第21話 ゆりとの出会い➁

「ゆりさんって、どのくらい風俗やられてるんですか?」

「そろそろ六年かな、元々はOLだったんだ」

「本当ですか?私も実は、昼の仕事してるんです」

「やっぱりね、学生さんじゃないと思った」

 瀬奈は肩をすくめた。

 若い娘じゃなく、ゆりに言われるのは、全く嫌な気にならなかった。


「どうして風俗始めたんですか?」

「なんて言えばいいかな。私はね、特別お金に困ってるわけじゃなかったの。ただ、もっと女として愛される経験を積み重ねたいって思ったのよね」

「はあ…でも、ゆりさんモテそうですよね?」

「全然だよ。あったとしても雑なナンパくらいじゃない?」

 ゆりは、さらりと言った。


 私とは違う。

 瀬奈はナンパも痴漢もセクハラもされた事がなかった。

 自分にはない余裕を、ゆりに感じた。

 彼女は元々モテる女だから、ピンサロで人気があるのはあたりまえの事だ。

 少し心が折れかかった。


「大学時代からの彼氏がいて、結婚するなら彼がいいなって思ってたの。だからそういうのは全て断ってた。

 そんな時にね、会社の上司にセクハラされたんだよね。生まれて初めてのセクハラ。たまたまエレベーターで二人っきりになった時にね、後ろからスカートの中に手を入れられて……。

今となっては気味悪いんだけど。その時の私、なぜか嬉しかったのよ」


 ゆりの口調はゆっくりとして、大きな瞳は潤みがかり、どこでもない一点を見つめていた。

 まるで当時の感触を味わっているように、瀬奈には見えた。

「え?!」

 小さな悲鳴をあげる瀬奈に、ゆりは恍惚から醒め、困った顔で笑った。


「彼をかばう気はないけど。その時にやっと、私やばいなーって気付けたの。もちろん、セクハラはそれ以降許さなかったけどね。

 でも思い返せば、強要された訳でもないのに彼氏一筋で生きてたからさ。浮気なんて考えた事ないし、合コンすら行った事ない。それでも私って、彼以外の男にも感じられちゃうんだなって」

「私って、昔のゆりさんみたいです。

 もちろんセクハラはされてないですけど。今は彼一筋だし、彼しかいないって思ってます」

「それは幸せな事なんだけどね。でも、そんな時期にこの店に来てよかったよ。何がきっかけかは知らないけど」


 瀬奈は話そうとして言い淀んだ。

 借金返済までならいい。

 だけどランキング3位のゆりに、ビリの瀬奈が1位を取りたいだなんて言うのは、あまりにもおこがましく思えた。


「彼しかいないって当時の私も勘違いしてたけど、ここって色んな男と出会えるでしょ?だから本当に彼じゃなきゃだめなのかって、確かめられるいい機会かもよ」

 瀬奈は、そんな発想に至ったことは一度もなかった。

 そう考える事の出来るゆりは、たしかに仕事を楽しむ力を持っていそうだった。


 瀬奈には、まだその器はない。

 亮太を失うのが怖くて、そんな自分の臆病さに振り回されてばかりだった。

 ゆりが知ったら、未熟者だと笑うだろうか。

 結局、瀬奈はただ微笑んでみせるだけだった。


 ゆりは、それ以来たった一人の人としか関係を持てないのが惜しくなった。

 同時に自分の女としての価値をもっと知りたくなった。

 可能性を追求すべくネットで風俗店を探し、ヘルスに辿りついたそうだ。


「どうしてヘルス辞めちゃったんですか?」

「今しか出来ない事がしたかったからかな。デリってもう少し歳取ってからでもいけるけど、ピンサロはもっと若い子が多いから今滑り込まないと、だめな気がして」

「はあ……」

「相当シュールで最初びっくりしたけどね」

「シュール……ですか?」

「だって特殊だもん。お互いのプレイが丸見えなんて、他ではないからね。通る時にしか見ないけど、ちょっと勉強になるし」

「え、そうなんですか?」

「体位とか?ほら、シート狭いし。あとは、空気感」

 瀬奈は、くうきかん、と標語を読むように復唱した。

「狭くてうるさいシートの中でも、二人だけの空間を作れている子は一目でわかるよ」

「そういうもんなのですか……」


 ゆりには、自分にはない視力がある気がしてきた。

 どうやってその視力を手に入れたかは分からない。

 それがセンスというものなのかもしれなかった。

 見る力がないと、気付く事すら出来ない。

 今までの瀬奈は、接客に我慢する事に精一杯で、他人のプレイを気にしている場合じゃなかった。

 皆も嫌々やっていると思い込んでいたが、どうやらそうでもなかったらしい。 

 この一ヶ月はなんだったんだろう、瀬奈はぼんやり思った。


 ゆりの身体は引き締まっていて、小枝みたいに細かった。

 それでも、その中には頑丈な太い幹のようなものがあるのを感じた。

 そして胸に響くような、低く落ちついた声で話す。

 声や話し方、眼差しや仕草。

 それらが作り出す彼女の空気の中にいると、瀬奈は不思議と守られているような安心感があった。 

 

 瀬奈は迷っていた。

 この仕事はひたすらきつい。

 人気も出ず、今のままでは1位なんて夢のまた夢に終わってしまいそうだった。


 心のどこかで、風俗嬢だと見下していたはずの女の子たちを、見下せなくなっていた。

 彼女達は、数字として自分より遥かに実績を残していた。

 そしてランやゆりと話す事で、瀬奈と同じように、自らの意思でここで働く事を選んだのを知った。

 きっかけはそれぞれだが、皆目的がある。

 自分は周りの女と違って堕ちていない。

 そんな嘘っぱちの見栄が、通用しない事にも気がついてしまった。


 このままでは絶対に、自分一人の力だけじゃ上手くいくはずがない。

 この仕事の楽しさも、頑張り方すらも、分からない。

 少し見た目は変えられたが、瀬奈はまだ欠陥商品のままだった。

  

 待機室には他の女の子はいなくなっていた。

 ゆりは足を組み替えた。

 短いスカートから伸びた脚に、艶めかしさを感じた。


「あの、ゆりさんに弟子入りさせては頂けませんでしょうか」


 自分でもこんなお願いを、風俗嬢にする日が来るなんて思わなかった。

 だけどこの人になら、両手を仰いで助けを求めてもいい。

 恥ずかしくないと思えた。

 そんな相手に出会える事はなかなかない。

 瀬奈の決意は固かった。


 無音の空間で、瀬奈は頭を下げ続けた。

 足を揃えたローファーのつま先を眺めながら、顔に血が溜まり、熱くなっていくのを感じた。


 ゆりのゲラゲラとした笑い声が、沈黙を破った。

「本気です」

 瀬奈は赤くなった顔で、真剣に言った。

「変な子」

 ゆりは笑顔のまま、涙で少し濡れた目尻を指先で拭った。

 ピンク色のツヤツヤとしたネイルが光った。


 この店では、身バレ防止の為に、連絡先の交換は禁止だった。

 ゆりはそっと瀬奈にスマホの画面を見せてきた。

 LINEのQRコードが表示されていた。

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