第51話 ママのおっぱいを揉む母さん

 まひるさんが両手を口元に当てて大きく目を開ける。


「わぁ~! 湊ちゃん先輩~?」

「よー。久しぶりだなお嬢様。いくつになってもロリ巨乳だなぁお前は」


 そう言って、俺の(現)母親の胸を両手で揉み出す俺の(真)母親。クールに無表情な母さんとは違い、まひるさんはもみもみされても「湊ちゃん先輩こそ~♪」と嬉しそうにニッコニコである。いやなにを見せられてんだよこれ! 夕姉と夜雨も呆然としてんぞ!

 俺はたまらず前に出て言う。


「いやいやいや! な、なにしてんだよ母さん!」

「まひるのおっぱい揉んでる。気持ちいいんだよなぁこれ。朝陽もよく揉んでんの?」

「んなわけないやん!? なんで平然とそういうことできんの!?」

「なんでって言われても、昔からやってるから」

「そうですね~♪ 湊ちゃん先輩のおてて、温かいから気持ちいいんですよ~♪」

「俺の母親どっちもおかしくねぇ!? イベントの場でやめなさい! だーもうそういうことじゃなくてなにしに来たって言ってんのぉ!」

「はいはい落ち着け。本を買いにきたに決まってんだろ。こちとらお客さんだぞ」


 そう言ってまひるさんから手を離すと、今度はお金を差し出すマイペースな我が母に俺はもう呆気にとられるしかなかったのだった。



 ――こうして実の母親に最後の一冊の同人誌を買ってもらうという羞恥プレイの罰ゲームかよみたいなことをした後、俺は美空家のみんなに了承を貰ってからブースを離れ、母さんと共に会場を出た。


 そのまま廊下を抜けて突き当たりの扉をくぐると、非常階段の踊り場に出る。そこで柵に寄りかかった母さんは、ポケットからいつものようにタバコを取り出し口に咥え――


「と思ったらそれ駄菓子じゃん! ココアシガレット持ってんの!?」

「禁煙だよ禁煙。箱はどんどん高くなるわマナー違反のアホ共のせいで肩身は狭くなるわ、こんな時代にもうタバコなんて吸ってらーんない。こっちでも以外と口寂しくないしな。それに糖分で脳が喜ぶ。ほら、お前好きだったろ」

「あ、うん」


 同僚にタバコでも勧めるように箱を軽く振って出てきた一本をいただく俺。母子揃ってココアシガレットを咥えた。ウマイ。つい囓りたくなるのを我慢して舐めるのもいいんだよな。


「――あ、そうだ母さん。海老園美咲って人知ってる?」

「は? ……お前、まさかその年でBLに目覚めたの? マジかぁ……やるじゃん……」

「いやいや違ぇよ! 達観したような顔で息子を見ないでお願い!」

「冗談だよ冗談。で、あの歳で芸能界の大御所みたいな雰囲気出してるあの老けたおっさんがどうした」

「あーうん、実はその……」


 そこで俺は、えびぽてとさんという同人仲間に出会ったこと、そしてあの喫茶店での出来事を少々かいつまんで話した。

 すると母さんは咥えていたココアシガレットを手でつまみ、笑い出した。


「はっはっは! なにお前、あんな売れっ子にケンカ売ったの? しかも女のためって、なかなか主人公やってるじゃん。あーはいはいそういうことね。はっはっは!」

「そんな笑うなよハズイっての! それに別にえびぽてとさんのためじゃなくって、俺が単純にキレただけ! けどそのせいで母さんやまひるさんたちに迷惑かけてねぇかなって心配でさぁ」

「相変わらず子供らしくないとこまで気ぃ遣うなお前は」


 母さんはまたココアシガレットを咥え、それをぷらぷらさせながら話す。


「まーその心配ならいらん。あのおっさん、そんなくだらんことで圧力掛けてくるような小物じゃないから。それにお前、だいぶ気に入られてたぞ」

「は? ……え? なにそれ? ど、どういうこと!?」

「これみろ」


 母さんはスマホを取り出し、メッセージアプリの会話画面を俺に見せてきた。


『湊。お前の息子はなかなか骨があるな』

                            『は?』

『しかも物書きという』

『紫とも縁が出来たようだし、これも運命だろう』

『いずれ婿として我が家に迎え入れたときには、BLの世界に導いてやるつもりだ』

        『なにいってんだおっさん病院いけこっちは仕事で忙しいんだ』

『今は美空の家で世話になっているそうだな。ふむ。まひる君にも相談しておこう』

『ではまた会おう。我が旧友の湊よ』

                            『うざ』


 母さんとやりとりしている相手の名前は『みさきち』。そしてアイコンはあのおっさんの険しい顔写真。文の最後にはその顔にまるで似合わないニッコリマークのほのぼのスタンプが添えられている。一方の母さんはめちゃくちゃ塩対応だった。


