2 鉄砲塚さんと私【太陽編】

 もうすぐ春も終わるというのに、いまだ土筆つくしやハコベなどが目に付くのどかな田園風景の中、車道とは段差によって区切られた、暖かな朝日に照らされた学園へと向かう遊歩道。

そこを歩くのは、時折スーツ姿のサラリーマンや私服の年配の人の姿も混じるものの、殆どが白、黄色、赤と胸元のリボンはそれぞれだけど、同じダークグリーンの襟とスカートのセーラー服を身に纏った少女達だ。

いつもと同じ日常、いつもと同じ通学風景……けど、これはあくまでも私の視点から眺めた場合に限る……何故なら周囲を歩く清潤の生徒達は違和感を感じまくりだろうから。

私を物珍しそうに見る多くの視線。ヒソヒソという話し声。時にはその中に抑えた笑い声も混じったりして……。

は……恥ずかしい……この世に生を受けて十六年と三ヶ月ちょっと。こ、ここまで注目されたことは無かったわ……べ、別に地味だからって訳じゃないから!

私のその思いが少しは伝わったものか、心配そうな声とともに、左手に組み付いた感触が、ギュッ、とその力を増す。


「ブチョー、ゲンキないですよ?ひょっとして、やっぱりまだ具合い良くないんじゃ?」


 誰のせいだと思ってるんだろう……。

 私の左隣には、注目なんてどこ吹く風という感じで、ニコニコと幸せそうに笑っている鉄砲塚さんがいて。心無しか、頭に結んだ猫の耳のようなツーサイドアップもいつもより揺れている。

 その彼女の両手はというと……しっかりと私の左手に巻きついて……というか、なんか全身を左手にくっつけてるよね……さっきから時折胸が当たってるし……。う……や、やーらかい……。

 か、感触とかはどうでもよくて!!……要するに、今の私が周りからの好奇の目に晒されてるのは、まさに彼女、鉄砲塚さんのおかげなのだ。

 それはそうだろう。私だって朝から腕を組んでピッタリと寄り添いながら歩いている女生徒がいたら、申し訳ないけど注目する。ゆ、百合的にも美味しいし。

 ただ、その想像上の自分に言いたいのは、イチャイチャしているのとイヤイヤされている二人の感情の相違くらいは、せめて判別していただきたい、ということだ。

 ここに至る道すがら、私が左腕に絡みつく彼女の両手を何度振り払おうとした事か……。


「……そ、そうかもね……な、なんか頭痛までしてきたわ……」


 指でこめかみを押さえて、皮肉の意味を込めてそう答える。まあそれが鉄砲塚さんに通じるとはこれっぽっちも考えてないけど。


「タイヘン!!あ、あたしゲンキが出るとっときのオマジナイ知ってるんですケド?」

「……何かもう嫌な予感しかしないから遠慮しときます」

「そんなコト言わずに~!ホラ、ブチョー」


 そう言うと、鉄砲塚さんは、ん~、と私の頬に唇を寄せ……。

 鞄を地面に離した私の右掌が、彼女の顔を素早くブロックし、それ以上の接近を阻止する。な、なんかこの子の扱いに慣れてきたような気がする……。


「いりませんってば!!こ、こんな衆人環視の中で、な、何を考えてるんですか!!」

「ヒトはヒトじゃないですか~。ホラ、恋人同士、どっぷり自分達の世界に浸れば何も恥ずかしいコト……」

「恥かしいに決まってるでしょ!!」


 彼女は私の抵抗に、ちぇ~、とキスの為に突き出していた唇を、今度は不満げに尖らせた。

 何とか諦めてくれたみたいね……、と鞄を拾い上げ、安心したのも束の間、今度は何かその……ひ、左の二の腕に柔らかくて温かいふくらみがむにむにと擦りつけられて……。



「ちょ、ちょっと!!な、何してるの!!」

「ん……こうしてたら気持ち良くなってゲンキになりません?」

「な、ならない!ならないってば!!やめて!!」

「そ、そうですかぁ……?あ、あたしは何か……先っちょが擦れて段々……ぅん……」

「あ、あなたが違う意味で元気になってどうするのよ!!こ、こんな朝っぱらから変質的な行為に励まないで!!!もう元気になりましたから!!!」


 私の言葉に、鉄砲塚さんは残念そうな表情で渋々と身を離す。その頬は薄く朱に染まって、息も軽く乱れて……ちょ、ちょっとは時と場合を考えて発情してよ!!

