第5話 復帰の理由

 帰り道、雨は止んでいた。

 そもそもこの雨さえ降らなければ……と秋人は天を呪いたい気持ちだった。


 それにしても……。


 クロエのあられもない姿が頭に浮かんでは消え、浮かんでは消え……その繰り返しだった。秋人は必死に頭から彼女の姿を追い出そうとした。


 何度も深い溜息をつき、足取りは重い。


 どう考えてもクロエは女の子だった。

 野郎があんなに美しくて、いい匂いがするはずがないのだ。なのに、どうして自分はクロエを男だと……。


 同じ後悔は何度も頭の中を巡った。

 その度に行き着くのが、クロエの制服だ。


 男子の制服。


 たしかにウチの高校は女子がズボンを履いてもいいことにはなっている。でも、どうして男の制服をわざわざ着ていたのか?


 そのとき、トーナメントセンターの光景が脳裏に浮かぶ。


 男しかいないカードショップで、女の子のプレイヤーはそれだけで目を惹いてしまう。


 クロエの華麗な容姿であればなおさらだ。

 きっと声をかけられ、怖い思いもしてきたに違いない。


「普通にカードゲームしたいのに、じろじろ見られるの嫌だよね。ボクもそうだし」


 あのとき、クロエはどんな思いであの言葉を口にしたのだろう?


 モヤモヤとしたどうにもならない心持ちだった。


 音楽でも聞きいて、気を紛らわせよう。

 秋人はカバンからイヤホンとスマホを取り出して、プレイリストを眺めた。


 スクロールするなかで、気になるファイルデータを見つける。


 ――『ブレイン・サウンド』


 直訳すれば脳音楽、ということか。


『ブレインサウンド』にはいくつか種類があるようだった。

 興味半分で秋人は再生ボタンを押す。


 まずひとつ目は、焚き火の、パチパチと火が爆ぜる音が延々とつづくだけのデータだった。


 他の音声は、波の音とか、森林の鳥のさえずり、滝の音など、いずれも環境音ばかりだ。


 もしかしたら、よく動画サイトとかに転がっている、勉強用・作業用音源というやつかもしれない。集中力を高める倍音が入っているとかいう触れ込みのものだ。


「聞くだけで頭が良くなったら苦労ねーよ」


 と苦笑しながら、秋人は聞き流して自分のマンションにたどり着いた。


 学校初日からどこをほっつき歩いているんだ、とうるさく干渉する親は、家にはいなかった。

 進学校に通うために、マンションを借りているのだ。


 これは勉強ができた過去の自分に感謝しなければならない。


 一応、親には学校初日は問題なかったと報告しておいた。実際には問題は山積みだったが。


 秋人の部屋には、何もなかった。


 ただ、敷布団のマットレスと冷蔵庫が低く唸るだけの空間。フローリングへ直に腰を落ち着け、カバンを漁った秋人は、カードの束を取り出した。スリーブに収まった一枚一枚のカードを見返す。


 トーナメントセンターで、クロエとプレイしたときは楽しかった。彼女は、自分のレアカードを売り払ってまで、また自分と対戦しようと言ってくれた。


 ――謝ろう。


 秋人は決めていた。メアドもメッセージアプリのフレンド登録も、まだしていなかった。つまり、俺からクロエに連絡する手段がない。仕方がないので、明日の朝イチで彼女のクラスに行って謝ろう。


