電波ちゃんはアニソンになりたい

傘木咲華

プロローグ

プロローグ

 ――私、アニメソングになりたいの!


 そう、目の前の少女は言った。聞き間違いでも何でもなく、はっきりと。

 単なる男子高校生である枇々木ひびき光磨こうまにとっては、非常に難儀な問いかけだった。いったい何を言っているのか、まったくもって意味がわからない。わかることと言ったら、アニメソングの意味くらいなものだ。それくらい、光磨にだってわかる。


 アニメソングとは、主にアニメ作品で使用されるオープニング曲、エンディング曲、挿入歌、イメージソングなどの総称である。アニソンと略して呼ばれることも多いだろう。

 だとするならば――アニメソングとはただの「概念」だ。だって彼女は「アニソン歌手になりたい」とは一言も口にしていない。つまり、概念になりたいと言っているようなものだ。

 光磨は頭を抱える。どうしてこうなった、と。


(…………)


 本当に、どうしてこうなったのだろう。

 光磨は相も変わらず眉根を寄せながら、今日の出来事を振り返る。


 それは、ほんの数十分前の出来事だった――。



 ***



 梅雨真っ盛りの六月のこと。

 奏風かなかぜ高校に通い始めて二ヶ月と少し。急ぎ足で高校へ向かう光磨の気分は重苦しいものだった。じめじめとした薄暗い空が心を覆いつくす。ため息を吐いては「何やってんだ」と後悔し、ついつい視線は下を向く。

 光磨は元々明るいと呼べる性格ではない。むしろ、漆黒色の伸びすぎた前髪と鋭い目つきで暗いだの怖いだのという印象を持たれがちだ。実際にクラスでは孤立していて友達もいないのだが、それは光磨自身のコミュ力の問題であり、今に始まったことではない。

 じゃあ、何でこんなにも落ち込んでしまっているのか。実は自分でもよくわかっていない。しかしきっかけと言えるものはある。所属している文芸部の部員と言い争いをしてしまったのだ。謝ればこのもやもやはなくなるのだろうか。正直、それすらもよくわからない。まぁ、一つわかることと言えば、今はそれどころではないということだ。

 ぐるぐると妙なことを考えていたのが原因で、光磨は今遅刻中なのである。

 はっとした時にはもうホームルームの五分前で、間に合わないとはわかりつつも急ぐ。遅刻なんてしたことがないため、クラスメイトの注目を集めてしまうのが何よりも嫌だった。


「すんません、遅刻しました」


 教室の前に着くとピタリと足を止め、深呼吸をしてから扉を開ける。当然のようにホームルームが始まっていたため、背中を丸めながら自分の席へ向かおうとした。


(……は……?)


 しかし、その足が止まる。いや、動けなくなったと言った方が良いだろうか。意味がわからなすぎる光景に、光磨の思考は停止する。


 ――自分の席に、見知らぬ少女が座っているのだ。


 白いワンピースに身を包んだ小柄な身体。鮮やかな蜜柑色の外ハネしたショートヘアーに黄色い花の髪飾り。大きな瞳は紺碧色で、どこか人間離れした雰囲気を感じる。妖精っぽい、と言った方がピンときてしまうのだ。だいたい、どう見ても高校生ではない。単に童顔なだけかも知れないが、せいぜい中学生くらいだろう。

 というか、そもそもがおかしいのだ。どう見たって生徒ではない人物がいるのに、誰も反応していない。その事実だけで、光磨としてはぞわぞわしてたまらない。


「なぁ、何だよお前」


 ついに光磨が少女に声をかけると、クラスメイトの視線が一気に光磨に集まる。ただ遅刻しただけの男に対する視線とは思えない、冷たい視線。

 まるで、「何独り言呟いてんの」みたいな視線に思えてたまらない。

 一瞬、悩みごとがぐるぐると回りすぎて頭が壊れ、幻覚でも見えてしまっているのだと思った。むしろそう思いたかった……のだが、少女と目がばっちり合ってしまう。


「あっ、コーマ!」


 すると何故か嬉しそうな顔をされ、名前まで呼ばれてしまった。


「…………」


 頼むから幻覚であってくれよと思ったのに、現実がそれを許してくれない。最早ため息すらも出ず、光磨はただただ絶句してしまう。


「どうしたの? 何か変なところがあるの?」


 ――いや、全部だよ!

