短夜 天使は護身術を習いたい

※七斗学院の講義を受けたがるソフィアを見かけた同期のノイトラール共和国ノアのお話。



「ええー!どうしてもダメですか?私も学んでみたいです」

「そ、それはちょっと……」



通りかかった講義室から騒ぎが聞こえて思わずため息をついた。これはまたノアのところに話が持ち込まれるに違いない。教師を困らせるのはノイトラール共和国の学生が多い。

単純な話、レイド王国は厳格な階級社会だから序列が一番上の王子が「教師に従え」と一言で収まるし、フェーゲ王国はそもそもの人数が少ない。そうなると、騒ぎが起きてれば大体ノイトラール共和国となる。


猫足で足音を消して扉に近付き中を確認すると、驚いたことに騒ぎを起こしていた学生は青いマントのノイトラール共和国じゃなかった。まさかの緑のマント、エデターエル王国のマントを身につけていらっしゃる。

エデターエル王国は天使の国だ。天使はその種族特性として相手の心、つまり願いを察することができる。だから普通の天使は騒動を起こさない。


俺も実際に会ってみるまで、天使は人の願いが叶うよう神へ祈りを届ける尊い存在と聞いていた。でも私にはこの人物に心当たりがある。



「ソフィア様、それはどうか……!なにより私はソフィア様に攻撃ができません」

「えええっ?そうなのか」



なんの講義なのか石版を見やると、護身術と掲げられている。いや、そりゃ無理だわ。ソフィアが護身術を習いたいと駄々こねているけど、そもそも天使を害そうとする不届き者は存在しない。


天使に人と神の間を取り持ってもらわないと恵、つまりは魔力を失うことになる。今はどこの国も魔力頼みで、国を作っているのだから天使を傷付けるなんて有り得ない。

そもそも何もしていなくても自らより強い者に対して常時魅了を放つ天使に攻撃できるというのは、そういう特性を持つ天使よりも弱っちいという証明になってしまう。真っ当な感性を持っていれば、天使に攻撃なんか仕掛けない。


ソフィア様は天使にしては規格外に強いから魅了に引っかからないやつが多い。でもフェーゲ王国のトップを張るペトロネア様はソフィア様の魅了を感知しているらしいし、本人ソフィア様は天使の力を否定していたけどやはりソフィア様に力はあるのだろう。



「はぁー……難しいなぁ」



ソフィア様は困ったように首を傾げているが、困ってるのは間違いなく教師の方だ。


その場だけ切り取って見れば、儚げで麗しの天使様が憂いている構図なだけにフェーゲの学生たちがとても困惑している。

彼らは伝統的に天使に頼られるのは強者の証としている。だから天使の困っている姿を見ると、反射的に助けを申し出たくなるが、護身術の講義を受けたい天使だなんて対応に困る。



「苦痛の神ピオスエラと邂逅されてしまったのでしょうか。光の女神バルドゥエルのお導きが強いお時間ですが、灰色の雲が空一帯を覆われているようです」



私の背後から、ちょうど廊下を通りかかったらしい黒のマントの学生がソフィア様に問いかける。

これだけ近付かれて俺が足音どころか存在に気が付かなかった。実力差を大変わかりやすく思い知らせてくれてどうもありがとうございますと、勝手に心の中でお礼申し上げる。


うわ、にしても教師もご愁傷さま。よく見たら、アレはマリアン・ベリアルだ。やつはフェーゲ王国の中でも重鎮中の重鎮だ。

どれくらいかと言うと、ペトロネア殿下の次席は第二王子ではなく、マリアン・ベリアルと言われるほど。


フェーゲ王国は生まれ育ち以外に魔族としての力の強さが序列に関係してくる。一体一タイマンの戦闘訓練でペトロネア殿下以外に敗北したことのない実力者の登場に教師も顔が蒼白だ。よりにもよって、ノイトラール共和国からの派遣教師か。頑張れ、強く生きろよ。



「欲望の神ジラーニエルの戯れにより、蜃気楼を見ていたようです」

「それでは不知火しらぬいの果てまで、私にエスコートの栄誉をいただけないでしょうか?」

「ベリアル様に癒しの神アスクリィエルの祝福がありますように」



神々を用いた表現に馴染みのない俺にはさっぱりわからないが、マリアン・ベリアルとソフィア様の間で会話が成立したらしい。


はーぁ、これが全くわからないからノイトラール共和国がバカにされるんだよなぁ。でもさっぱりわかんねえ。

神々の名が何を比喩しているのかは暗記でギリギリできても、蜃気楼?不知火?とか。神話やロマンス小説のような表現をされはじめると、なんの話か迷走し始める。



「教授、アルミエル先生の元へソフィア様をお連れして参ります」



マリアン・ベリアルの端的かつわかりやすい報告のおかげで結果だけわかった。どうやら騒ぎを起こしていたソフィア様をエデターエル王国からの派遣教授に委ねるらしい。


さすがは優秀と名高いだけある。ひれ伏さんばかりに感謝している教師を横目に、早くもマリアン・ベリアルはソフィア様をエスコートして退出しようとしている。



「私も軍神リッカエルのご加護をいただきたかったのですが、水の神ハーヤエルの祝福はいただけなかったようです」

「加護神シャムシアイエルの眷属では不足でしょうか?同胞はらからたちはいつでもソフィア様のお力になりましょう」



まだ護身術やりたかったと駄々こねているソフィア様と会話をするマリアン・ベリアルの表情がまるで別人のようで震えた。あのマリアン・ベリアルが、柔らかい大切なものを見守るかのような優しい瞳をしていた。


戦闘訓練では眉ひとつ動かさずに、向かってきた敵を血まみれにして地面に転がすあの魔族が、あんな表情するなんて!


学院ではできるだけ会話しないようにしていたのに、思わず付き人のアルフィに話しかけてしまった。



「見たか、アルフィ」

「噂ですが、ベリアル様にはソフィア様のお力が及ぶようですよ」

「あぁ……。なるほど、俺もソフィア様じゃなきゃ完全に名乗り出ちゃってたもんなぁ」



エデターエル王国の天使たちは強い庇護者を求めて魅了の力を使う。だが、ノイトラール共和国は比喩表現も使えないから、普通は避けられる。

でも天使側に避けられたところで、そこに居れば魅了の力は作用してくる。だからこっちとしては何かしてやりたくなる。


ソフィア様が常時発している天使の魅了は俺の感知圏外だから普通に会話できるし、特に困らない。それにソフィア様も自身も比喩を用いない会話をしてくれる気さくな方だ。だからつい忘れがちだったが、ソフィア様も天使だ。


そもそもソフィア様は獅子の獣人の血を引く俺が全く感知しないほどの強さだ。天使は強ければ強いほど常時放つ魅了に捉えられる対象は狭まる。だが、当然ながら強いやつが発する力の方が強い。



「そんなに強いのに、なんであんなに優しくて気さくなんだろうな」



密かに淡い甘やかな心を向ける相手に、人の目が多くあるときに話しかけられるほどの器量がない自分の無力さを思い知って小さくため息をついた。

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