 うう……今の大騒ぎのおかげか、周囲からの視線が強まってる……さっきまでのが針としたら、今はエクスカリバーでチクチク刺されるように痛いわ……結局チクチクなんだけど。

 最早半分以上諦めの境地に至っていた私は、周囲から身を隠すような気持ちで顔を伏せた。

 こ、こんな姿を知り合いには見られませんように……葵はいつも遅刻ギリギリだし、果恵は電車通学でルートが違うから大丈夫だと思うけど……。

 ど、どうか……どうか白峯先輩にだけは……!!


「……部長…おはようございます……朝から仲睦まじい事で何よりです……」


 突然耳に飛び込んできた朝の挨拶に私はビクッと身体を震わせる。だ、誰!?と周りを見回しても……あれ?誰もいない?気のせい?

 も、もしかして、あまりにもここ数日の状況がハード過ぎて、ついに幻聴まで聞こえ出すほど精神を病み始めたのかな……私ってほら、意外とデリケートなタイプだから。


「……ここです……」


 鞄を持った右手の袖を引っ張られ、ん?と目をやると、そこには清潤女子の制服を着た、小さなおかっぱの女の子が立っていた。

 ひ!座敷童子!!という驚き方は前に経験済みなので、今回はすぐにそれが誰だか分った。


「え、円妙寺さん!ご、ごめんなさい!気がつかなくって……お、おはよう」

「……慣れてますのでお気になさらず……」


 どうしてこう、この子は気配や存在感を感じさせないんだろう……本当、私より背が小さいからで済むような問題じゃないよね、これ。

 それにしても……な、なんだろう…失礼とは重々承知の上だけど、な、なんかこの子ってその……爽やかな朝の光の下、っていうのがそぐわない……。

 ふと、幽霊の正体見たり枯尾花、という言葉が頭に浮かぶ。枯尾花、って部分を円妙寺さんに置き換えたらなにかこうしっくり来るわ……。あ、失礼過ぎる。


「あ、リョーコ!ヤッホ!」


 鉄砲塚さんが私が誰と話してるかに気づいたのか、左手を挙げた。

 ……ヤッホって。相手を考えて挨拶しなさいよね。飄々とした円妙寺さんがそんな軽いノリに容易く乗っかる筈が……。


「……沙弥……やほ……」


 乗るんだ!

 ちょこん、と左手を挙げて挨拶を返す円妙寺さん。仲良いっていうの本当だったんだ……別に疑ってた訳じゃないけど。

 にしても、この二人が絡むのって傍から見たらやっぱり凄い違和感だよね……ビックリ。まさに『陰と陽』って言葉がピッタリな位に対照的な感じなのに。

 そう考えていたのが表情に出てしまったのだろうか、円妙寺さんが薄く笑って言った。


「……何か意外そうな顔をしてらっしゃいますね……部長……まるで狐につままれたような……」

「え!?い、いえ別にそんな事は……」

「……隠さなくても結構です……私と沙弥が会話を交わしてるのを見た人は……大多数が最初同じような反応をされますから……」

「つか、狐につままれたってのは、リョーコが狐っぽいからっショーガナイっしょ。けど、ブチョーのビンカンなとこ抓んでいいのはあたしだけですケド」

「……私が狐なら沙弥は猫……部長の敏感な部位については後で詳しく聞かせて……」

「き、聞かなくて結構ですから!!というか抓ませません!!」


 ああそうか、二人にはやらしいという共通点があったんだっけ。

 そういえば、この状況に驚いてないという事は、円妙寺さんは鉄砲塚さんの…その……私への秘めた想いも知ってたって事なのかな。

 未だに鉄砲塚さんには聞けずにいるけど、だとしたら円妙寺さんにさりげなく聞いてみてもいいかもしれない……どうして彼女が私を好きなのか。

 それが分かれば、鉄砲塚さんの行き過ぎた愛情表現に何らかの対策も取れるかもしれないし……と、というか、私が彼女をキッパリ拒否すればいいだけの話ではあるんだけどね……。

