第四夜 悪魔は天使を口説きたい

七斗学院の交流会、神話になぞらえてそれぞれ仲の良い者同士で贈り物をしあう会だが、各国の要人の子息子女がいるここでは、当然外交となる。


それにも関わらずペトロネア殿下にお行儀のよろしくない贈り物をしようとする同国の第三王子一派がいて、ため息ものだ。

学院ではフェーゲ王国ならではの社交をするのは禁止されているからか、愚かな彼らはペトロネア殿下への恐怖を忘れたらしい。


そんな中、いつもと変わらない様子で談笑するソフィア様を見つけた。

これまでエデターエルの兄王子から贈られたという髪飾りを付けていたが、今日は私が贈ったものを付けてくれている。どことなく浮つくこの気持ちをどう表現したら良いのかわからない。



「光と幸運の女神バルドゥエルの祝福を得たようです。贈り物は気に入っていただけたでしょうか?」

「時の神クィリスィエルも、風と土の神は引き裂けないでしょう。……マリアン様と離れる時は、闇の神が眷属ピオスエラに魅入られているようでした」



ソフィア様が胸の前で手を合わせ、緩く目を伏せる。その仕草に思わず息を飲む。これはフェーゲにも知られているほど有名な天使の魅了だ。

それなのに私に魅了の力は一切向かってこない。ソフィア様があえて魅了の力を抑えているのももちろんあるだろうが、天使一族の生まれがこれをして全く力が漏れないはずがない。


つまり、ソフィア様の魅了を感じ取れない私の力不足だ。


奥歯を噛み締めながらも、それを悟られないよう微笑んで膝をつく。キスをしたいと請う仕草をすれば手を差し出された。



「癒しの女神アスクリィエルの祝福と風の神シナッツェルの御加護を祈りましょう」



私の執着に気がついてくれれば良いのに、執着に気がつかないでいてくれれば私を傍に侍らせてくれるだろうか。相反する感情を持て余しながら、ソフィア様の手首に唇を寄せた。

ソフィア様は目を瞬かせてキョトンとした様子を見せているから、魅了の力は使ってないのにこの反応はおかしいなとでも思っているのだろうか。


そのままダンスに誘うかのようにソフィア様の手を取れば自然と私の腕の中に収まってくれた。そうなるように誘導したのは私なのに、こうも素直に身を委ねられると動揺する。信頼されていることに安堵すれば良いのか、警戒心の無さに呆れたら良いのかわからなくなる。



「ソフィア様」

「ペトロネア様、時の神クィリスェルのお導きに感謝いたします」

「時の神クィリスェルの祝福をいただいたようです」

「ときにマリアンは、光の女神バルドゥエルのご加護を得られそうでしょうか?」



ゆるりと首を傾げたペトロネア殿下に護衛のリンドラが「ほお」とため息をつく。殿下が魅了を乗せた微笑みを浮かべている。

いつの間にかペトロネア殿下の側近集団の中にシジルがいない。つまり、こちらに注目を集めている間にに書類を回収するのだろう。


七斗学院の決まりに身を守られている者がペトロネア殿下への恐怖を忘れて武力行使を試みた結果だ。その相手にあえて武力を用いずに「血を見せなければ良いのだろう?」と制圧するあたりがペトロネア殿下のよい性格を物語っている。



「ええ、マリアンは光の神が眷属ロキニスエルのようですから。わたくしが光の神バルドゥエルの祝福をお祈りいたします」



ソフィア様が好む言い回しにするなら「マリアンは優しいし、良いことがあるように私も願ってるよ」といった内容だろうか。

この状況で信じられないほどの自我の強さだ。これほどの魅了を向けられてペトロネア殿下を称えないソフィア様の強さは尋常ではない。


魅了にかかっていないと明確なその言葉を聞いたペトロネア殿下が魅了の力を強める。ぐっと惹き込まれる力が強まって、本能が膝をつきたいと訴える。危うくたたらを踏みそうになった。


私でも耐えるのが厳しいほどの力なのにソフィア様は全く涼しい様子だ。ペトロネア殿下の魅了が効かないほどの力量、悔しいが私にはそれほどの力はない。視界の端に見えるソフィア様を見て無理やり意識をソフィア様に向ける。