「……母さん? …………ひょっとして、あ、あの人と知り合い!?」

「中学の同級生。あたしはアイリス進学でこっち来て以来アイツとは会ってなかったんだが、本名でBL作家やりだしたもんだからそのうち気付いてな。パーティーでばったり再会してBLの魅力説いてくんの。お前となにかあったのかと思ったが、まさかそんなことになってたとはなぁ」

「えええええ!? そんな話聞いてねぇよ!?」

「そりゃ話してないしその必要もなかったろ」

「そ、それはそうだけどさ! あの人が母さんの……てかまひるさんともやっぱ知り合いかよ! はぁ~~~やっちまった!」


 頭を抱える俺に対して、母さんは平然とした態度で返してくる。


「この業界、割と狭いからな。そういうこともあんだろ。つーかお前、普段あんな家族と一つ屋根の下でシコシコやっときながら、外ではみさきちの娘と乳繰り合ってるとか。ラブコメっつーかエロアニメの主人公じゃん」

「実の息子になんつー評価だ! そんなことよく真顔で言えるよなっ! つーかシコシコやってねぇし乳繰りあってねぇよ!」

「ま、コネが出来てよかったじゃん。みさきちの娘とも仲良くしときな。絶対白バラコーヒー好きだろうしお前と話し合うだろ。県民の味だからな」

「あ、それ訊いてなかったわ」

「んじゃそれ次話す口実にしとけ。ああ、ラブホデートはまだやめとけよ。マジであのおっさんが父親になんぞ」

「行かねぇっての!!」


 いつもめちゃくちゃなことを言ってくる母さんに、俺がこうしてツッコミを返す。そんな馬鹿らしいやりとりが俺たちらしくもあり、そんな遠慮のない親子間の空気が俺は好きだった。

 母さんが少し落ち着いた感じで言う。

  

「しかしあれだな。男子三日会わざればうんたらみたいなヤツだな」

「な、なんだよ急に」

「電話じゃわからんことが多いってこった。もう美空の家にすっかり馴染んでるみたいじゃん。それにお前、ずいぶん前に創作やめたって言ってたろ」

「あー、うん。まぁいろいろあってさ」

「そうか。あの息子が女の園で創作活動に励んで、しかもオリジナルで完売とはねぇ。やるじゃん。やっぱお前は私たちの子どもだな」


 母さんは手元の同人誌を眺めながら、ちょっと嬉しそうな顔をしていた。そう言われると俺も悪い気はしないし、むしろちょっと照れる。しかし実の母親に作った同人誌買って読まれるとか恥ずかしすぎるだろ。個人制作だったら絶対読まれたくないわ。


 母さんは同人誌をめくりながら言う。


「んで、考えてみたか?」

「ん? あー……」


 母さんが何のことを言っているのかすぐに思い当たる。

 俺はココアシガレットをぽきっと噛んで半分食べた。懐かしくて安心する味だ。


「まぁ考えたよ」

「そうか。で、どうする? 結構広いマンションだから遠慮はいらんぞ。こんなんでよければいくらでも買ってやるし」

「駄菓子いっぱい買ってもらっても困るって」

「ふーん。前は店内のココアシガレット全部買い占めたいって言ってたのになぁ」

「ガキの頃の話だろ? もうそんな歳じゃねぇって」

「ま、そうだな。やっぱ子どもの成長は早いわ」


 母さんはココアシガレットを咥えたまま本を閉じると、少しぼーっとした顔で外の景色を眺めた。

 俺も同じところを見る。会場を出ていく人たちはみんな楽しそうな顔をしていた。


「母さんはさ、親父のことどう思ってんの?」

「ろくでなしのアニメバカ」

「すげぇ端的! でもまぁそうだよな。別にあんな親父と無理に再婚しなくていいって。またアニメのことで揉めるだろどうせ」

「おー。母親の気遣いまで出来るようになったのかぁ」

「そんなんじゃないけどさ……まひるさんを見てるといろいろ考えるっていうか。ともかく、母さんは今の生活大事にしなって。いろいろ大変だったんだろ」

「ま、相変わらずブラックな仕事だかんなー。あの人も私も。朝陽、お前はこっちの世界くんなよ。来たら干すぞ」

「怖ぇな! 息子を業界から干す宣伝する母親いる!?」

「はっはっは。そんくらいの覚悟持てってこと」


 それから少しだけ間が空く。

 俺は、ちゃんと答えを言うことにした。


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