 けど、そうそう秘密は喋ってはくれないかな?親友だって言ってたし。それどころか、逆に私が円妙寺さんに「別れるな」と説き伏せらてしまいそうな予感も……。

 それにしても、この二人が親友ねえ……鉄砲塚さんと円妙寺さんの書く作品の傾向を思い出すと、妙に納得しちゃうけど。なんというか本当……や、やらしい物ってあらゆる壁を越えるのね。

 作品――――そうだ。バタバタしててすっかり忘れてたけど……。


「円妙寺さん、原稿の修正の方は進んでる?」

「ヤだな、ブチョー。あたしがバッチリ協力してるっていったじゃないですかー。ね、リョーコ」

「……はい……沙弥のアドバイスに従って……目下全面的に修正中です……」


 全面的に修正してるなら……安心……していいのかなあ。

 鉄砲塚さんのアドバイスに従って、っていうのも気にはなるけど、彼女の作品程度の過激さまでなら、今回は掲載する訳だし。な、縄とかさえ出てこなければ問題は……。

 何にせよ、まだ締切までは若干の余裕があるし……もしもの時は、私がアドバイス……で、でも、や、やらしい文章にどう対処していいのか分からないんだよね……。

 う~ん、と黙り込んでしまう私に、円妙寺さんが話題を変えるようにして話し掛けてきた。


「……それにしても……部長と沙弥がいきなり一線を越えてしまわれるとは……正直驚きました……」

「!!こ、越えてない越えてない!!ど、どの一線よ!!」

「……そうなんですか……失礼致しました……朝から不健全なまでに肉体を密着させていらっしゃるもので……私はてっきり……」

「あ、でもキスはもう―――」

「余計な事は言わなくていいから!!」


 鉄砲塚さんの不用意な発言を止めるように、思わず大きな声を出してしまう。……うー……また周囲の視線が……。

と言っても、ここで食い止めても仕方無いんだよね……この二人が仲が良い以上、い、いずれ、き、キスの事は円妙寺さんにも……うう、部長の威厳がまた……。

 落ち込む私に関係なく、むしろ更に追い打ちを掛けるように、鉄砲塚さんが陽気な声で円妙寺さんに言う。


「つか、昨日だってね、ブチョーの家に遊びに行って、そのままお泊りしたんだよ」

「……そうなの……そこまで進んでるのに一線を越えてないのは逆に不健全ね……部長に何か問題があるとしか……」

「なんで嘘つくのよ!!泊まってません!というより泊まらせません!!あと問題もなーい!!」


 そう、昨日は泊まりたいと言い出した鉄砲塚さんと、それを快く了承したお母さんとを「体調的に優れないから!!」という理由で何とか説き伏せ(体調が悪化した原因は鉄砲塚さんだけど)、ご帰宅願ったのだが。

 夜討ち朝駆け、と言えばいいのか。今朝起きて登校準備を整えた私の耳に、響くチャイムと明るく会話を交わす声が聞こえた。


「……お母様、お早う御座います。香坂部長をお迎えに参りました」

「あら、沙弥ちゃん!まあわざわざ悪いわねえ」

「いえ、部長の体調が優れないとの事でしたので、お一人で通学されて何かあってはと心配で……」

「優しい子ねえ。沙弥ちゃんみたいな子が迎えに来てくれたら、家の史緒も寝坊したりしなくなって助かるんだけど……」

「それでしたら、これからはあたしが毎朝……」


 明るい会話、とは言ったけど、その内容は私にとっては地獄の悪魔の密約に他ならなかった。く……もはや私に魂の更なる安息の為の微睡みタイム(二度寝の事)は許されないというの!?

