「なんのために生きているの?」

6歳の息子が、私に聞いてきた。

それに対してわたしは、なんと答えるか毎回悩むのだけれど…だいたい、こう言う。


「それを探すために、お母さん、生きてるの」


ここでひとつ、息子のために生きているんだよ。と言えたら良かったのかもしれない。

息子に会うために生きてきたんだよ、とか。これから息子と過ごすために、一緒に生きていくんだよ、とか。


でも、息子の知りたい答え、聞きたいのはそうではない気がしたから…今のわたしの正直な気持ちで答えた。





わたしが生きる理由は、近頃、書く理由とイコールであるように思う。


わたしは口が上手くない。

気を許したひとにはまた違うけれど、距離感の計りかねるひとを相手にしたとき(初対面のひととか特に)どうも緊張してしまって、上手く言葉が出てこないんです。


だから、聞き手に徹してしまったり。ときには、空回りな会話をしてしまったり(これに関しては、必ず後になって落ち込む)。


言葉、というものに対して、わたしは特別な感情を抱いています。

簡単にひとを傷つける反面、ときにはひとを救うものになりうる。正真正銘、諸刃の剣。



だからこそ、大切にしたい。丁寧に扱いたい。



でも、わたしが言葉を口にするとーーどうしてもその思いが薄っぺらくなってしまう。緊張して、焦って、しどろもどろして、頭が真っ白で。本当に伝えたい思いとは少しズレてしまう…。


なので、わたしはせめて。

「書くとき」は十分にその思いのベールを言葉に纏わせて紡ぐように気をつけています。


時間をかけて、わたしのペースで言葉を選び紡ぐことができる、この「書く」手法は、本当に性に合っていると思う。





今執筆中の物語に出てくる男の子は、そんなわたしの気質をほんのちょっぴり背負った子です。思慮深いのに、言葉足らず。

彼をみていると、なんとも生きづらそうだなあ…と思ってしまいます。


それって、まんま、自分のことを言っているのと同じですね。笑


でも、そんな生きづらさを抱えて生きているひと。はたまた、そのことに気がつかず生きているひとっていうのは、まだまだたくさんいると思う。


彼もまた、生きる理由を探している。学生を終えて、社会に出て。そこで流されるままに漂いながら、ずっと。


そんなわたしを、そんなひとたちの慰めになって欲しい、彼に。





自室に浮かぶ、輪郭の曖昧なランプ。まるで夜空に浮かぶ月みたい。


昼間とは打って変わって、しとしとと静けさが落ちてます。


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