上野と聞いてわたしはパンダを連想したけれど、先輩の頭にあったのは「考える人」だったみたいだ。

 2015年3月15日、日曜日。わたしたちは1時間ほど電車に乗った後、東京上野の国立西洋美術館の前庭で「考える人」の像を見上げた。

「ロダンは最初、『神曲』に着想を得て『考えるダンテ』の像を作りたかったそうなんだけど、出したい登場人物が多すぎて、無理ってことになって、やめたらしい」

 木森きもり先輩はいつものゆったりした口調で説明した。先輩もわたしも文系で世界史を選択していたから、ダンテという人の代表作が『神曲』だということは知っていた。でも、わたしはその内容を知らなかった。

「めっちゃ考え込んでますね」

 芸術のことなど分からないので、わたしは苦し紛れにそう言った。先輩はふふっと笑った。

「必死に考えていることを全身で主張してるよね。この像がこれだけ筋骨隆々なのは、ロダンがミケランジェロに影響を受けたかららしい」

「ロダンはミケランジェロの弟子だったんですか?」

「ミケランジェロはルネサンス期の人で、ロダンは19世紀から20世紀にかけての人だから、直接的に接点があった訳じゃないよ。うーん、そうだな、例えるなら、アーレントがアウグスティヌスに影響を受けてる感じかな」

 アーレントって誰だろう、と思ったけど、これ以上無知をさらすのは恥ずかしいから、「なるほど」と言っておいた。


 わたしが木森先輩を好きになったきっかけは、わたしが部活で別の先輩から叱られて場の空気を悪くしてしまったときに、フォローを入れてもらったことだった。それ以来、わたしは先輩をよく見るようになって、そうしている内にいつの間にか、先輩の温厚で落ち着いた姿を、頼もしくてかっこいいと思うようになっていた。

 木森先輩は普段あまり人としゃべらないのに、受験勉強にも実生活にも役に立たないような知識ばかり持っていて、スイッチが入ると急に饒舌になった。知識をひけらかすようで嫌だという人もいるかもしれないし、実際、木森先輩はモテる人ではなかった。でも、わたしは先輩のそういうところも好きだった。木森先輩の話を聞いていると、わたしが知らない広い世界への扉が開かれるような気がしたからだ。


 この日、国立西洋美術館では『グエルチーノ展 よみがえるバロックの画家』、東京都美術館では『新印象派―光と色のドラマ』、『都美セレクション 新鋭美術家2015』という企画展をやっていた。先輩がこれらを網羅したいと考えていることは先日のLINEの文面からもビシビシ感じられた。わたしもパンダ以外の動物に興味はなかったし、パンダの前には先輩が苦手とする人だかりができているはずだから、美術館巡りに異論はなかった。

 喫茶店でお茶して終わるはずだったのが、美術館でデートできるのだからと、わたしは張り切っていた。急に決まったことだから美容院には行けなかったけど、服とくつはこの日のために新しいのを買った。


『グエルチーノ展』では、知らない名前の画家たちによる、見たことのない絵ばかりが展示されていた。そのままだとよく分からないところだったけど、木森先輩がキリスト教やギリシャ神話の雑学を使って解説を入れてくれた。

「ディアナというのは英語の女性名になっているダイアナのことで、別名アルテミス。アルテミスは清純な女神なんだけど、あるときエンデュミオンに恋をしてしまう。女神である彼女は人であるエンデュミオンがいずれ年を取って死ぬ運命にあることを悲しみ、ゼウスに頼んで彼をその運命から解放してもらう。ただし、ゼウスはエンデュミオンを、年を取らない体にする代わりに、永遠の眠りにつかせてしまうんだ」

「ディアナはそれで満足したんですか?」

「さあ、どうだったかな……。でも、彼女は夜ごとにエンデュミオンの隣に舞い降りて、彼と添い寝するらしい。月の女神だから、絵画なんかでは眠る美男子に月の光が差す描写で表現されたりするね」


 わたしは先輩の顔のパーツでは鼻筋が、首から下では手が好きだ。絵画を見つめる横顔、絵の一点を指す指をチラ見できて、わたしは楽しかった。

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