第11話 ホビーフェスティバルへ行こう!
日曜日、僕と日菜は新橋駅を降りると、ゆりかもめの乗り場へ向かった。
「ホビーフェスティバルは、初めて行くわ」
日菜は、ぴょんぴょんと跳ねる野兎のように歩く。
白い襞のついたブラウスに若草色のカーディガン、紺のボックススカート。肩からポシェットをかけている。
ホビーフェスティバルは、お台場にある巨大展示会場で開催される、手芸や工芸、DIYの一大イベントだ。キルト、アートフラワー、七宝、ステンドクラス、アクセサリー、小物……。あらゆる手作り作品が集結する世紀のイベントだ。
出展者はこの日のために創作に励み、観客たちは夢を求めてこの聖地になだれ込む。
「うん。僕もだよ」
「いろいろな手芸品が見られるのね」
日菜はこの日をとても楽しみにしていた。僕もだ。
ゆりかもめは高層ビルの間を走っていく。汐留、竹芝と続き、日の出に停車したころから風景が変わる。
「お兄ちゃん。橋よ!」
「うん。レインボーブリッジだ」
「海もきれい!」
「お天気がよくてよかったね」
「うん!」
日菜が首を縦に振ると、栗色の髪がさらりと揺れた。
「着いたわ!」
乗客達は一斉に降りると、目的地に向かってぞろぞろと歩き始めた。
「ものすごい人ね」
日菜が目を丸くしている。
「本当に。はぐれないようにね」
僕は日菜の手を握る。
やがて会場のゲート前に到着した。
「ずいぶん早く来たつもりなのに」
開場前だというのに、閉じたシャッターの前は、すでに人で埋め尽くされていて、僕らの後ろにも続々と人が押し寄せてくる。
僕は、日菜の手を一層強く握りしめた。
ガラガラ
シャッターが上がる音がする。
前方の人たちは、屈んだ姿勢でシャッターが開き切る前に会場になだれ込み、いっせいに目的のブースへと走り出した。
「行くぞ! 日菜!」
僕らも負けじと走る。
ブースが連なるフロアを僕らは全速力で走り抜ける。
様々な素材のアクセサリー、小物、装飾品、衣類……。
色鮮やかな作品が視界を流れては去っていく。
「気を付けて!」
日菜を自分の方へ引き寄せた。
どすどす!
顔を紅潮させた女の人が、戦車のように僕らの横を走り抜けてく。
「危ない。危ない! あんなのにぶつかったら、僕らなんて吹き飛んじゃうよ」
冷や汗を拭いながら日菜を見ると、
「ふみゅ〜〜」
顔面蒼白になって震えていた。
「さあ! 気を取り直して目的地に行こう!」
僕たちは再び走り始めた。
目的地は……。
「着いたわ!」
やっぱりここだよね。
レースのブース。
ドイリー、ショール、アクセサリー、小物。
様々な作品が出展されている。
まずは、デモンストレーションブースに行く。
何かを創りたい、自分を表現したいという情熱。優れた作品に対する羨望と憧憬。ブースは出展者と観覧者の双方の熱気でむせ返るほどだ。
中には、芸術の域に達するような作品もある。
「これ! すごくきれいだわ!」
日菜がショールを指さす。
「そうだね。よくできている。これだけのものを編むのは大変だったと思うよ」
白い複雑な模様の円形のテーブルクロス。野の花々をイメージした、様々なモチーフがちりばめられ、細かい鎖網がそれをつなぐ。
木漏れ日のような編み目が美しい。
それからワークショップへ行く。
「コースターを作っているわ」
「うん」
四人掛けのテーブルが二つ。講師のレクチャーの下、コースターを編んでいる。
初心者でも三十分ほどで完成させられる基本的な模様だ。
順番待ちの人たちが後ろに控えている。
僕たち?
