第二話 ムカムカさせる少年


(な、なんで このクラス…?)

 入学試験で満点などという超優秀な生徒だから、A組。

 とか、根拠もなく考えていた由美子だ。

 驚いて、暫し硬直している担任教師に、生徒たちがザワついてくる。

 そんな女性教師に、ジっと見つめる眼鏡の男子生徒が、声を掛けた。

「先生、HRですよね」

「ハっ–そ、そうですねっ。こほん」

 咳払いで必死に取り繕って、しかし落ち着かない心臓のまま、新任の女性担任教師は受け持ちの生徒たちへと、挨拶をする。

「は、初めまして。今年から皆さんの担任を務めます、松坂由美子といいます」

「松坂由美子…」

 女性教師の名前を小声で確認する、眼鏡男子の声が、ハッキリと聞こえた。

 なんだか、知ってて当たり前な担任としての名前を知られただけなのに、恥ずかしい気がする。

 そんな、よくわからない自分を振り払う意味でも、由美子は更に大きな声で、自己紹介を続けた。

「わ、私も、教師として一年生なので、不慣れなことも多いと思いますがっ、一生懸命にガンバリますのでっ、よろしくお願いしますね~!」

 堅い感じだと思って、最後は少し気楽な感じにしてみた。

 だからと言って生徒たちの緊張が解かれるわけではないけれど、担任としては誰よりも率先して教室の空気を良くしてあげたい。と、由美子なりに思ったのだ。

 担任教師のガンバリが理解できたのか、女子たちは少し、柔らかくなった気もする。

「え~それでは、今度は皆さんに、自己紹介をして貰いましょう」

 笑顔で告げると、生徒たちの間に、また緊張の空気が走る。

(解る…!)

 由美子としても、生徒たちの顔と名前を覚えなければならない。

(席順とかではなくて…公平に…)

 出席簿を開いて、番号順にしよう。

 と思って見てみたら。

「え~、それじゃあ順番にっ–あ、葵 くん…」

 由美子のキスを生涯で一番に奪った少年は、出席番号も一番だった。

「はい」

 呼ばれた葵は、何の緊張もない様子でスックと立ち上がり、担任教師に何だか気合の籠った視線を一瞬だけくれると、振り返ってクラスのみんなに自己紹介を始めた。

「出席番号一番。関東中央中学出身、葵三四郎ですっ!」

(…!)

 ハキハキとした大きな声は、年齢の割に低くてよく響き、由美子の全身を包みながら通り抜けて行く感じがする。

 少年の声に飲まれそうになりながら、自己紹介の見本のようで、これからの流れにも安心をしてしまう。

「そ、それでは次は–」

 出席番号二番の生徒を指そうとしたら、眼鏡少年の自己紹介はまだ続いた。

「血液型はB型! 身長は百七十五センチ! 体重は八十キロ! 小学校三年生の頃に交通事故に遭いましたが、後遺症その他は一切ありません! 趣味はクラッシック音楽と舞台演劇の鑑賞と体を鍛える事! 好きな食べ物は和食全般! 魚卵には若干のアレルギーがあります! 洋菓子も嫌いではありませんが、自ら選ぶ事もありません! 土曜日などは–」

「はいいっ! 葵くんの丁寧な自己紹介っ、ありがとうございましたっ!」

 つい気張って止めたのは、このまま詳細な自己紹介という流れになったら、大抵の女子が困惑する事と。

(わ、私に言ってるっ!)

 姿勢は座席を向いているけれど、強い意思として、由美子に向けられている。と感じたからだ。

 しかも自己紹介というか、もはやお見合いレベルの情報量。

 とはいえ、そんなふうに感じ取れるのは由美子だけで、クラスメイトたちは、三四郎の自己紹介を戸惑ったり面白がったりしている。

 特に女子たちの中には、三四郎の印象が強く残ったクラスメイトもいる様子だ。

 三四郎は黙って落ち着いて、担任教師へと振り向いた。

「最後に、一つだけ」

「…はい…?」

 熱い視線に、由美子はまた戸惑う。

「僕は、自分の行動と言動に、嘘はない所存です! そしてそういう漢になりたいと、高校生活での目標であります!」

「は、はい…ありがとう、ござぃます…」

 真正面から宣言されて、由美子は無自覚によく分からない返事をしてしまった。

 ただ一つだけ、ハッキリとしている事は。

(今のって…つまり、キ…キス の、こと…!)