 こうして私と鉄砲塚さんは二人で学校へと向かう事になり、家を出た途端に私の左腕に彼女は甘えたように腕を絡ませ――――で、今に至るのだ。

 ああ……朝から陰鬱な気分になるわ……これからは毎日こうして周りからの視線に耐えなくてはいけないなんて……。針のむしろ……いえ、エクスカリバーのむしろ……。


「……てなワケで、それで昨日はブチョーのオカーサンから二人の交際も許可してもらったしね」

「!!……親公認……凄いわ……部長のお母様って恋愛に関して寛容でいらっしゃるのね……理解の深い方で羨ましい……」

「あんなの騙したようなものじゃない!!……そ、それより、円妙寺さんと鉄砲塚さんってどういう風に知り合ったの?」


 これ以上この話が続くようだと、精神にかかる負担で、か弱いハートが……と、賢明な判断を下した私は、円妙寺さんのように話の方向を変えることにした。

 鉄砲塚さんと円妙寺さん、二人の出会い……多分ひ、卑猥な過去話になると思うけど……い、今の状況よりマシだわ……。ちょっと興味もあるし。

 その質問を聞いて、鉄砲塚さんがニパニパ笑いながら、私の頬を指でツンツンとつつき出


「ブチョーってば、もしかしてぇ……あたしとリョーコの関係にヤ・キ・モ・チですかあ?」

「……鉄砲塚さんは黙ってなさい。可能であるなら永遠に」

「……私と……沙弥の……出会い……」


 円妙寺さんは少し遠い目をして、切々と語りだした。


 鉄砲塚さんと円妙寺さんの出会いは、今から二年前―――二人が市内の中学校の二年生に進級した時の事だったそうだ。

 元々幼い頃より身体が弱くて、病気がちで学校をよく休んでいた円妙寺さんは、それが理由で特に親しい友達もいなくて、小学校時代からクラスでは浮いていた存在だったらしい。

 今はこんなに明るく元気になりましたが、という彼女の言葉にツッコミたいものの、そこは笑顔でスルー。

 中学校に進んでからもそれは変わらず、一年生の時から一人で過ごすことが多かった。むしろ、一人きりの方が気が楽だったので、好んでそうしてたみたい。うーん、今も彼女に存在感があまりないのはそこに起因してるのかなあ。

 ともかく、目立たず騒がず、が信条だった円妙寺さん。二年生になってもその確固たる信念から、孤独を貫こうと決めていたという。

 が、しかし、そんな彼女と全く正反対の存在が同じクラスになってしまう……目立って騒いで、が信条と言ってもいいくらいの存在―――言わずと知れた鉄砲塚さんだ。

 元々そういう存在だからか、クラスは違えど、円妙寺さんも鉄砲塚さんの事は知ってはいた。何でも、中学校で噂されてた鉄砲塚さんの武勇伝は数知れないんだって。スポーツや勉強や―――や、やらしいのも含まれてないといいけど……。

 円妙寺さんは、鉄砲塚さんに関われば嫌でも自分の信条に反してしまうし、その時はまだそれ程興味も無かった。で、鉄砲塚さんの方もアクティブに動きまくりで、授業中以外クラスにあんまり居なかったから、円妙寺さんの事を良く知らなかった、という。

 そんな感じで、進級当初はお互いにそれ程絡む機会も無かったんだけど、ある時、運命の、って言っていいんだろうな。出来事が起こってしまった。

 それには、一人でいる事の多かった円妙寺さんが持っていた、たった一つの趣味―――文章の創作、が絡んでて。


「……私が日頃より自分の創作を書き綴っていたノートが……ある日忽然と姿を消したのです……」


 ちょっとだけ苦い顔をして円妙寺さんは言った。そりゃそうだよね……自分の妄想を書いてたノートがどっか行っちゃったら……しかももしそれが人の目に触れたら……うう、ゾッとする。

 どんなところにも少し性質の悪い子はいるみたいで、いつも一人でいた円妙寺さんをからかおうとしたのか、そのノートをこっそり盗んだ男子がいたのだという。ゆ、許せない……私なら法的手段に訴えるわ!

 で、そのノートの内容がクラスの噂になってしまい、孤独を貫く、という信条とは別に、彼女は孤立する立場になってしまった。

 表立ってそこまで酷いイジメはなかったみたいだけど、人に注目されたり、ヒソヒソ噂話されるのは……精神的にキツいよね。今の私には、当時の円妙寺さんの気持ちが誰よりも分かる……。

 そんな時だった。回し読みされていたそのノートを、鉄砲塚さんがたまたま読んだのは。


「……驚きました……休み時間……沙弥が目を輝かせて……突然私の元にやってきたのです……」

「あれはスゴかったモン!!あの文章を目にした時、あたしの目からウロコが何枚もマシンガンみたいに飛び出したからね!!」


 う……想像したらもの凄く嫌な例えね……それ。

 ともかく、円妙寺さんの書いた文章に心から感銘を受けた鉄砲塚さん。それからは一方的に友情関係を結び、休み時間の度に円妙寺さんの机の前に陣取って、あれやこれやと妄想を花開かせたとか。

