第8話 女子からの熱い視線(意味深)

 『コーポ夜桜』は相変わらず異質な雰囲気を放っている。


 辺りが暗いとお化け屋敷のような不気味さがあるので、せめて昼間に連れてきた方が良かった、と少し後悔した。


 これじゃきっと、契約どころか泊まるのもためらうよな……。



「わぁ、ここばりよかと! お化け屋敷みたいで楽しそうやね!」

「え、うそ……」



 まるでアニメキャラのような甲高い声を出してはしゃぐ舞音。

 彼女もある意味、他の住人と同じように変人気質なのかもしれない。



「101号室が管理人の部屋だから、とりあえず行ってみよう」

「はい!」



 俺は101号室のインターフォンを押した。だが、音が鳴らない。故障しているのだろうか。仕方なく、ドアをノックした。



「お~い、小桜さん。いる?」



 割と大きめな声で何度か呼びかけたが、反応はない。

 小桜が不在のパターンを考えていなかったので、冷汗が出る。


 せめて102号室の鍵は先にもらっておくべきだった。



「管理人さん、おらんと?」

「うーん……」



 すると舞音がドアノブに手をかけた。



「開いたばい」

「まじか」



 小桜のやつ、『コーポ夜桜』はセキュリティが緩いから防衛本能がうんたらかんたらとか言ってたくせに、戸締りすらしてないなんて。まったく。


 ……大丈夫なのだろうか。いや、俺が心配することではない。



「ごめんくださーい。あれ、電気ついとう……きゃっ‼」



 先に入った舞音が驚きの声を漏らした。ドアから明かりが漏れているから、小桜は中にいるらしい。


 ……まさか倒れているのか?


 俺は急いで部屋の中に入った。

 そして衝撃の光景を目の当たりにした。



「これは……」



 床一面に散らばった、本。

 壁に沿って積み上げられた、本。

 キッチンのシンクの中に置かれた、本。

 

 そして、本の中に埋もれて寝ている、小桜。

 しかも身体はねじれ、上半身は右、下半身は左を向いている。

 どうやったらそんな寝相になるのか問いただしたい。



「むにゃ……ん……」


 

 俺は夢の中にいる小桜を目覚めさせるべく、本を踏まないように注意しながら彼女に近づいた。そして、耳を掴んで上へ思いきり引っ張った。



「……ッたい‼」

「おい、起きろ」

「強姦魔⁉」

「行川だ。というか戸締りはどうした? この本はどうした?」

「わああ、耳、近い、うるさいです」

「君がズボラなせいでこうなってるんだ」

「ズボラじゃない!」


 

