第一章

第1話 新米冒険者と水路の精霊

 きらきらと光を反射する金属のカードを、両手で慎重に持って眺める。

 そこには私ことココ・ミラノートの名前が確かに刻み込まれていた。

 名前の下にはランクを意味する星マークがひとつ。


 きょろきょろと辺りを見渡してみると、辺りにはたくさんの冒険者の姿。

 これから出発する人、今帰還した人など様々だ。

 受付けのお姉さんたちは笑顔を私に向けている。

 

 もう一度手の中のカードを見つめた。

 何度瞬きをしても刻まれた名前が消えることはない。

 自然と頬が緩んでふにゃふにゃと笑顔になってしまう。


 今日、今、この瞬間、私は冒険者になりました!


「これで手続きは完了です。それでは、良い冒険と良い冒険者ライフを」


 お辞儀をする受付けのお姉さんに、お礼を言ってカウンターを離れる。

 とうとう冒険者になってしまった。

 これから楽しい冒険者ライフが始まるかと思うと心が躍る。

 危険だからやめたほうが良いと言われていたけど、街で見かける冒険者たちはなんだかみんな楽しそうだからね。

 きっとすごく楽しいに違いない!


 まず何から始めようかな。

 参考のために他の冒険者を見回してみる。

 カウンターで報酬を受け取っている人や、話をしている人がいる。

 でも掲示板の張り紙を見ている人が圧倒的に多い。

 つまり最初にするのは張り紙のチェックだ。


 ごつい男の人たちの間から掲示板の張り紙を見てみる。

 なになに。

 暴れオオトカゲ退治。デラックスミノタウロス退治。ジャイアントキメラ退治。キングバブリースライム退治などなど。

 なんだかモンスターを退治する依頼が多いなぁ。

 それにどれも危険そうなモンスターばかりだ。


 この中から比較的簡単そうなのを選べば良いのかな。

 うーんどれにしよう。

 たくさんの張り紙を一枚ずつ見て慎重に選ぶ。

 これにしよう。デッドリーチキン退治。

 デッドリーが少し気になるけど、鶏肉ならそこまで危険はなさそうだ。

 ミノタウロスと比べると可愛く感じる。

 後はこの張り紙を剥がして、クエストカウンターに持っていけば良いはず。


 ぺりっと剥がして掲示板から離れる。

 隣にいた冒険者が、こっちを見ていたのはどうしてだろう。

 まぁいいや。クエストカンターへれっつごー。


「ちょっと君、そのクエストは君にはまだ早いんじゃない」

「ん?」


 声のしたほうへ振り返るととんがり帽子をかぶった、いかにも魔法使いなお姉さんが薄く微笑んで立っていた。

 お姉さんは笑顔のまま、今見ていた掲示板とは違う掲示板を指さした。


「新米冒険者のクエストボードはあっちよ」


 お姉さんの指さす掲示板を見ると、薬草採取や突進ウサギ退治などの、初心者でもできそうな依頼が書かれた張り紙が貼られていた。

 どうやら見るべき掲示板を間違えていたようだ。


「あ、ありがとうございます。でもこの張り紙どうしよう」

「そのクエストは私たちが代わりに受けてあげるわ」


 おー、なんて優しいお姉さんだ。

 冒険者は助け合いが大切って、登録の時に説明してもらったのを思い出す。

 張り紙を渡すとお姉さんはクエストカウンターへ向かった。

 じゃあ私は教えてもらった掲示板を見よう。


 こっちの掲示板は張り出されてる内容が全然違った。

 木の実採取や少し珍しい花の採取、モンスター退治もさっきの掲示板みたいな危険そうなモンスターは載っていない。

 これなら私でもできそうだ。

 うーん、どれにしようかな。


 少し悩んだ末に選んだのは、ぽよぽよスライム退治。

 依頼主はリゼットさん。

 内容はぽよぽよスライムたちが水路を詰まらせているとのこと。

 水が流れるようにぽよぽよスライムを退治すればいいようだ。

 これなら簡単そう。早速クエストカウンターに持っていこう。


「このクエストお願いしまーす」


 ギルドカードと一緒に張り紙をカウンターの上に置く。

 するとクエストカウンターのお姉さんが、カードと張り紙を手に取り確認した。


「はい、ぽよぽよスライム退治ですね。受注者はココ・ミラノートさんっと」


 クエストカウンターのお姉さんは、手馴れた手つきで書類に情報を記していく。

 すぐに手続きは終わりギルドカードと目的地の地図を渡された。


「いってらっしゃい、お気をつけて」


 手を振るギルドのお姉さんに、手を振り返してギルドを後にする。

 外は晴天。ぽかぽかと暖かい陽射しが地上に降り注いでいる。

 風に乗って泳ぐ精霊が、私の頬を撫でて通り過ぎた。

 ようし、初めてのクエストがんばるぞ!