 最初は円妙寺さんも戸惑ったらしいけど、目立たず騒がず、という己の信条を覆してもいい程に、鉄砲塚さんは彼女から見ても魅力的で。

 それに、普段、周囲から一目置かれている鉄砲塚さんが親しくしてくれた事で、いつしかイジメも収まって行き、逆に「あの鉄砲塚があそこまで親しくするなら、円妙寺も只者ではない!」と、円妙寺さんまで評価されるようになった。

 そこから二人の友情が始まって、高校生になってもずっと一緒にいよう!という事になったのだそうだ。

 うーん……いい話よね。こう聞くと二人が仲が良い親友同士というのも頷ける。文章が結んだ友情っていうのも、文芸部部長である私的には心に来るものがあるし。


「……ですので……その時のノートに描いた作品は……私達の記念碑的な意味合いもあり……私の……宝物なのです……」

「そうなんだ……今度機会があれば、私も是非一読させていただきたいな」

「ブチョーも読んだ方がいいですよ!あれはケッサクですから!!『セーラー服美少女淫縛の宴~闇調教に啜り泣く肉穴~』!!」

「……ヒロイン・麻美あさみが山芋を挿入され……痒みにうち震えながら……責めを懇願するシーンがお気に入りです……」


 あ……か、感動的な話が一気にやらしい物に……!!というか、円妙寺さんって中学生の時からそんな物書いてたの!?

 クールダウンした私の気持ちなど露知らず、鉄砲塚さんと円妙寺さんは逆にヒートアップしていく。


「アソコもいいよね!ホラ、身動き取れないように縛られた麻美がコーエンのトイレに置き去りにされちゃうとこ!もう読んでてハラハラしたモン!!」

「……そこに至るまでの……露出プレイも……」

「あ、あの展開は今でも胸踊るよねー。麻美がコーシューの面前で自分から脱ぐように強制されてさー」

「……最初は恥ずかしがっていたものの……羞恥がいつしか快感に変り……」

「そうそう!んで、最後は自分からゼッチョーに達しちゃうんですよ、ブチョー!!」

「あ、あのね、そ、そういう事大声で話さないでくれないかな?今の私はその麻美の心境だから……羞恥という一点に於いてのみだけど……」


 和気藹々と朝から淫猥な小説の内容を喜々として話す女子高生って一体……うう、周りからは私もこの子達の、破廉恥仲間だと思われてるんだろうな……。

 恥ずかしさで頬に火照りを感じつつ、この分だと、こないだ鉄砲塚さんが持ってきた中学生時代の作品っていうのも……と考え込む。初期に書いたっていうなら円妙寺さんの影響も濃そうだし……読ませてもらいたいけど……怖いな。

 ムムム、と考えを巡らせる私に、彼女にしては珍しく、ほんの少しだけ明るい声で、円妙寺さんが言った。


「……ともかく……そういう事で……親友の沙弥が……己の恋を成就出来たというのは……私にとっても喜ばしい限りなのです……」

「そうかあ……って恋の成就!?ま、待って!!話が見えないんだけど!?」

「も~、ブチョーってば!またテレちゃって!」


 私の横腹を肘で突いて、恥ずかしがり屋サン!とキャーキャー騒ぐ鉄砲塚さんは放っておいて、せめて円妙寺さんの誤解だけでも解かなきゃ!と言葉を探す。

 が、円妙寺さんは、私が否定の言葉を口にするより一瞬早く、鋭い目付きで付け加えた。


「……もし仮に……親友の沙弥を傷付けるような事があれば……相手が誰だろうと……私は只では済ませません……例え恩義ある部長であろうと……」


 その小さな童女のような体から発せられてるとは思えない、立ち昇るオーラのようなものに圧倒されてしまい、私は開きかけた口を閉じた。こ、こんなの格闘漫画でしか有り得ないと思ってた……!!