 小桜はジタバタして俺に抵抗する。

 今朝もそうだけど、寝起きの気性の荒さは何とかならないものか。



「お2人、仲良よかね」

「「よくない!」」

「ほら、息ピッタリやけん」

「「……」」



 舞音は何故か少し寂しそうな顔をした。俺はそれを見て小桜の耳から手を離し、小桜も動きを止めた。


 微妙な空気が漂う中、口火を切ったのは小桜だった。



「そ、そういえば、あなたは誰ですか?」

「うち、泉原舞音です。このアパートに住みた――」

「入居希望者ですか‼」

「は、はい」



 小桜は器用に本を避けて舞音に近づき、じろじろと彼女の顔を見ている。



「あれ、もしかして未成年?」

「高2ばい」

「ご両親は承諾してる?」

「そ、それは……」

「小桜さん、保証人は俺がするから」

「なめろうさん、泉原さんとはどんな関係なんです?」

「え、や、知り合いというか……」



 小桜は俺に胡乱うろんな目を向けた。どうやら、高校生を連れてきた俺を訝しんでいるようだ。



「なめしゃんは、うちの命の恩人ばい!」

「命の恩人……?」



 命の恩人は少々大仰な気がするが、舞音は真剣な顔で俺と出会った経緯や彼女自身の事情を小桜に話した。



「なるほど、そういうことなんだね。ちなみに家賃3万9000円は大丈夫?」

「貯金が10万円やけん、ギリギリばい」

「10万円か……」

「小桜さん、家賃を少し下げてあげられないかな?」



 俺はダメもとで小桜に交渉した。

 多分、断られるだろう。



「いいですよ」

「え、よかと⁉」

「舞音ちゃん、すごく大変みたいだし」

「ありがとです!」



 小桜にも、そんな優しい一面があったのか。

 俺が少し感心していると、小桜が俺の方に寄ってきて耳打ちをした。



「なめろうさんの成功報酬の家賃1か月分、舞音ちゃんの家賃に当てますね」

「……はっ⁉ ちょっと待てよ、約束が……」

「舞音ちゃんが苦しんでもいいんですか?」



 横目で舞音を見ると、満面の笑みを浮かべている。

 無職で奨学金返済も終わっていないから俺自身も苦しいが、それでも舞音に比べたら余裕がある。


 仕方ないか……。


 俺は舞音に悟られないよう、小桜に耳打ちで「わかった」とだけ伝えた。

 

 さよなら、俺の成功報酬。



「舞音ちゃん、私は管理人の小桜美葉です。舞音ちゃんは103号室に住んでもらうね。ちなみに102号室のなめろうさんは無職の管理人見習い」

「おい」

「だから、困ったことがあったら隣のなめろうさんに何でも頼んでね」

「おい……」

「はい! あと、お風呂がなかって……銭湯はあると?」



 ああ、そうだ。銭湯問題は深刻だ。

 そういえば、ゆるる達やもう1人の住人はどうしているのだろう?



「銭湯はないんだけど、ここのお風呂を使っていいよ。他の住人にもそうしてもらっているから」

「え、俺はそれ、聞いてないんだけど……」

「なめろうさんは男性だから、危ないかなって思って」

「そんな、俺を危険人物みたいに」

「今日ここで寝てたじゃないですか」

「それは小桜さんが泥酔したのがいけないんでしょ!」



 俺は再び小桜と睨み合った。

 なんで俺だけこんなにぞんざいに扱われなければいけないんだ。



「やっぱりお2人、仲良かね」

「「よくない!」」

「やっぱり息ぴったりばい。……あ、小桜さん、そういえばこの本はなにと?」

「これは実家の自分の部屋から持ってきた本。実家だと壁一面だけで収まったのに、ここだと生活スペースがなくなっちゃった」



 この量の本が壁一面に収まってしまう部屋って、どれだけ広いのだろうか。

 もしかして、小桜はお金持ち?



「ではなめろうさん、タスクです!」

「え、また⁉」

「この本を104号室に移動させてください」

「それは明らかに業務外だろ」

「いえ、ここはある意味本部。活動拠点が整頓されていなければ良い活動はできません」

「荒らしたのは小桜さんでしょ」

「これは荒らしじゃなく、れっきとした引っ越しです!」



 俺は嘆息しながら辺りを見回した。余裕で1000冊以上ある。

 しかも漫画や大衆小説は一切なく、どれも専門書のような分厚い本や何らかの写真集のようだ。


 本当に、小桜は何者なんだ……。



「うちも手伝いたか!」

「ほんとに? 舞音ちゃんありがとう! じゃあ早速やっちゃおう!」

「おー!」



 2人はテンション高めに拳を突き上げている。

 俺は嘆息しながら数冊の本を抱え、104号室に向かった。


 その後5往復、10往復と同じ作業を繰り返し、20往復したところで小桜の部屋が空っぽになった。



「ふぅ、綺麗になった!」

「そういえば小桜さん、実家に行ったのに家具や家電は持ってこなかったの?」

「親がいない時間帯に執事に頼んで車を出してもらったから、本だけしか運ぶ余裕がなくて。それに家電を持ち出したら親にバレますし」



 執事……これで小桜が金持ちであることが確定した。

 親は不動産オーナーだと言っていたし、きっと事業をしているのだろう。



「なめろうさん、引っ越しの時にいらなくなる家電、くれませんか?」

「あほ、俺は引き続き全部使う予定だ」

「じゃあ、選んでくれませんか? 家事はメイドがやってくれていたし、何を買えばいいかわからなくて」

「え?」

「あ、うちも家追い出された時に全部売ってしもうたけん、なるべく安いの探してほしか」

「え……」



 2人の期待のこもった視線が、俺を掴んで離さない。

 女子からこんなに熱い視線を送られたのは初めてだ。


 ……俺、何でも屋じゃないんだけどな。



「じゃあなめろうさん、明日のタスクです!」

「……はいはい」



 こうして俺は、七香とのデート以来初めて、女子と出かけることになった。


 俺よりも圧倒的に若い、美少女たちと。



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