『艶』はにお江戸、、、

囲 裕道

第1話 想い出の地

『ねぇ~ちょっと涼しいからそこのカーディガン持って来て!』

「あいよ~」

いつもの様に夕方の二人散歩。

結婚を機にこの千葉の一ノ宮に家を建て越して来て早七ヶ月。雨以外は必ず朝夕と海岸まで散歩に出かける。

六十ちょいと手前の再婚同士には何よりも優しい時間である。


家を出て野球場とテニスコートを過ぎると直ぐに九十九里ビーチライン。もう其処が海岸入り口で、防砂林を抜けると九十九里の海岸が広がっていて海までは二、三分の距離。

『明日仕事休みだからさあ、午前中少しテニスしない?少し身体鈍ってるから!』

「いいけど役所に予約してねえぞ!」

『大丈夫だよ。いっつもガラガラじゃない』

『それに伊東のおじいちゃんが、直接で良いよって言ってくれてるし。ダーリンも聞いてたじゃない?』

雪乃の野郎は入籍してから俺のことダーリンって呼びやがる。因みに伊東のおじいちゃんてのは釣りが趣味のご近所さんで、テニスコートの管理を役所から任されている。土地を購入した当時から着替えに更衣室やシャワー貸してくれたり水場貸してくれたりと大変お世話になっている人。

立派な管理棟があってゆっくり休憩も出来るのに何故だか隣の俺の家がお気に入りらしくちょくちょく我が家の庭でお茶してる。

俺も雪乃もチャキチャキ江戸っ子だから、気さくに話していたのが気に入ったんだろう。

この辺りじゃ別荘として購入する奴は居ても其処に暮らしてくれる奴は珍しいから喜ばれたもかもしれない。都心以外は過疎化が凄いから新しく来る人には優しいんだなと独りごち。


「ああ じゃあ明日伊東さん来たら頼みに行くわ」

『うん』


海岸まで近く一本道なのと、隣は四面あるテニスコートがあり斜め前が野球場と只でさえ高い建物のないこの辺りで開放感溢れる最高の立地!東京を離れて田舎暮らしをするなら絶対にこの辺りでって狙いをつけていた。

離婚して独り身になってから東京と田舎の二重暮らしに憧れていた俺。運よく狙っていた土地が売りに出たので購入はしていたが、雪乃と結婚を前提に付き合いを決めてから設計を考え建築を開始していた。


二百坪の土地には玄関から右手に舗装された車道がガレージまで続いており、車三台入るガレージには趣味の車やバイク、スキーやテニス、ボード等の遊び道具が所狭しと置かれている。

その隣に作業場兼仕事場がある。

舗装路とは境無く芝生の庭が広がっていて周りには雪乃の趣味のガーデニングと家庭菜園

母屋は平屋の2SLDKで庭に面したリビングには張り出しのウッドデッキが延びていて天気の良い日には其処で食事をしたりお茶をしたりと一番のお気に入りの場所。

たまに友達や後輩なんかが遊びに来ると、BBQをしたり庭先にテント張ってアウトドア気分を満喫しいる。幼馴染のロボ公なんて“キャンプ場行かなくても此処で十分。風呂も綺麗で最高”なんて抜かす始末。まあ雪乃とも幼馴染の野郎は、俺も雪乃も一番気を使わねえ家族みてえなヤツ。


十年前まで近所に祖父の代からの別荘があったが、老朽化と管理していた母の高齢に伴い処分してしまった。まあ俺にとっては思い出の沢山詰まっていた別荘だったが、十年の時を経て思い出の地に思い出の野郎と家庭を持つなんざあお釈迦様でもわかるめえ。


散歩の時の雪乃は決まって手を繋いでくる。俺の右手をしっかり握り少女のような笑顔で微笑んでくれてる。そんな横顔を見るのが何より好きな瞬間。

ビーチラインを越える信号が赤だったが、車も来ていなかったので渡ろうとするとグッと引き戻された、、、『のんびり行こ。ダーリン』


結婚を申し込んだ時に何のためらいも無くOKしてくれたが唯一言われた言葉が“のんびりゆっくりと二人の時間を大切にしたい”だった。

俺はこっちに越す前に二十三年経営していた自分の会社を整理して、不動産運用と趣味で書いていたネット小説が評判となり、週刊誌二誌で冴木道男の本名で連載小説を書いている。

雪乃は二度の離婚で五人の子供の母親だが、下の子も成人して独立している。以前やっていた介護士の資格を活かしてこっちに来てからは週に三日訪問介護の仕事をしていてお互い無理せずゆとりの時間を大切にしていた。


「ごめんごめん!そうだな」

雪乃のヤツは小さな子供にマナーを教えて満足気なお母さんみたいな顔してやがる。

砂の絨毯が敷き詰められた防砂林の歩道を抜けるともう其処は太平洋。まだ微かに西の彼方に柔らかな陽射しを残したこの時間は、波打ち際から水平線へ優しく海面を輝かせている。

思わず深呼吸するほど景色も空気も澄んで気持ちが良い。ふと隣の雪乃に目をやると、優しい微笑で水平線を眺めている。

“幾つになってもこの笑顔は可愛いや”

海辺のサイクルロードを歩きながら何時もの堤防へ向かっていると自然に腕なんか組んできやがる。

海に向かって伸びる鍵型の堤防。水平線に平行に広がる突先にはちらほらと釣り人がいて、俺たちのお気に入りはその手前の浜辺を海の上から望む場所。ガキの時分からのお気に入り。右手には砂浜と防砂林が広がり、遠くの町並みをオレンジ色の夕陽が優しく包み込んでいる。見渡す海辺は夕方の波をまつカラス達が彼方此方に群れを成している。


堤防真ん中の何時もの場所に腰を下ろした。

必ず俺の右に寄り添って座る雪乃が居ない。

“あれっ”って思った瞬間、雪乃の野郎が後ろから抱き着いてきやがった。

俺の耳元で優しくハッキリと囁いた。

『道!ほんとに最後だよ。』


「ああ 当たり前だろ!痩せても枯れても俺わ生粋の江戸っ子だ。嘘も方便もでえ嫌い」

『あんた若い頃はあたしに嘘ばっか言ってたじゃない!』

「若え時分は浮き草みてえにフラフラしてたが、今は大地にしっかり根え張って雪乃だけしか見てねえよ。これから先もずっと、、、」

『その江戸弁が嘘くさい!』

「嘘じゃねえよ。この時間をずっと雪乃と過ごして生きたいよ」

『ほんと?』

「ほんとだよ!そのかし今のまんまの雪乃で居てくれな」

『シワシワになっても?』

「シワの分だけの幸せぇ~って歌にでもあんだろ!」


『うん。大好き!ダーリン』




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