 男の子と勘違いしていたこと。

 浴室でのこと。


「シールド、一緒にプレイしようって約束したもんな……」


 秋人はつぶやいた。



    ◆ ◆ ◆



 そして、次の日。


 秋人は各クラス聞いて回ってクロエの姿を探した。

 彼女のクラスは『一年C組』。


 だが――クロエは欠席していた。


 確実に、自分のせいだ――秋人は頭を抱えて廊下に立ち尽くしていた。

 そんな秋人の背後で、勝ち気な声が響いた。


「昨日、どうしてトーナメントセンターに来たわけ?」


「……あ?」


 振り返れば、勝美が腕を組んで物言いたげに立っている。


「クロエに……誘われてな」


「ははん? あの金髪の子ね。そのクロエちゃんは今日学校に来てないみたいじゃない?」


「クロエちゃん? って、お前、あいつが女の子だって……」


 片眉を持ち上げた勝美は「はあ? 何言ってんの?」と言わんばかりだった。


「どう見ても女子でしょ。ってか、何だと思ってたの? あ……アンタ、まさかそれが原因? クロエちゃんに、最低なことしたんじゃないでしょうね!?」


「かーっ!」


 自分の鈍感どんかんさが嫌になる。

 ってか、記憶消したい……。


「おい待て。ってか、角倉もクロエが休みだって知ってんだよ?」


「クラス回って、クロエちゃんを探したからよ」


「何で探す必要が……」


「勧誘するために決まってんじゃない」


「勧誘……?」


「アンタもまた始める気なんでしょ? 『メイジ・ノワール』?」


「…………」


 逸していた目を勝美に向けると、不意に彼女の真剣な眼差しとぶつかった。


「どうなの……?」


 彼女は俺をじっと見つめながら言った。まるで俺の覚悟を試すかのような目だった。


「角倉に何か関係あるのかよ?」


「あるわね」


 即答だった。


 いったいどう関係があるんだ、と投げかけようとした俺の腕を、勝美が引っ張る。


「来なさい」


「おい、なんなんだよっ……!」


 勝美は無言のまま階段を上って、最上階の角の部屋までやってくると、そこでようやく手を離した。


 部屋の前には、『演劇部』とある。


「あの……演劇部」


「そう――表向きは、ね」


「表向きはって……」


「ここは演劇部とは名ばかりの、カードゲーム部なのよ!」


 フン! と腰に手を当て、ドヤる勝美。

 要領を得ないので、秋人は尋ねる。


「……だから?」


「察しが悪いわねえ。クロエちゃんを勧誘したのは、『メイジ・ノワール』をプレイできる環境を紹介してあげるためだったってわけ」


「いや、トーナメントセンター行けゃいいんじゃねえの?」


 つっこむ秋人に、勝美は不機嫌そうな咳払いで返す。


「コホン! トーナメントセンターは戦いの場よ。戦いに望む前に、調整する場所やチームが必要でしょう?」


「悪い……俺、別に『メイジノワール』を本格的にやりたいってわけじゃねーんだわ」


「えっ……そうなの!? てっきりカードゲームプレイする仲間がいなくて、寂しいのだとばかり……」


「誰がいつ言った?」


「でもアンタ、友達……いないわよね?」


「ああ! いないさ!」


 二日目はオリエンテーションで各自の自己紹介が行われた。


 みんな趣味とかハマってるものを話していたが、記憶のない秋人には話すべきこともなく、自分の名前を名乗って終わった。


 当然、話しかけてきてくれるヤツもおらず、クロエのこともあって気分が塞いでいたし、誰とも会話しなかった。


「俺はただ……クロエに謝りたいんだ」


 クロエとは不思議とウマがあった。記憶を失い、周囲から浮いた存在の秋人の手を引いて、カードゲームに巻き込んでくれた。


 秋人は勝美に、軽く昨日の流れを話して聞かせる。


 男の子だと思って接したこと。

 自分のレアカードを売り払ってまで、新しいブースターパックを買い足してくれた。

 ……浴室でのことはあえて触れなかった。


「ふーん、なるほどね。じゃ、彼女の家に行きましょう? ついでに入部を勧めて……」


「おい、待てって」


 おそらくクロエは傷ついている。押しかけたって、会ってくれるはずがない。学校を休んだのは、秋人に会うのが気まずいからだろう。


「たぶん、クロエは今、俺とは距離を置きたいんだと思うんだ」


「じゃ、アタシだけでも……」


「何て言うつもりだ? 駿河くんに頼まれて来ましたとでも言うのか?」


「ややこしいわね!」


 勝美はやれやれと首を振った。


「連絡も取れない、でも謝りたい、か……あ!」


 ポムン、と勝美が手のひらを叩いた。手のひらに握りこぶしをぶつける。相変わらずリアクションが昭和だ。


「なら、良い手があるわ。クロエちゃんに謝罪の気持ちを伝えつつ、我がカードゲーム部存続問題も解消する、一挙両得の作戦! まさにウインウインね!」


 やけに自信満々だ。秋人は怪訝そうに、


「いや、別にカードゲーム部……ってか、演劇部だろ? アンタらに得なことである必要は……」


「週末にトーナメントセンターで開催される大型大会で、決勝ラウンドまで進めばいいのよ」


 秋人の声をかき消すように、勝美は言った。


「……はあ?」


「決勝ラウンドはフィーチャーされて、動画配信サイトで公開されるわ」


「それをあいつが……クロエが見るって保証は……」


「あんた、ホントにバカね」


 救いようがねえぜ、といように勝美は腰に手を当て、秋人を見下す。


「自分のカードを売ってまで、アンタとプレイしたいと思った子が! 男の子の振りしてまでトーナメントセンターに来てる子が、よ!? 『メイジノワール』取り扱い最大店舗のトーナメントセンターの週末大会を見ないわけがないでしょう!?」


 飛躍し過ぎている。秋人は反論した。


「全部憶測じゃねーか!」


「というわけで――特訓よ!」


「話し聞けよ!」


 有無うむを言わせぬ勝美のペースに巻き込まれて、都合よく入部の流れができている。


 不満顔の秋人に勝美は、


「ま、無理強いはしないわ。水を飲まないヤギに水を飲ませることはできないもの」


 と突き放すように言った。


「もし、クロエちゃんと再びカードゲームができるようになりたいと望むなら、我が演劇部……いえ、シャドー演劇部が全面的に支援するわ!」


 いつの間にかカードゲーム部がシャドー演劇部になっていた。


「さあ、どうするワケ?」


 勝美もよくわからないヤツだ。


 初日から秋人に絡んできて、バイトに部活とカードゲームに全力を注いでいる。

 彼女の眼差しを見ればわかる。


 ――生真面目なのだ。


 適当で穏当を好む秋人の性格とは真逆だが、今は自力でクロエと関係を修復できる気がしない。


 解決策が見当たらず、思考は袋小路に迷い込んでいる。誰かの助けが必要だった。


「……やる。俺は、クロエに謝りたいし、あいつとまた楽しくプレイしたい」


 女王様のような勝美の顔が、ふっと和らいだように見えた。


「……よろしい。じゃ、明日までに『メイジノワール』公式トーナメントで使用可能なカードリストを覚えてくること。いいわね?」


 それはとんでもない宿題だった。



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