第26話 森を離れて

 出発の朝は、とても晴れていた。

 眩しい日差しにレナロッテは目を細める。小鳥達の歌声が、まるで彼女の門出を祝福しているようだ。

 小屋の前で、最後のお別れ。


「忘れ物はありませんか?」


 尋ねてくるフォリウムに、レナロッテは思わず笑った。


「ないよ。もらった物ばかりだ」


 ここに来た時の彼女は、ブヨブヨの醜い蛭で、下着すら付けていなかったのだから。今着ているチュニックもズボンもブーツもフード付きのポンチョも、皆、魔法使いが与えてくれた物だ。そして、肩から掛けたバッグには、餞別のホリーの石鹸がぎっしり詰まっている。


「どうぞ、息災で」


「ありがとう。何から何まで」


 フォリウムの差し出した手を、レナロッテが握る。手を繋いだまま彼女は、


「よかったら、結婚式に来てくれないか? フォリウムとノノは恩人だから」


 彼女の提案に、狐の子供は三角耳を立てて興味津々だが、師匠の方は――


「やめておきましょう」


 ――一笑に付した。


「魔法使いはおとぎ話です。現実とは交われません」


「そっか……」


 そうやって、魔法使いは魔法使いの暮らしを、人間は人間の暮らしを守っていく。


「では、さよならだ」


「ええ。さようなら」


 次を期待させる言葉は使わない。終わりの台詞だけで、二人は離れた。


「こっちだよ」


 大きな行李こうりを背負った薬屋の青年に化けたノノか先導する。

 見送りもせずにフォリウムは家の中に入ってしまった。

 レナロッテは何度も名残惜しげに丸太小屋を振り返ってから……森を抜けた。


 ――家の中に戻った魔法使いは、閉じたドアを背にため息をついた。

 それから、いつものように作業台に薬品調合器具を用意して……。


「この部屋、こんなに静かでしたっけ?」


 小さく独りごちた。


◆ ◇ ◆ ◇


「はい、これ」


 セニアの街の外壁前で立ち止まり、ノノに木札を渡される。それは、街に入るための通行手形だ。大きな街の出入りには、通行証や身分証明書が必要になるのだ。

 ノノが持っていた手形には、領主の許可印が押してある。


「どうしたんだ、これ?」


 通行手形の発行には身分証明書が要るはずだ。狐分配合の人工生命体ホムンクルスがそんなもの持っているわけがないのだが……。

 大人のノノは線で描いたような特徴のない口の端を上げ、足元に落ちていた葉っぱを一枚拾った。


「これをこうして……」


 両掌で挟み、呪文を唱える。


「こう!」


 手を開くと、葉っぱは木札に変わっていた。


「イッツ、狐マジック!」


 得意げにふんぞり返るノノだが、立派な不正だった。

 ……本来なら、レナロッテは取り締まる憲兵側なのだが……。

 見なかったことにしよう、と心に留めた。


「ペルグラン邸の前までは送るよ。そこでお別れだね」


「ああ」


 無礼な奴だったが、ノノの毒舌も今は懐かしい。……と、思ったが、


「お師様が請求するなっていうから、今までの経費はチャラにするけど。誠意があるなら自主的に森の前にお菓子をお供えしてね。回収するから。油揚げも歓迎だよ!」


「……油揚げ?」


 ノノはどこまでもノノだった。


「さあ、行こう」


 外壁の門が見えてくる。

 レナロッテは大きく息を吸い込んで……。


 懐かしい街へ足を踏み入れた。

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