4-4 やっと前に進めた

 夕暮れに染まる部室の中には、ぽつりと夏奈子だけが残っていた。

 執筆するでもなく、読書をするでもなく、窓の外の茜色をただただ眺めている。静かに部室内へと入った紫樹は、憂いを帯びた夏奈子の表情をじっと見つめていた。夕日のせいなのか何なのか、紫樹の頬は若干赤らんでいるように見える。


「あっ、柚ちゃんいたんだ。さっき振りだね」


 紫樹の視線にようやく気が付いた夏奈子は、片手を上げて小さく微笑む。しかし、光磨と菜帆がいるのは予想外だったのだろう。目を丸くさせて、小首を傾げてみせる。


「もしかして、その子が噂の菜帆ちゃん?」

「は、はい! えっと……枇々木くんと同じクラスの穂村菜帆です」


 菜帆は突然話を振られて驚いたように、背筋を伸ばして返事をする。やがて、助けを求めるように光磨を見つめてきた。


「文芸部の部長の萌木野夏奈子さんだ。実は、電波ちゃんの事情を知ってる人なんだよ」

「あ、そうだったんだね。よろしくお願いします、萌木野先輩」


 緊張気味に頭を下げる菜帆を見て、夏奈子は優しく笑い飛ばす。初対面の菜帆の頭に遠慮なく手を伸ばし、くしゃくしゃと撫でまわした。


「もう、そんなに緊張しなくて良いのに。あたしも『電波ちゃんの会』の一員なんだから、もっと気楽にすれば良いんだよ」

「いや電波ちゃんの会って何なんですか。勝手に変なの作らないでくださいよ」


 さも当然のことのように「電波ちゃんの会」などというワードを口にするものだから、光磨は透かさず突っ込みを入れる。「ごめんごめん」と言いながらも、夏奈子は嬉しそうに得意げな表情を浮かべた。


「でも、そういうことだったんだね。何であたし一人だけ部室に残るんだろーなって思ってたけど、電波ちゃんの会の顔合わせみたいな感じ? あたしも菜帆ちゃんと会ってみたいと思ってたから、嬉しいよ」


 言って、夏奈子は菜帆に優しく笑いかける。夏奈子の方が身長は高く、中腰になって菜帆に顔を寄せているため何だか微笑ましい。菜帆も少しずつ夏奈子のテンションに慣れてきたようで、表情を柔らかくさせていった。


「も、萌先輩」


 一方で、何故か表情が硬くなってしまっているのは紫樹だ。


「ん、何かな? もしかして、あたしの推理……間違ってた?」

「いえ、半分間違ってないです。でも、違うんです。萌先輩に残っていてもらったのは、僕が……萌先輩に話があるからなんです」


 言いながら、紫樹はひっそりと握りこぶしを作る。光磨は気付いてしまった。ぎゅっと握ったこぶしだけではない。震える声もそう、必死に夏奈子を見つめる瞳もそう。

 紫樹は今、さっきの菜帆とは比べ物にならない程に緊張しているのだと。


「ほ、ほう? 話って何かな? ほれほれ、お姉さんに言ってごらんよ」


 滅多なことでは動揺しない夏奈子が、まるで紫樹につられるように瞬き多めになる。夏奈子が動揺することなんて、光磨が思い付く限り一つしかなかった。


「萌先輩」

「……は、はいっ」


「僕はずっと……中学生の頃から、萌先輩のことを見ていました。萌先輩の言葉に励まされて、頼れる先輩で、憧れで……でも、それだけじゃないんです。僕は、萌先輩が……萌木野夏奈子さんのことが好きです!」


 窓も開いていないのに、ぶわりと強い風が吹いた気がした。

 それか、夕日が眩しすぎたのだろうか。――などと言い訳を並べたくなるくらい、光磨は紫樹のまっすぐすぎる告白を直視することができなかった。

 菜帆と気まずい視線をぶつけ合う。確かに突然ではなく、何らかの前触れはあった気はする。でも、だからと言って戸惑わない訳にはいかず、やっぱり菜帆と「どうしよう」と言わんばかりのアイコンタクトを交わすしかなかった。

 とにかく今は空気を消して様子を窺うしかないと思った光磨は、菜帆とともに夏奈子の反応に注目する。


「……そ、そっかそっか! そうだったんだねぇ…………。じゃ、ないか。流石に今は誤魔化しちゃ駄目だよねえぇ……。ええと……あのぅ、そのぅ……あ、あはは」


 夏奈子は、光磨と菜帆以上に動揺を露わにしていた。

 視線をあっちこっちに動かし始めたかと思えば、力のない乾いた笑みを浮かべる。いつも堂々としている夏奈子からは想像できないくらい、今の夏奈子は挙動不審だ。


「あ……ごめんなさい、萌先輩。突然、こんな……」

「ああっ、違うの柚ちゃん。告白なんて突然なのが当たり前だし、それに、その……あたし、初めてだから……こういうの」


 言いながら、夏奈子は恐る恐る顔を上げた。しかし、紫樹と目が合うとすぐにまた逸らしてしまう。こんなにも小動物のような夏奈子を見るのは初めてだ。紫樹の頬の色がますます濃くなってしまうのもわかる気がする。


