第35話 金の代わりに失ったもの

 その日は朝から雨で、待機の時間が延びていた。

 皆、膝にブランケットをかけ、ただ時間が過ぎるのを待っていた。


 矢崎が空気を変えようとプチシュークリームを買ってきた。

 もちろんポケットマネーだ。


 声をあげて喜ぶ娘もいたが、クールぶって手をつけない女の子にも、矢崎はわざわざお願いして食べさせた。

 皆が平等に口に入れたのを見ると、矢崎はやっと椅子の一つに座り、足を組んだ。

 その絵面は、まさにハーレムで女の子全員が矢崎に接待しているようだったが、実際に接待しているのは矢崎だった。


「俺さ、昔ホストやってたんだよ。その時に一目惚れした女がいて、」


 やっぱりホストだったんだ!

 瀬奈は驚いた。

 だけどもっと驚いたのは、周りにいる誰一人、そこには反応しなかった事だ。 


 「一目惚れなんて、そんなピュアな時代あったんすか?!」

 人懐っこい娘が、体育会系の後輩みたいに絡んだ。

 周りの女の子達も次々に声をあげた。

「えーきもいっ」

「意外なんだけどー!」


 瀬奈の心だけが沈んでいった。

 皆は知っていたんだ。

 それは周りの娘の方が、矢崎と親しい事を意味していた。

 もっとひどいのは、過去とはいえ矢崎に惚れた女がいた事だ。


 皆が彼の話に興味深々で、ほっとした。

 瀬奈のぎこちない心が隠してもらえると思った。


 話し上手な彼は、今まで静かだった待機室を、すぐに活気のいい暖かい場所に変えてしまう。

 多くの女の子が、彼を好きだった。

 瀬奈も好きだが、皆とは違う意味になっていた。


 純粋に彼を好きになり始めていた事に気がついた瀬奈は、自分自身に打ちひしがれた。 


 これは浮気と呼ぶのだろうか?

 しかし、亮太の事は今も変わらず愛していた。

 ひょっとして、これを二股というのだろうか?

 瀬奈は焦り始めた。


 矢崎は、精神安定剤に過ぎなかったはずなのに……。

 弱い自分が嫌になった。


 矢崎のことを考えてプレイするのは、もう辞める事にした。


 その晩、瀬奈は眠そうな亮太にわざわざお願いして、セックスした。

 彼を愛していると全身で確かめたかった。


 彼の身体の奥に入り込もうとするように、自分の体を擦りつけながら力一杯抱きしめた。

 股間だけじゃ足りなかった。

 海に潜るように、亮太の体内に丸ごと浸かりたくなった。


 思いだけが先走った。

 皮肉な事に、身体の感度が枯れてきたのを、この時はっきりと自覚した。


 それは愛が減ったからじゃない。

 性行為に慣れすぎてしまったせいだ。

 そんな自分に焦り、亮太への罪悪感がより一層深まった。


 次の朝、なんとかしようとオナニーしてみた。

 集中も出来なければ気持ち良くもならず、二分で手が止まってしまった。


 身体の感度は、金の代わりに失ったものだ。

 それでも亮太とのセックスは辞めたくなかった。

 触れ合っている間は、亮太だけに夢中になれた。

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