憑かれた女騎士は森の魔法使いに癒やされる

灯倉日鈴

序 森の出逢い

 吐く息が熱い。

 吸う息がひりつく。

 梢を揺らすそよ風が肌を掠めるだけで、剃刀で削がれたような激痛が走る。

 とめどなく湧く腐敗臭に、嘔吐感がせり上がる。


 ……何故、私はここにいるのだろう?

 ……何故、私はこんな目に遭うのだろう?

 ……何故、私は……。


 風の音に混じって人の声が聴こえた気がして、レナロッテは薄目を開けた。

 途端にまぶたからドロリとどす黒い紫色の粘液が流れ出し、視界を濁らせる。

 澱んだ瞳を凝らすと、木漏れ日の降り注ぐ明るい森の中からこちらへ向かってくる二人の人影が見えた。


「お師様、見つけました! ここです!」


 レナロッテの前まで駆けてきた子供が、振り返って手招きしている。

 年は五・六歳か。顔と声からでは男女どちらか区別がつかない。ただ、その子供には人間の体に狐のような大きな三角耳とふさふさの尻尾があった。

 子供の後方にいるのは背の高い青年。柔らかい栗色の長い髪に、深い緑色で染め上げた絹のローブを纏っている。手には水色の水晶を嵌めた白樺の杖が。


「こいつが結界を破ったんですよ。クサっ! キモっ! 早く処分しちゃいましょ」


「ノノ、そんなに焦らず」


 レティアを指差し悪態をつく子供に苦笑して、青年は片膝をつき、杉の大木の目元に蟠る彼女を覗き込んだ。


「こんにちは」


 エメラルドのように澄んだ瞳を細め、に青年はごく自然に挨拶した。


「貴女はどうしてここに居るのですか?」


 訊かれた瞬間、彼女は息が止まるほどの衝撃を受けた。もうどこにあるかも判らない心臓が、ドクンドクンと脈打って跳ね回る。


 ……本当なら、前に自決すべきだった。


 それが騎士の在り方だと教えられてきたのに。

 名誉の為に死ぬことこそが、自分の選んだ道だと決めていたのに……。


「……ケテ」


 粘液に固まって塞がっていた唇を、無理矢理剥がす。


「……タス、ケテ。……キ……イ」


 どろどろと崩れる指の形の判別できない手を伸ばし、精一杯しわがれた声を絞り出す。


 ……私は――


「――キタイ」


 呼吸をすると汚臭が濃くなり、身体の内側がらドプリとヘドロが噴き出す。

 青年はなめらかな掌で、彼女の手を包んだ。


「わかりました」


 微笑む彼は、神殿の精霊像のように美しい。

 こんなに悲惨な状況の中、彼女はなんだか……自分の粘液が彼の袖を汚すのが酷く恥ずかしかしくなった。



 ――これが、女騎士レナロッテと森の魔法使いフォリウムの出会いだった。

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