第29話 囮

 ――どこをどう通ったのかも解らない。

 気がつけばレナロッテは森の魔法使いの小屋の前まで来ていた。


「早くこちらへ!」


 声を掛ける前にドアが開き、焦った顔のフォリウムが彼女を招き入れる。


「フォリウム、ノノが……ノノが……」


 うわ言のように繰り返すレナロッテから弟子を受け取り作業場へと直行すると、魔法使いは大きなガラス瓶に小さな子供の体を収めた。そしてそこに、透明な液体を満たす。いくつもの管の刺さった謎の装置に縦型にセットすると、ノノの体は立った状態で液体内に浮かんだ。赤い髪や狐の尻尾がゆらゆらと水に漂う。ぽっかり空いた腹の半円は、傷口から激しい泡が噴き出している。


「ノノは大丈夫なのか? 生きてるのか?」


「……解りません」


 蛭になったレナロッテにはあんなに『大丈夫』と断言していたフォリウムが眉間にシワを寄せている。彼は嘘をつかない。それほど深刻な状況なのだ。


「すまない。私のせいだ。私のせいでノノが……」


 顔を手で覆って泣きじゃくるレナロッテの右腕の触手が波打ち、粘液が湧き出してくる。

 フォリウムは彼女の両手首を掴んで下げると、顔を近づけた。


「落ち着いてください、レナロッテさん」


 至近距離で目を合わせる。魔法使いの澄んだエメラルドの瞳は美しく、吸い込まれてしまいそうだ。


「寄生魔物の制御の仕方は覚えてますね? ゆっくりと深呼吸してください」


 レナロッテは頷き、大きく息をして心を鎮める。呼吸をする度に、あんなに暴れていた長大な触手も徐々に短くなっていく。


「すまない、フォリウム。私がノノを……」


 言いかけた彼女の唇に、彼が人差し指を当てる。


「今はよしましょう。何を言っても心が荒れるだけです」


 ……確かに、思い出すと胸が痛い。レナロッテは唇を噛んで言葉を飲んだ。そして別のことを尋ねてみる。


「ノノは? 助かるのか?」


「解りません。上手く行けば体は治るでしょう」


「……体は?」


 聞き返す彼女に答えず、魔法使いは弾かれたようにドアの方を見た。


「これはいけませんね」


 苦々しく呟く。


「どうしたんだ?」


「追手です」


 フォリウムは棚から林檎ほどの大きさの水晶玉を取り出し、テーブルに置いた。覗き込むと、武装した兵士の列が森の中を歩いているのが見えた。


「狼の襲撃の後から、結界に『目』を増やしたんです」


 木の梢に、魔法使いの視覚と直結できる『目』がついている。だからレナロッテが帰ってきたのも解ったのだ。


魔物あなたを探しているのでしょう」


 槍を携え進む軍隊に、レナロッテはごくりと唾を飲んだ。


「でも、ここは結界が張ってあるから見つからないのだろう?」


「明確な目的のある者は結界を越える可能性があります。集団なら特に」


 その目的とは、レナロッテの殲滅だ。


「では、どうするんだ?」


デコイを使います」


 そう言うとフォリウムはナイフを取り出し、「失礼」と何気なく短くなったレナロッテの触手の一本を掴み……根本から切り落とした。


「……!」


 ブツン! と音を立てて体の一部が奪われる。レナロッテは悲鳴を上げて床に転がった。切り口から紫の液が噴き出し、ドクドクと脈打っている。痛覚のある触手の切断は、本物の腕と同じだ。

 痛みにのたうつ彼女をそのままに、フォリウムは返す刀で自分の長い髪を束ねた紐ごと切った。

 魔法使いは、宿主を失ってもうねうね動いている触手と艷やかな長い栗毛を一纏めにして、暖炉に放り込んだ。

 すると暖炉は紫の炎を上げて燃え上がり、


 ボンッ!!


 破裂音を立てて、中から巨大な蛭が出現した!


「適当に暴れてきなさい。ただし、人は傷つけないように」


 フォリウムが命令すると、紫の蛭は巨体を震わせ頷き、のそのそと森の中へ這っていく。


「い……今のは……?」


 痛みに耐えてレナロッテが訊くと、


「あなたの触手と私の魔力でハリボテの魔物を作りました。あの軍隊はハリボテを討伐して満足して帰っていくでしょう」


 フォリウムは飄々と答える。それから、膝をついてレナロッテの右腕を取った。


「手荒な真似をしてしまってすみません。まだ痛みますか?」


 言われて患部を見ると、切り取られた傷口は既に塞がり、新しい小さな触手の芽が出ていた。再生するのも織り込み済みだったのだろう。


「もう、平気だ」


 再生した後は痛くない。ただ……切られた時の衝撃は地獄だった。

 しかし、レナロッテはそのことでフォリウムに抗議はしなかった。

 ……彼が酷く憔悴しているように見えたから。

 水晶の中には、巨大な蛭が兵士に囲まれ槍を突き刺され、火にかけられて悶える姿が映し出されている。

 勝ち鬨を上げる兵士に、レナロッテは居たたまれなくなって目を逸らした。


「これで侵食された箇所を落としてください」


 右反面が魔物になりかけた女騎士に、魔法使いが石鹸を差し出す。


「それから今日はもう休んで、事情は明日聞きます」


「……ああ」


 言い返す気力もなく、レナロッテは頷いて水場に向かった。

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