 少年の強い眼差しが、そう告げていた。

 しばらく戸惑っていた由美子に、別の男子生徒が言葉をかける。

「せんせー、次、俺 いいですかー?」

「! は、はいっ、どうぞ…えっと」

 出席簿を慌てて確認する担任教師に、出席番号二番の男子生徒が、明るいノリで自己紹介を始めた。

「イェ~、西中出身の–」

 三四郎の次の上野くんは、夜遅くまで頑張って考えた個性的な自己紹介だったのに、全くの不発で終わってしまった。


 自己紹介が終わって、チャイムが鳴って、講堂で少し遅い始業式が始まる。

「それじゃあみんな、講堂に移動してください」

 自己紹介の間に、少し冷静さを取り戻せた由美子。

 生徒たちが移動する中、どうしたって、三四郎の存在を意識してしまう。

 男子たちの何でも背が高い方の三四郎は、他の高身長な生徒たちに混じっても、由美子には後ろ姿でさえ見分けられてしまうのである。

「う~…一人の生徒に意識を縛られるのはダメだって、教わってるのに~っ!」

 少年の背中を見ていると、どうしても今朝のキスが頭を過り、また唇の熱を意識する。

(も~っ、なんなのよ、あの子~っ!)

 教師一日目どころか、学校の敷地に入った瞬間に、教師としては絶対禁忌な生徒とのキスをしてきた男子。

(成績優秀らしいけど、常識は欠落してねんじゃないのっ? 第一、初対面の女性にいきなりキスとか、するっ?)

 始業式での校長先生の挨拶も頭に入らず、由美子はずっとムカムカしていた。

 式のお終いで、新任教師である松坂由美子の紹介もあったけれど、三四郎への怒りと舞台の上での自己紹介という緊張で、どんな挨拶をしたのかも覚えていない。

「よ、よろしく お願いいたします」

 三年生あたりから男子たちの拍手を貰ったような、そしてそんな男子たちが担任の男性教師に叱られたような、そんな記憶はあった。


 始業式が終わると、それぞれが教室に戻って、明日からの注意事項が伝えられる。

 ゾロゾロと歩く生徒たちの後ろを歩きながら、由美子は強く決意をしていた。

(こ、今度は、葵くんに飲まれたりなんか、しないんだから…っ!)

 と、既に三四郎を意識している自分に気づかない由美子。

 教室に戻って教壇に上がると、やはり三四郎が、ジっと由美子を見上げている。

(負けないんだからっ!)

 心の中で気合を入れ直して背筋を伸ばし、生徒たちの見本たる教師らしく、凛とする。

「え~、それでは本日のブログラムは以上です。明日からは通常の授業が始まりますが、皆さんは身体検査もありますので、体操着とジャージも忘れないでください」

 生徒たちの返事が無いのは、まだ緊張しているからだろう。

「はいっ!」

 一人だけ大きな声で返事をくれるのは、やっぱり三四郎だ。

(この緊張知らずめっ!)

 いやそれが悪いわけではないのだけれど。

 出会った瞬間から圧倒されっぱなしで、なんだか悔しい。

「そ、それじゃあ–あっ、学級委員、まだ決めてなかったわ…!」

 とはいえ、すでに解散の挨拶みたいな事はしてしまっているので、今からクラス委員の選挙とか、バツが悪い。

 どうしよう。

 プチパニックになる由美子を助けたのは、やはり三四郎であった。

「先生、クラス委員は明日のHRで決める。という事でどうでしょうか」

 三四郎の提案に、他の生徒たちも「早く帰りたいから賛成」という空気だ。

「そ、それでは…そう しましょう…あ、えっと…では、挨拶は…」

「本日は僕が」

 と言いながら、三四郎は席を立つと、よく通る声で号令を出す。

「起立!」

 少年の号令で、クラスメイトたちも「これで帰れる」と、特に不満も無く席を立つ。

「礼!」

 意外と綺麗に礼が揃うと、由美子も教師として、ちょっと感動してしまったり。

(おぉ~…って、この子に助けられてるじゃない 私っ!)

 生徒たちの礼に対して、教師として礼を返しながら、由美子は負けた気分で悔しさが収まらない。

 眼鏡男子をチラと見たら、視線が合った少年は、整ったしたり顔で微笑んでいる。

(っ–っ悔しいいいいいいいいいいいいいいっ!)

 新任女性教師、松坂由美子の教師生活第一日目は、こうして過ぎて行った。


                       ~第二話 終わり~

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る