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 その日の「無量大数」は、ブッキングライブというものが行われるらしかった。セイコ以外にも何人かミュージシャンが現われて、持ち時間は二十分ぐらいで、かわるがわるライブしていくらしい。この日の出演者は五組。セイコの出番は最後だったので、しばらく待たされる形になる。ライブの開演は十八時とのことだったけれど、出演者の多くが遅刻したこともあり、時間になってもなかなか始まらなかった。セイコはそれについて文句をいうわけでもなく、いつものことみたいに「それでこそミュージシャンだよねー」と誰にともなく漏らし、ギターケースから取り出したギターの単音をいくつか確かめるように鳴らした。ギターはたぶんふつうの大きさなのだと思うけれど、セイコの身体はちいさかったから、蜂蜜色の図体に存在感があった。高校生のとき、弟がギターを囓っていたことがある。コードをぜんぶ弾けるよりまえに飽きてやめたみたいだけれど。あのときあたしと弟は一緒に電車に乗って隣町のおおきな楽器屋さんに行き、いちばん安いアコースティックギターを買った。セイコが持っていたのも、ちょうどおなじかんじの、安っぽいアコースティックギターだった。

「セイコちゃんの曲はね、他のだれにも弾けないのよ」

 あたしが飲み慣れてないビールをちびちび減らしていると、あたしの隣に和尚がしゃがみ込み、セイコには聞こえないようなちいさな声で言った。

「どうしてですか?」

 あたしもつい声を潜めて、和尚にそう尋ねる。

 和尚はしばらく黙ったままセイコが音を奏でる様子を見守ったあと、ふっと笑い、呆れたような口調でこう教えてくれた。

「まったくチューニングしないからよ。だからセイコちゃんの曲は、演るたびに変わるの。おなじ曲は二度と再現できないのよ。だから今日のこの曲のこと、ぜったい忘れないでね。おなじ曲は、もう二度と聴けないんだから」

 和尚がそう言い終わると同時に、「大麻ビールくださーい!!」という声がかけられ、和尚はいそいそと厨房へ消えていった。あたしはビールを啜りながら、和尚のいった言葉を反芻した。まず思ったのは、セイコがプロになることはありえないだろうな、ということだった。あたしに音楽のことはよく分からないけれど、プロなら当たりまえにギターのチューニングぐらいするものだろう。それは基礎の基礎だ。それにプロとしてお金をもらうため、たぶん一番大事なのは一貫性だ。いつどこでだれが相手であっても、まったくおなじパフォーマンスができる。たぶんプロとはそういうものだ。それがプロになるためのマイルストーンのひとつとして、セイコの現時点があるとして、ふたつを結ぶ線分のうえをセイコは歩いていない。じゃあ、セイコは何になりたいんだろう。セイコがなりたい「超ミュージシャン」っていうのはなんなんだろう。今日あたしは、少なくともそのことを知りたいと思った。

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