夏風色の少女 〔現代ドラマ・ヒューマン〕

楠本恵士

【夏風色の少女】① 

 それは大学二年生になったボクが迎えた、嫌な夏休みだった。

 大学に入ってみたものの、あれほど切望して受験勉強をして入学した大学だったが……一年生の秋ごろなると、ボクのキャンパスライフの熱量は急激に冷めていった。

(いったい何のために、大学に入ったんだろう? 自分は何をしたいんだろう?)

 受験勉強をしていた時は、周囲がしているので、自分もただなんとなく勉強をしていて……人生に目標もないまま、なんとなく大学に入った。

 最初は、それなりに大学生活に熱量もあったのだが。

 クラブにも入らずに、友人作りに不器用なボクは、バイト先とアパートを往復するだけの生活……たまに大学に行っても、単位のためだけに講義を聞くだけの日々に、無味を感じていた。


『燃え尽き症候群』そんな言葉が頭に浮かんでいた大学二年目の夏──高原で民宿を営んでいる叔母から、夏休みに避暑を兼ねて民宿の手伝いに来て欲しいと誘いの電話があった。

《お姉さんから聞いたわよ、先月バイトやめちゃったんだって……夏休みに何もやることなかったら、うちの民宿手伝いに来なさいよ、それなりのバイト代出すから。

夜は天然のクーラーで涼しく眠れる小部屋もあるし、三食出すから……夏にバイトで来る予定の子の都合が突然、だめになっちゃってね──民宿の仕事がない、ヒマな時には好きなコトしていてもいいから……高原は涼しいわよ、はい決定!》


 ほとんど強引に押しきられる形で、ボクは叔母夫婦が夏場にやっている民宿の手伝いをするために、都会から電車を乗り継いで涼風がそよぐ高原にやって来た。

 ペンションや民宿が立ち並ぶ、避暑地にある叔母の民宿は古民家風の民宿で、取り壊しになる古民家を買い取って移転した民宿だった。


 民宿の露天風呂には、天然の温泉が掛け流しされている。

(後で、ひとっ風呂浴びようかな)

 与えられた部屋で荷物を降ろして、普段着に着替えたボクは二階から叔母がいる台所へと向かった。

 土間の台所では、なにやら叔母が誰かと話しをしている声が聞こえてきた。

「いつも、すまないですね……新鮮な高原野菜を無料で毎回分けてもらって、都会で買うとそれなりの値段ですよ」

 男性の声に続いて叔母の声が聞こえた。

「そんなに気を使わなくてもいいのよ、田舎ではたくさん野菜を近所から頂くのが普通だから……娘さんの具合はどう?」

「おかげさまで、空気が良くて新鮮な野菜を食べているせいか、だいぶ良いみたいです」


 ボクが階段の所に立って台所を覗くと、叔母と向かい合う形で四十歳前後に見える男性と。

 男性に寄り添うように立つ、ストローハットを被った、ワンピース姿の高校生くらいの少女がいた──色白で少し腺病質に見えた。

 階段から降りてきて覗いているボクに気づいた、少女が会釈して頭を軽く下げる。

 ボクも無言で頭を下げる、振り向いた叔母が言った。

「あ、 大樹たいきちょうど良かった。紹介するわね……こちら、柏木さん。近くの別荘に娘さんの療養で滞在しているの。柏木さん、電話で話した甥っ子の大樹です」

 柏木さんが、ボクに軽く頭を下げる、ボクもつられて少女に続いて二回目の頭を下げた。

「君が大樹くんか、美術関係の大学に行っているんだって」

 柏木さんが、自分の娘を紹介する。

「娘の 玲夏れいかだ……少し体が弱くてね。

夏の間この高原で療養しているから、よろしくたのむ」

 人見知りなボクは、少し控え目に。

「はい……」

 と、だけ答えた。


 ボクが高原にやって来てから数日が経過した──民宿のバイトにも慣れて、ヒマな時間をどう過ごそうかと考えていた時。

 叔母さんの旦那さん、つまりボクの義理の叔父さんから。

「昔、撮影で使っていたカメラだけれど……興味があったら」

 そう言って。一台のデジタルカメラをもらった。

 ボクにカメラをくれた、義理の叔父さんが言った。

「大樹くん、美大生なんだって……余裕があった時に写真撮影なんてどうかな?」

 叔母さんは若い時、写真家を目指していて。写真展にも何度か出展した経験があると話してくれた。

 どうして、写真家にならなかったのか? ボクが質問すると叔母さんは少し悲しそうな表情で答えた。

「最初は自然の風景とか景色を写していたんだけれどね……大きな災害に遭遇して、カメラも写した写真もみんな無くなってしまった。手元に残ったのは、そのデジタルカメラだけ」

 叔父さんは窓から見える木々の枝で、さえずっている野鳥を見ながら話し続けた。


「悲惨な被災地の現状を写しているうちに、自然の美しい部分だけに目を向けて写していた自分の心にギャップを感じてしまってね……自分は綺麗な自然の部分しか見ていなかったのでは? とね、そう考えたら撮影できなくなった」

 そう語った、義理の叔父の言葉にボクは何も言えなかった。

 その日から、ボクの日課に写真撮影が加わった。山並みや近所の湖……時には雲や虹など自然の中で、なんとなく留めておきたい景色をボクはデジタルカメラで写した。


 そんなある日、高原で涼風に揺れる野花を写していたボクは、背後に視線を感じて振り返ると。

 木陰の平らな石の上に、叔母の民宿で見たストローハットの少女が座ってこちらを見ていた。

(確か、玲夏って言ったっけ……あの子)

 ボクが無視して写真を撮り続けていると、木陰から出てきた少女がボクに近づいて話しかけてきた。

「何、写しているんですか?」

 ボクは、ぶっきらぼうに答える。

「山とか雲」

「見せてください」

「別にいいけれど」

 デジタルカメラに記録した写真を覗き込む玲夏、玲夏の髪からシャンプーの良い香りがした。

「いろいろな表情があるんですね、雲とか山にも、おもしろい」

 無邪気に微笑む玲夏の微笑みにつられて、ボクの無愛想な表情も少し柔らかくなる。

 玲夏がボクの顔を見て言った。

「あ、笑った」

「えっ!?」

「大樹さん、一度も笑った顔を見せてくれないから……嫌われているいるのかと思って。

あっ、ごめんなさい大樹さんだなんて、少し馴れ馴れし過ぎましたか? 歳上の大学生だからって、お兄ちゃんと呼ぶのもなにか変な感じですし」

「大樹さんでいいよ、こっちも玲夏ちゃんや、玲夏さんはなんか言いにくいから……名前呼び捨てにしてもいい? 玲夏って」

「はい、その呼び方の方が変に気兼ねしなくていいです……あのぅ、また写真を写しているところを見に来てもいいですか?」

「あぁ、構わないよ……だいたい、同じくらいの時刻に、この場所にいるから」

 その日から、ボクが写す被写体に玲夏の姿が加わった。


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