 きょとんとした顔で訊ねられ、光磨は心の中で叫ぶ。しかし今は、自分がクラスメイトに変な目で見られているのだ。声を出す訳にはいかない。というか、声も出ない。

 だって、この状況の意味がわからないのだ。

 珍しく遅刻をしたと思ったら見知らぬ少女が自分の席に座っていて、しかもクラスメイトや担任教師には少女の姿が見えていない。更には幽霊かも知れない少女が自分のことを知っているらしいという認めたくない現実。

 どうしたの? じゃないのだ。正直、勘弁して欲しい。


「……あ……ぁあ……」


 枇々木光磨は俗にいうリアリストで、電波な人間が怖くてたまらない「電波恐怖症」だ。

 そんな光磨にとって、目の前に広がる光景はあまりにも非現実的すぎる。まったくもって受け入れられなくて、身体が震えてきてしまう程だ。


「あ、あの……大丈夫、ですか?」


 すると、光磨の様子があまりにおかしいからか、後ろの席に座る女子生徒が遠慮がちに声をかけてきた。


「あぁ、悪い」


 一瞬だけ目を合わせ、光磨はすぐに担任教師へと視線を移す。

 正直、助かった。一刻も早く教室から立ち去りたいと思っていたため、良いきっかけになったのだ。


「……先生。体調が悪いので、保健室に行ってきます……」

「お、おおぅ、行ってこい」


 どうやら相当顔色が悪かったのだろう。担任教師も食い気味に頷いてくれたため、光磨はすぐに教室を出ることができた。

 早足で保健室に向かいながら、光磨は思う。


(夢だ。これは悪夢なんだ。だったら覚めれば良いだけの話だ……!)


 現実的に考えれば、これは悪い夢なのだ。悩みごとが溜まりに溜まって引き起こされてしまった悪夢だ。実際の光磨は自室のベッドでうなされているだけで、目が覚めればいつも通りの一日が始まる。つまりは夢オチというやつだ。だからとにかく今は何もかも忘れて、保健室のベッドで寝てしまうべきなのだと思っていた、のに。


「ちょっとコーマ、どこいくのー?」


 あろうことか、少女は光磨の後を追ってくる。何故かキラキラとした希望に溢れた視線を向けながら。怖いったらありゃしなくて、光磨は思わず「ひぃっ」と小さく漏らす。

 光磨の中に流れ出す感情は「恐怖」でしかなかった。

 早く夢から覚めてくれ。ただそれだけしか考えていなかった。つまり、それ以外のことは何も考えられていなかったということだろう。


 ――詰んだ。

 結果的に光磨は、詰んでしまったのだ。

 やってしまった、と光磨は頭を抱える。

 保健室に行くのは早々に諦め、目的地を屋上へと変更しようとしたのだが……それが失敗だったのだ。大人しく外へ出てしまえば良かったが、後悔しても今更遅い。

 屋上の鍵など、現実的に考えて開いている訳がなかった。


(……くそ。なるようになれ、だ)


 もう後ろを向くしか方法はなく、恐る恐る振り返る。一瞬だけ、誰もいなくてただの幻想でしたーっていうオチを期待してしまう。しかしそんなことはもちろんなく、当然のように少女が立っていた。

 ニコニコと眩しすぎる笑みを浮かべて、少女は言う。


「私、コーマに会うために生まれたの!」


 ――と。


(あぁぁああぁ……)


 光磨はすぐさま眉間を押さえながらしゃがみ込んだ。いやいや本当に勘弁して欲しい。自分に会うために生まれてきた? 会いに来た、なら百歩譲ってまだわかる。でも、生まれたって何だよ、という話だ。


「……お前、名前は」

「んー? わかんない。好きに呼んで良いよ」

「…………そうか。じゃ、電波ちゃんで」


 名前もわかんないって何だよ、と言いたい気持ちをどうにか押し殺して、光磨は必死に冷静な声を出す。咄嗟に思い浮かんだのは「電波女」だったが、それは流石に可哀想だったため、ちゃん付けをしておいた。


「じゃあな、電波ちゃん。俺は体調が悪いから帰る。お前もちゃんと帰れよ」


 とにかく、これ以上関わるのは身体的に危険だと思った。冷静な振りをして立ち去る。それしか方法しないと思ったのだ。


「待って! 私、コーマにお願いがあって来たの!」

「…………」


 まぁ、少女――電波ちゃんがすぐに身を引く訳がないとは思っていた。だから光磨は考える。正直このまま立ち去りたい。でも電波ちゃんを無視したらまたついて来られるだけだと思った。はぁ、と小さなため息を吐き、光磨は視線で促す。

 ――そして。


「私、アニメソングになりたいの!」


 聞き間違いでも何でもなく、はっきりと。

 電波ちゃんは言い放つのであった。

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