 ユラリ、と私に向かって一歩踏み出し、円妙寺さんは更に語気を強める。


「……未来永劫……子々孫々……輪廻転生の果てまでも……私は恨み……追い続け……必ずや然るべき報いを受けさせるでしょう……」


 ちょ、ちょっと待って!!な、何するの!?わ、私はまだ何も言ってないよね!?ね!?

 眼前に迫る円妙寺さんへのあまりの恐怖に、つい目に涙を浮かべてしまう……うう……また威厳が失われた……。

 このままだと腰を抜かしてしまう、と足をガクガクさせて震え出した私に対して、円妙寺さんは―――!!


「……仮に……です……どうか沙弥の事……宜しくお願い致します……」


――――そう言うと微笑んで、ぺこり、と一礼した。

 緊張が一気に緩和され、その場にへたり込みそうになる私の左腕を鉄砲塚さんが引き寄せ、支えてくれる。うう…初めて感謝するわ……鉄砲塚さん。

 鉄砲塚さんは、まるで姉が年の離れた妹を叱るようにして、円妙寺さんをたしなめた。


「コラ!リョーコ!!ブチョーがビビっちゃたでしょー!?あんたが本気になるとコワイんだから!!」

「……すみません……部長……でも……沙弥を傷付けたら許さないのは……本当です……」


 私の右腕を取って肩に担ぐようにして、円妙寺さんも身体を支えるのを手伝ってくれる。


「……だって沙弥は……ずっと一人の世界にいた私を連れ出してくれた……太陽みたいな存在だから……」


 こっそりと、小さく照れたように呟く円妙寺さん。

 連れ出してくれた―――何か昨日読んでいた白峯先輩の作品を思い出すな。もしかしたら、円妙寺さんの背中にも一枚の翼が生えてたりして。

 いや、きっと、生えてるのだと思う。彼女の過去と、今の呟きから推測して……鉄砲塚さんに対する信頼という大きな翼が。……その翼が白く綺麗な天使の翼ではなく……黒い悪魔のそれであるのは……私の偏ったイメージかもしれないけれど……。

 それにしたって……確かに「陰と陽」とは例えたものの……鉄砲塚さんが太陽みたいな存在、ねえ……。

 ――――――私から見たらあなた達は、化け猫と、白面金毛九尾の狐なんだけどね……。




 二人とは昇降口の靴箱の前で別れ(鉄砲塚さんは尚も付いてこようとしてたけど)、私は自分の二年生の教室に入った。

 席に付くと、少し遅れて果恵が教室に姿を現す。あ、なんか果恵より先に教室に着いたのって何気に初めてかも。ちょっと優越感。

 私が先に来ているのに気が付いた果恵は、少し驚いたような顔をして、その後すぐに心配そうな表情になる。


「おはよう、史緒ちゃん。その……もう大丈夫なの?」

「おはよ。うん、もう体調もいいしね。ごめんね、昨日は休んで迷惑かけて」

「気にしないで。でもその……本当に平気?辛かったら言ってね?」


 隣の席に座り、私の顔をのぞき込む果恵。もう、果恵ってば心配症だなあ。本当にお母さんみたい。

 大丈夫だってば!と笑う私に、果恵が可愛いらしい動物柄のハンカチを差し出してくる。


「……泣いた跡があるわよ、史緒ちゃん。これで拭いて」

「あ、ありがと。そか、さっきの……」


 そういえば涙目で腰を抜かしそうになったんだっけ。体調がいいと言った後にあれだけど。

 さすがにその事についてあれこれ説明するのは不可能なので、私は弁明もせずハンカチを受け取る。

 目元を拭いて、ハンカチを返そうと果恵を見ると……あれ?な、なんか果恵の目が潤んでない!?ど、どうしたのよ!?

 慌ててハンカチを返そうとしたが、果恵は私を手で制して、スカートのポケットからもう一枚、白い無地のハンカチを出した。


「……そのハンカチは史緒ちゃん用に携帯してる物だから……わたしは自分のがあるから平気よ」

「え?そ、そうなんだ……じゅ、準備いいね……」

「史緒ちゃんが喜ぶようにって動物柄なの。可愛いでしょ?」

「あ、そ、そういえば果恵が動物柄ってイメージに合わないと思ったけど……そ、そんな意図があったんだ……って私は子供じゃないから!!」

「ちゃんとオヤツも用意してあるから……今日は史緒ちゃんの好きなアップルパイよ?」

「え!本当?やったね!……だから子供じゃないって……」


 こないだ葵が言ってた、私が二人の子っていうのが冗談に思えなくなってくるなあ……。やっぱり葵がお父さんで果恵がお母さんよね、その場合。

 あ、そ、そんな事はどうでもいいんだった。な、なんで果恵が泣いてるのかって事よ!!