「ぜ、ぜひ俺に微笑みかけてください!」



ソフィア様に挨拶しようと順番待ちしていたノイトラールの学生が堪らずといった様子でペトロネア殿下の足元に身を投げ出す。

それが伝播したらしく、人間も魔族も等しくペトロネア殿下の愛を請うべく床に伏して懇願している。


その中に今回ペトロネア殿下を襲撃しようと画策していた主犯が混ざっているのに気がついてペトロネア殿下の作戦の成功を察した。

書類のサイン、そして他の王子の庇護下に入りたいと懇願する。この2つが揃えば、魔王の王位継承権が放棄ができる。



「さて、混沌の神カオシエールは降臨した」



ペトロネア殿下はソフィア様をさも面白いと言いたげな表情で見やっていたが、丁重な退出の挨拶を述べてそのまま会場を出ていかれた。


匂い立つ色気と言えば聞こえは良いが、まるで火に飛び込む虫になった気分だった。ペトロネア殿下の魅了の力から外れて大きく息をつく。

当然といえば当然だが、巻き込まれたソフィア様が床に伏す他の人たちを見て微妙な顔をしている。


ペトロネア殿下はソフィア様を魅了しようとして加減を誤ったとしたいのか、もしくはソフィア様に魅了された私を元に戻すために魅了の力を使ったとしたいのか、どちらかのはずだ。

今はどちらなのか指示を聞いていない、どちらとも取れるように行動しておく方が良いだろう。



「ソフィア様、時の神クィリスエルの祝福をお祈りいただけないでしょうか?」

「ええ、祈りましょう」



早いところ退出したいのはソフィア様も同様だったらしく、お茶に誘う私の手を取ってくれた。

ペトロネア殿下に愛を請う集団の中には他の天使たちもいた。魅了をすることでしか身を守れない彼らからすればペトロネア殿下は危険な相手であると同時に、最高の庇護者に違いない。


それならば、ソフィア様もペトロネア殿下をのぞむのだろうか。



「マリアン?どうしたの?大丈夫?」

「ソフィア様は……」



自らより強者であるソフィア様の傍に侍りたいという本能としての欲求以外に、仄暗い欲が渦巻いている。

なるほど、厄介なものだ。とは言い得て妙だと理解する。



「王族じゃないマリアンまであんな力向けられて耐えられるんだからフェーゲって強いよねえ」

「……私は、つよいでしょうか」

「それはそうでしょ?あの場で正気だったのマリアンぐらいじゃない?マリアン以外の側近はいつでも命令くださいって感じだったもの」



周りに人がいなくなっからか、外交の場から離れたからか、ソフィア様が随分と砕けた直截な物言いになった。



「あ、そうそう、はい、これ」

「魔道具ですか?」

「癒しの魔道具、私のだから魔力込めてあるよ。私にはよくわからないけど、フェーゲ内で争ってるでしょ?怪我しないようにね」



軽い調子で手渡してくれた魔道具は天使の羽を模した繊細な作りのブレスレットだった。触れた腕に癒しの力が伝わってくる。天使の王女が作って、魔力を込めた魔道具。

外交としてペトロネア殿下の側近である私にこれを渡してきたなら、間違いなくペトロネア殿下に嫁ぎたいという意思表示に他ならない。



「マリアンが心配だから。私にはキミたちが何してんのか全然わからないけど、でも、マリアンが傷付いたら嫌だなって思うよ。だから、ソフィアからマリアンへプレゼント!」

「ありがとうございます。それでは、私からもソフィア様への贈物です」



贈物が個人宛であることを強調するソフィア様にペトロネア殿下との婚約の意図はないらしい。そのことに妙に安堵する。ソフィア様に贈る予定だった箱を開いて見せると、淡い色の瞳を輝かせてくれた。



「ありがとう!これは私が欲しがっていた素材だね!」

「ええ、よいお薬を作られてください」

「色々とやりたいことがあるから、また実験室に行こうかな!」

「次の新しいものを作る前に机の片付けを忘れずに行ってください」

「わかったよ、マリアンが準備してくれたものだからね」



ソフィア様の細い指に目の下をなぞられたと思ったら、やわらかく微笑むソフィア様に頭を撫でられた。

撫でられるなんて、母親エリザベートにされた記憶すら曖昧だ。弱点にもなる頭が他人に触れられているのに不思議と嫌な気分にはならない。



「また遊ぼう」

「わかりました、それまでに私の方もきちんとお片付けをしてきます」

「マリアンから聞くと片付けがなんだか物騒だね!」



そう言って楽しそうに笑うソフィア様をエデターエル寮までエスコートして見送った。

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