 ふんすふんすと気合を入れて目的地の水路へ出発した。


 レンガ造りの家が立ち並ぶ石畳の道をのんびり歩いていく。

 レルエネッグの街は相変わらず平和だ。

 大人たちが道を行き来し子供たちが駆け回る。

 その中を今日から変わった私が歩いている。

 周りの人には私はどう映っているんだろう。

 一応冒険者に見えるように、大きめの鞄と護身用の短剣は持っている。

 貫禄はなさそうだけど、きっと冒険者に見えるはずだ。多分。


 目的地に到着したのは午後になってからだった。

 問題の場所は平和じゃないから気を付けないと。

 遠目にも水路にぽよぽよスライムたちが詰まっている様子が伺える。

 その手前でおじいさんが一人水路を眺めていた。


「こんにちは、あなたがリゼットさんですか?」

「そうじゃが、君は誰かの」

「冒険者ギルドでスライム退治の依頼を受けてきました!」

「おぉ、君があの依頼を引き受けてくれたのか」


 リゼットさんは水路を指さして話を続ける。


「見ての通りぽよぽよスライムのせいで、水路が詰まって水が溢れて困っとるんじゃ」


 数は十体くらい、それに結構大きい。

 だから水路が詰まってしまうようだ。

 今も溢れた水で地面がびしゃびしゃになっている。


「あのスライムたちは何をしてるんですか?」

「大方水遊びでもしておるんじゃろう」

「確かに遊んでるように見えますね」

「こちらが何もしなければ攻撃してくることもないんじゃが、あそこで遊ばれると近隣住民が困るんじゃよ」


 悪気があって水路をせき止めてるわけではないのか。

 気持ち的にちょっとやっつけるのを躊躇ってしまいそうになる。

 でもクエストはクエストだ。依頼を受けたからにはしっかりしないと。


「任せてください。絶対に解決してみせますから! リゼットさんは危ないので離れていてください!」

「ああ、頼んだよ」


 短剣を握りしめそろりそろりと近づいていくと、一体のぽよぽよスライムが私に気づいたらしく動きを止めた。

 じーっと見つめあう。

 うん、実にぽよぽよしてて名前の通りのスライムだ。

 君たちは遊んでいるだけかもしれないけど、街には被害が出ている。

 悪く思わないでね、ぽよぽよスライム。


 というわけで、先手必勝だ、突撃ー!

 短剣を右手に駆け出す。

 するとぽよぽよスライムも飛び跳ねながら接近してきた。


「とう!」


 突き出した短剣がぽよぽよスライムに刺さる。

 するとぽよんと跳ね返るように飛んでいった。

 これ効いてるのかな?

 いまいちダメージがあるようには見えないんだけど。

 まぁいいや。引き続き戦うぞ!