「そ、それにしたって、ど、どうしたのよ、果恵?いきなり泣き出すなんて……?」

「ううん、なんでもないの……ただいつもと同じように気丈に振る舞う史緒ちゃんが健気で……」

「はあ?ま、まあ確かに今の私は不幸に耐える健気な少女の心境ではあるけど……」


 それもこれも鉄砲塚さんのせいなんだけど。でもそれを果恵が知ってる筈がないし……なんだろう?私何かしたっけな……。

 心当たりを必死に探すものの、全く思いつかないままの私をさておいて、果恵は涙を拭いて慈母の如くニコッと優しく微笑んだ。


「そうよね……もう大丈夫よ。史緒ちゃんが頑張ってるんだもん、わたしだって負けてられないわ」

「???は、はあ……そ、それならいいけど……な、何かあったら言ってね?」

「史緒ちゃんこそ……泣きたくなったら、いつでもわたしの胸に飛び込んで来ていいんだからね?」

「え?う、うん……私も何かあったらそうするわ……」

「いくらでも甘えて!あなたは私にとっては太陽みたいな子よ!いつも元気で明るくいて欲しいの!!」


 太陽……?何かその例えを今日聞くの二回目だわ……と思うより先に、果恵はむぎゅっ、とその胸に私の顔を抱き締めて。

 ??ちょ、ちょっとか、果恵……く、苦し……!!で、でも、前から思ってたけど、果恵って胸やっぱり大きい……このボリューム……鉄砲塚さんより遥かに……。

 ふにゅふにゅ、と顔を動かし、その胸の甘い柔らかさを堪能していてハッとする。い、いけないいけない、やっぱり鉄砲塚さんの影響受けてるのかも!

 いい子いい子、と私の頭をさする果恵の胸から、誘惑を断ち切るように強引に顔を上げる。


「?な、何か変だよ?今日の果恵……?」

「そりゃあ、だって……あ、そ、そんな事ないわよ……気のせいよ、気のせい」

「そ、そうかなあ……確かにいつもお母さんっぽいけど……今日はいつにも増してな感じが……?」


 昨日、体調不良で学校を休んだ私の事を気にかけてるんだろうけど……それにしても……?

 ジトーッ……という私の疑惑の眼差しを避けるように、果恵は顔を背け、こほん、と一つ可愛く咳払いをした。


「ま、まあ、この話はここで終わりにしましょう?そ、そんな事より、史緒ちゃんを元気付ける、取って置きの情報があるのよ」

「え?何なに?」

「きっと凄く喜ぶと思うわあ……史緒ちゃんが大好きなお話だから」

「もう!勿体ぶらないで早く教えてってば!!」


 前のめりになる私に、果恵は、焼きたてのケーキをテーブルに運んで来たエプロン姿の母親のように笑って。


「さっき小耳に挟んだんだけどね、なんでも今朝、腕を組んでラブラブなムードで通学してきた女生徒達がいたみたいなの!百合っぽくて、史緒ちゃん好みでしょ?」


 ゴン!と強かに額を打ち付け、私は机へと倒れ込んだ。

 ……そ、そうね……私好みの話だわ……。勿論、それは当事者でなかった場合に限るんだけど。


「やだ!史緒ちゃん、どうしたの!?大丈夫!?」

「……大丈夫では……ないかな……というか、その話ってもう広まってるんだ……」

「?ええ、わたしが学校に着いたらどこもその話で持ち切りで―――」

「……持ち切りかあ……そりゃそうだよね……」


 はは……と力ない笑いをしたきり、私はそのまま机から起き上がることが出来なかった。

 もしも仮に果恵の言う通り、私もまた太陽のような存在だとしたなら、共通点は二つある。

 一つは、今現在、恥ずかしさから、顔が真っ赤で熱くなっているということ。

 もう一つは……一度沈んでしまったら、その顔が上がるまでには時間がかかるということだ。

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