「そう、なんですか?」


 紫樹が訊ねると、夏奈子は無言で頷く。そのまま自分の両手をきゅっと握り締め、やがてその場にしゃがみ込んでしまった。


「ごめんね、柚ちゃん。あたし少女漫画とか好きだし、他人の恋愛は大好物なんだけど……。自分の恋愛とかホント、考えたこともなくて……」

「あ……。そうなんですね。は、ははは……」


 今度は紫樹が苦笑を浮かべる番だった。と言うか、ほぼほぼ泣き出しそうな顔をしている。理由はどうあれ、夏奈子は確かに「ごめんね」と言った。紫樹の告白を断っていることには変わりないのだ。光磨も、どんな顔をして良いのかわからないいまま俯いてしまう。

 人が告白する瞬間も、振られる瞬間も初めて見てしまった。光磨にできることと言えば、「どんな言葉で柚宮を励ますか」ということくらいしかない。


 ――と、思っていたのだが。


「わ……わかった。わかったよ柚ちゃん。……じゃあデートをしよう! もっと柚ちゃんのことを知らなきゃ、何も始まらないから。ね?」

「…………ふぇっ……?」


 まさかの提案に、紫樹はアホみたいに大口を開けている。てっきり、今の「ごめんね」は紫樹の気持ちに対してのことだと思っていた。恋愛とか考えたこともないから紫樹のことも考えられない。そういう意味だと思っていたのに。


「あたしだってもう高校生だし、いつまでも逃げられないなって思ったの。柚ちゃんのことは中学の頃から知ってて、可愛い後輩っていうイメージが強い。だからちゃんと知りたいなって思って……って、泣いちゃ駄目だよ柚ちゃん。男の子でしょ」


 いつも通りの明るい笑顔を振りまきながら、夏奈子は紫樹の肩をポンポンと叩いた。紫樹もようやく振られた訳ではないのだと実感したのか、胡桃色の瞳に光を灯す。やがて、その瞳は光磨に向けられた。


「光磨!」

「何だよ。何でそこで俺を見るんだよ。ちゃんと萌先輩を見てやれよ」

「そうだけど、でも……僕も、やっと前に進めたから」


 言いながら、紫樹は心の底から嬉しそうに笑みを零す。

 正直、今の今まで「何なんだよこの状況は」と思っていた。確かに、紫樹は人様の恋路が好きな人種だ。だから光磨なりに解釈して、この公開告白も「自分の恋路を見て欲しい!」という一風変わった思考があってのことだと無理矢理思っていた。

 でも、今なら違うと言える。


「ねぇ光磨。僕も、光磨の背中を押せたかな?」


 きっと、「やっと前に進めた」という言葉は、光磨にも向けられたものだったのだろう。紫樹は自分のことを甘い人間だと思っていて、夏奈子に想いを伝えることだって今までできていなかった。でも、紫樹は前に進んだのだ。しかも、光磨の背中を押したいがためにわざわざ見せびらかして。


「おっ、お前……馬鹿だろ。そのために俺らに見せつけてきたのか?」


 頭の中は呆れ返っているはずなのに、何故か声が弾んでしまう。本当に、心から馬鹿だと思った。友達と呼べる存在が近くにいて、相談だってちゃんとできている。それだけで嬉しいのだと何度も言っているのに。


「うん、そうだよ。悪い?」


 紫樹は、ドヤ顔にも近い表情で見つめ返してくる。一方で自分はどんな顔をしているのだろう。呆れる程に嬉しい――と感じてしまうからこそ、光磨は早口気味の言葉を漏らした。


「悪い? じゃねぇよ。確かにお前にしては勇気を出した行動だと思う。俺に見せびらかした理由もなんとなく伝わってきた。だがなぁ、見世物にされた萌先輩の気持ちにもなってみろよ」

「えっ……あ!」


 最初は得意げだった紫樹の表情がコロリと変わる。一気に慌てた様子の紫樹が視線を移すと、そこには腕組みをした夏奈子の姿があった。


「ふぅん、そっかそっか。柚ちゃんはラブコメと同時に友情も育んでいたんだねぇ」

「あ……の、そのっ、ずっと萌先輩には想いを伝えたいって思ってて、それで……っ」

「あーうんうんわかったわかった。ラブコメは一旦中断。あたしにも休憩をちょうだい? っていうか大丈夫だから。むしろ柚ちゃんと二人きりの方があたしも緊張がやばかったと思うから、気にしないで」


 夏奈子も夏奈子でキャパオーバーになってしまったのか、友情の続きどうぞと言わんばかりに手をパタパタさせる。


「いや、ちょっと待ってください。萌先輩、デート……どうしますか?」

「う……。柚ちゃん、意外とぐいぐい来るんだね。何々、一度告っちゃったから吹っ切れちゃったのかなー?」

「吹っ切れたと言うか、多分ここでちゃんと聞いておかないとなかなか決められないと思ったので。せっかく覚悟決めたのにうやむやになったら意味がないなって」

「うおぅふ、確かにぃ……」


 紫樹の予想外にも冷静な声に、夏奈子は呻きながら眉間にしわを寄せた。そんなに恋愛ごとに弱いのかと思う程、夏奈子は「うーん」と困り続けている。


「なぁ、最初は二人きりじゃなくても良いんじゃないか?」


 気付けば、光磨は二人に向かって訊ねていた。

 いや、二人じゃなくて三人に向かって、と言った方が良いだろうか。紫樹を見て、夏奈子を見て、そして菜帆を見て、光磨は改めて思う。本当に、人と接するのが苦手な自分からしたら考えられない感情だ。でも、迷いなく思ってしまうのだから仕方がない。


 ――純粋に、この人達と仲良くなりたい、と。

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