そりゃ、遠慮しておくよ。
「楽しそうね」
「うん」
「誰かのプレゼントかしら?」
「そうかもしれないね」
今日の記念。誰かへのプレゼント。
誰もが、楽しい思い出を詰め込みながら編んでいくのだ。
そうだ……日菜にも今日の記念に何か買ってやりたい。
後で展示販売コーナーも覗こう。
「日菜そろそろ移動しよう」
僕らは法人スペースへ向かった。
手芸用品メーカーの新作発表をすると共に、小売販売もされる。
見ておきたいし、良いものがあれば購入したい。
「お兄ちゃん! あれ見て! 綺麗よ!」
日菜が指さす。
設営されたステージでは、出展者の作品によるファッションショーが行われていた。
わっ……と、
歓声が上がる。
モデルの一人が手を肩の高さに上げて広げた。薄い布が蝶の羽のように後ろにたなびき、観客たちがひらひらと舞い踊る布と、モデルの足取りを凝視する。
軽快なメロディーと力強いビートが響く中、モデルたちは衣装を誇るようにランウエーを歩く。
「すごい人だな」
僕は、はぐれないように日菜の手を握りしめた。
「法人スペースだよ」
法人スペースには、手芸道具や糸や布などの材料が展示され、人々が目をらんらんとさせ、それらを値踏みしている。
「へぇ……この編針は使いやすそうだな」
レース編み針の新作だ。用途に併せて使い分けられるように、五本でワンセットになっている。。
「うん。手触りがすごくいいわ。それに太さもちょうどいい。持つとしっくりくるの。それに、色もピンクでかわいい!」
「うん」
「ケースは別売りなのね」
ケースは白地に赤い花模様の布製だ。下にポケットが付いていて、備え付けの紐で巻いて筒状にできる。
「これなら必要な針だけ持ち歩けるわ。それに可愛い」
「うん。便利だね。あ、でも、上級者用の針も入っているけど、日菜に使いこなせるかなぁ」
「ひどいわ! お兄ちゃん私だってきっと上手くなるわ!」
僕がからかうと、日菜がぷっと膨れた。
「お兄ちゃんあれ。何かしら?」
日菜が指さす方を見ると、スーツ姿の男たちの輪ができていて、そこだけ周囲と空気が違う。
どうやら誰かを取り囲んでいるようだ。
彼らは静かに、目立たぬように、それでいて異質な存在感を放っていた。
輪の中心は二人。
人に囲まれよく見えないが、一人は中年の男性で、もう一人は女性のようだ。
――輪の中心から声がする。
「坂下君!」
凛と通る声。
えっ? なんで僕?
「ふみゅー!?」
日菜も驚いている。
――すっと……。
背広の男たちが、潮が引くように道を開け、輪の中から、緋色のワンピースの女性が現れた。服と同じ色のハイヒールで、滑らかに歩み寄る。
その姿は、紅海を渡るモーゼのごとく。
夜の川のように、肩から背中へ落ちては流れる黒い髪。
髪とワンピースの裾が、足の動きとともに揺れた。
アーモンドのような切れ長の目。
少し薄い唇。細面の整った輪郭。
「神宮司部長!」
思わず声を上げる。
「あなたもここに来ていたのね」
日菜と繋いだ僕の手に、刺すような視線を向けながら言う。
「部長は、どうしてここに?」
いや、来ていたっていいはずだ。
ここは手芸の祭典だもの。
部長はレース編みの名手だ。
でも、ただの見物人でも出展者でもなかった。
「これ……」
部長が頭上の法人ブースの看板を指す。
『JINGUJI』
「えっ!?」
言葉を呑み込む。
そうだった……。
「そうなのよ。新商品のお披露目。あなたたちが手にしているその編み針よ。今、イチオシの商品なの」
神宮司部長の家は、繊維業を基盤とするグループ企業だ。手芸用品も事業の一つなんだろう。
だけど、僕の驚きはそれで終わらなかった。
「お姉さま!」
感極まった声がすぐ隣から発せられ、僕は声のする方を見た。
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