒網を容易にすり抜けるので暗殺任務と相性が良く、主に悪魔ではなく組織に敵対する人間に対しての最大戦力として機能していた。

 ゆえに、もし組織から足抜けした俺に追っ手がかかるとしたら、この《平和主義者》はその最有力候補の一人だ。あいつ自身、俺と戦いたがっていたふしがあるので、命令されるよりも先に立候補して俺を殺しに来るだろう。


「へぇー、すごい人もいるもんですね」


 しかし、そんなことは露知らぬミリアは単に興味深い昔話として俺の話を聞いていた。


「まぁ、そいつはちょっとおかしい奴だったから本当に例外だけどな。とにかく、戦闘中は武器の管理を徹底することだ」

「はい、師匠!」

「ナイフに関してはこんなところか。後は戦闘全般な。お前は追い込まれたあとにあせる癖が有るから、ピンチの時こそ冷静になれ。それと、視野はできるだけ広くな。闘技場じゃないんだから空間を上手く使え。使えるものはすべて利用しろ」

「うー、肝に命じます…………」


ちょっと最後は反省点ばかりになったが、天狗になることなく、かといって卑屈モードにもならないこれぐらいで丁度いい。舞い上がりかけの頭では浮わついた思考しかできないが、少し落ち込んで冷めた頭は堅実な思考を生む。いまのこいつに必要なのはそれだ。あと、俺も鬱陶しくない。Win-Winというやつだ。


「今のお前は自分の殻を破りかけてるところだからな。殻を破り損ねて羽化せずに死ぬ鳥もいる。焦らず冷静に、これが肝要だ」

「師匠………! お気遣いありがとうございます!」


 ミリアが深く頭を下げる。この辺りの素直さはこいつの美徳だ。これを上手く引き出せばこいつはまだまだ《悪魔狩り》として伸びるはずだ。


 まぁ、それと引き換えに致命的にアホなのが珠に傷だが。


「あー、動いて腹も減ったし飯にしようぜ、飯。今日はお前のせいで無駄に労働して腹減ったから、お前のおごりな」

「はい、師匠! 私が奢るのはいつものことですが、それも計算してやりくりをしているので金銭の心配はご無用です! ……はっ!? ひとつの財布を使って一緒に生計を立てる、これはもう師弟を超えて実質夫婦と言っても過言ではないのでは?」


 ……またアホの妄言が始まった。


 聞き続けると頭痛の元になりそうなそれに、俺はすぐに釘を刺す。


「過言だアホ。お前が俺と並び立つなど烏滸おこがましいわ」

「そ、それでは私が師匠と並ぶ存在になれば、私が師匠と夫婦になる未来もあり得ると!?」

「お前、いつから起きたまま寝言言えるようになった? 寝言は寝てても言うもんじゃないぞ、うるさいからな」

「し、辛辣しんらつ!?」


 いつものように軽口を叩き合いながら、俺たちは部屋のドアへ向かう。


 今日の飯は《白馬の嘶き亭》でいいか。結構動いたから量が欲しいし、最近他の店だと俺が弟子のヒモ扱いになってきてるしな。

 ……マジで解せんわ。


 そんなことを考えていると、階下から階段をかけ上がる足音。普段聞くことのない慌てた響き。

 俺とミリアが顔を見合わせてからドアを開けると、そこには息を切らす宿の主人の親父さんの姿があった。


「親父さん、どうした? ………あっ、来節の宿代の先払いだけは勘弁して下さい。すぐに弟子が稼ぐんで、何卒なにとぞ、何卒!」


 最悪の事態を想定した俺は、慌ててミリアを指差しながら親父さんに頭を下げる。流石に今月分を払った直後の追い銭はきついし、これ以上のタダ働きも精神衛生上よろしくない。

 そんな俺の様子を見た親父さんは、一瞬呆気にとられた表情をしたが、直ぐに首を横に振る。


「ち、違うんだコールマンさん! 悪魔だ・・・、街に悪魔が出たんだよ! メリーが、うちのメリーが人質になってる!」

「……! 悪魔……」


 親父さんの放った「悪魔デーモン」の言葉で、俺の精神は一瞬で臨戦態勢に突入する。

 いつ、いかなるときでも「悪魔」と聞けば即時反応するのは、俺が組織で最初に刷り込まれたことだ。組織から足抜けした今でも、その習性は俺の一部に組み込まれていた。

 恐らく、こいつが俺の体から抜けることは死ぬまでないだろう。


「……下で待ってろ。30秒で行く。すぐに状況が理解できるように、話す情報を整理していてくれ」

「………分かった。できるだけ急いでくれよ!」


 雰囲気の変わった俺に一瞬戸惑ったが、その後すぐに返事をして親父さんは階段を駆け下りる。その姿を見送ることなく、俺は自分の装備を掴みながらミリアに指示を飛ばす。


「ミリア、すぐ出る。ついてこい。実戦だ」

「は、はい! 分かりました師匠!」


 慌ててミリアが装備を整える間に、すでに装備を完了した俺はすぐに階下へと向かった。



◇◇◇



 ーーー悪魔は皆殺し。


 それは、俺が自身に課した、くそったれな人生を少しでも豊かにするための唯一にして絶対の《作法ルール》。

 組織を抜けて《悪魔狩り》から足抜けしても、この作法は俺の魂の奥底の淀みにヘドロのようにこびりついて、いつでもガンガンと俺の頭を殴り付けてくる。

 まるで呪いみたいだと思う。

 いや、実際呪いなのだろう。

 これは、一度でも人間であることを捨てた俺へ、神が与えた罰なのだ。


 悪魔は殺す。必ず殺す。


 呪詛のような殺意が俺の中に垂れ込めてくる。

 たとえ呪われていることが分かっていても、俺に呪いを解く接吻ベーゼをくれる乙女はいない。多分、そんな都合のいい奴はこの世のどこを探してもいないだろう。


「……あなたは本当に優しい人ね……」


 刻まれた呪いで、まだ見ぬ悪魔に対して内なる殺意を研ぎ澄ます俺の脳裏に、刹那、雪が降る花畑の風景が浮かぶ。

 だがそれもすぐに消えた。

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