 再び接近してきたスライムは、勢いよく私に体当たりしてきた。

 柔らかいから大丈夫だろうと思って正面から受ける。


「んぶふっ!」


 おなかにどすんと重い衝撃。

 くの字に体が曲がるくらいにはダメージがあった。

 でも負けるわけにはいかない。

 一歩踏み出してもう一度短剣を突き刺す。

 またぽよんと跳ね返ってダメージを与えている気配はなかった。


 何度か繰り返していると他のスライムも、水路から出てきてぽよんぽよん飛び跳ねだした。

 仲間を突いてるから怒ったのかもしれない。

 ぽよぽよスライムたちは、最初の一体に続いて全員で突進してきた。


「え、ちょ、待って、うわぁ!」


 ぽよぽよスライムが次から次へと体当たりを食らわせてくる。

 反撃しようにも攻撃する前に、体当たりを食らって体勢が崩れてしまう。

 私はそのままボコボコと体当たりを食らって地面に倒れた。

 痛い、痛い! ここは負けた振りをしてやり過ごそう。


 しばらく死んだふりをしていると、スライムたちはぽよんぽよんと離れていって、また水路で水遊びを始めていた。

 今起きて気づかれるとまた体当たりを食らいそうだから、このまま匍匐前進で離脱しよう。

 ゆっくりゆっくり気づかれないようにその場を離れる。

 幸いスライムたちは水遊びに夢中で追ってこなかった。


 十分に離れた位置で起き上がり汗を拭う。

 ふー、ひどい目にあった。

 スライムと言えどもやはりモンスター。なかなか侮れないなぁ。

 あの調子で攻撃されると大けがをしてしまう。

 何か作戦を考えないと。


「だ、大丈夫かの? かなりぼこぼこにされておったが……」

「大丈夫です! でも攻撃が通じないので他の手を考えます!」


 うーん、どうしよう。

 他の手とは言ったものの、やっぱり私一人ではどうにもならないかも。

 となると、やっぱり頼るしかない。


「どうかしたかの」

「リゼットさん、あのスライムたちは絶対に倒さないとダメですか?」

「水路さえ元通りに使えれば、無理をして倒す必要もないのう」

「じゃあ、なんとかしてみせます!」


 短剣を片付けて水路に近づく。

 そして水に向かって声をかけた。


「こんにちは、こんにちは。聞こえるかな?」


 水を見つめていると水面が僅かに渦巻いた。

 どうやら私の声が届いたらしい。

 そのまま彼女が出てくるのをじっと待つ。

 すると渦の中心から女の子の姿の精霊が顔を出した。

 人差し指くらいの小さな可愛い精霊だ。

 彼女は私の顔を見つめて次の言葉を待っているようだった。


「私の名前はココ。あなたにお願いがあって声をかけたの」


 女の子、水の精霊は小さく頷いた。

 ぽよぽよスライムが詰まっているほうを指さして説明を続ける。


「あのスライムたちをあなたの力で押し出してほしいの。できるかな?」


 スライムたちを見て水の精霊は、私に向き直るとこくりと頷く。

 精霊が一度水の中に潜ると、次の瞬間にたくさんの精霊たちが顔を出した。

 良かった、力を貸してくれるようだ。

 もしかすると水の精霊たちも、水の流れが止まって困っていたのかも。

 真実はわからないけど、ともあれこれでなんとかなりそうだ。


 いつの間にか隣にはリゼットさんが、水面を覗き込んで立っていた。

 驚きを隠せない様子だったので、怖がられないように説明しておく。


「彼女たちは水の精霊です。これから精霊たちがぽよぽよスライムたちを、なんとかしてくれるので見守ってあげてください」

「あ、ああ」


 水の精霊たちが輪になって水面で踊り出す。

 彼女たちがくるくる回って踊ると、水の流れがピタっと止まった。

 精霊たちはなおも踊り続ける。

 そして彼女たちが一斉に水面に飛び込むと、水路の水が一気に流れ出した。

 その勢いは流れの激しい川に匹敵するほどだろう。


「おぉ!」


 リゼットさんがぽよぽよスライムたちのほうを見て声を上げる。

 水の流れに沿って視線を動かしていくと、一体また一体と激しい水流に飲まれてぽよぽよスライムたちは流されていった。

 どこまで流れていくのか確認できないけど、水の精霊たちが街の外まで流してくれると信じよう。

 最後の一体が流された後、再び水面に渦が現れ精霊が顔を出した。


「お疲れ様、ありがとう。おかげでこの水路は平和を取り戻したよ」


 水の精霊は喜ぶように両手を高く上げた後、水の中に消えていった。

 ふー。

 私だけじゃどうにもならなかったけど、精霊たちのおかげでなんとかなった。


「驚いた……お前さんは精霊と会話ができるのか?」

「精霊の言葉はわからないので会話はできません。ただ私の言葉はわかるようなのでお願いはできるんです」

「今や魔法使いですら存在を忘れておる精霊に願いを聞いてもらう。そんなことができるとは……まるで奇跡を見たようじゃ」


 普段みんなには見えていないようだけど、精霊はどこにでもいる。

 私の声が精霊に届くと、見えるようになるっぽいけど原理はわからない。

 きっと精霊が気を利かせてくれてるんだ、というのが私の推測だ。


「精霊たちは今でもこの世界にいます。だから助けてくれた水の精霊、もちろん他の精霊たちもですが、忘れないようにしてあげてください」

「ああ、わかった。この老いぼれ死ぬまで忘れんよ」


 その後リゼットさんは家から、たくさんのお菓子を持ってきてくれた。

 冒険者ギルドで受け取れるクエスト報酬とは別の、個人的な報酬までもらえるとは思わなかった。私にとっては精霊を見るよりも、そっちのほうが驚きだった。


「ありがとうリゼットさん!」

「こちらこそありがとう。冒険者ギルドには完璧な仕事だったと伝えておくからの」


 手を振ってリゼットさんと別れ冒険者ギルドに戻り、クエストカウンターで報告すると、今回の件について話を聞くことができた。


「実は誰も請け負ってくれなくて困っていました。相手はぽよぽよスライムという弱いモンスターだし、住民がなんとかするだろうって言われていたんですよ。だからミラノートさんが解決してくれて本当に助かりました」


 クエストカウンターのお姉さんが、頭を下げたので思わずこっちも頭を下げる。

 でも無事に解決できて本当に良かった。

 危うくぽよぽよスライムの体当たりで昇天するところだったけど。


「っとと、報酬をお渡ししないと。今回のクエスト報酬はこちらになります」


 冒険者ギルドのマークが描かれている袋を受け取る。

 初めての報酬はずしりと重く感じた。

 この重さが誰かの役に立った証。

 お金を貰えた喜びもあるけど、誰かの役に立った喜びも大きい。

 二重の喜び、嬉しさ二倍!

 結論、やっぱり冒険者は楽しかった!

 なって良かった冒険者!


 帰り道、夕焼けの空を見ながら、リゼットさんにもらったお菓子を食べた。

 甘いお菓子が私をますます幸せな気持ちにしてくれた。

 次はどんな冒険ができるんだろう。

 このお菓子のように、幸せな気持ちになれる冒険だと良いなぁ。

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