第8話3-1:理解できない


 翌日の学校では、心無いクラスメイトたちからふたりの仲を冷やかされました。やれキスはしたのか、やれどこまでやったのか、やれ別れたのかとうるさいものである。僕は耳を塞ぎ、一生懸命抵抗していました。

 一歩で折り鶴女子はなに食わぬ顔で、婚姻届けを出した、と嘯いていました。それでもいたるところから陰口が戦場の矢のように大量に飛んできますが、なんとも思っていないふうに自分の席に鎮座していました。僕はその様子を見て強い人だと思いました。

 その日の折り鶴女子も寝癖がすごく、怒ったアニメキャラが髪の毛を逆立てるような形態でした。今から派手なロックバンドの演奏にでも行くのかと冗談に思いながら、でもこの女子なら実際にしてもおかしくないのではないかとも思いました。いかんせん、僕の思考の範疇に収まらない人である。


「君、気にならないのですか?」

「なによ。あなたこそ話しかけていいの。周りからいじられるわよ」


 僕はひそひそ声で話しましたが、折り紙女子は声のボリュームを特に下げることなく話していました。僕には理解できても実践できないことですが、おどおどしないで堂々したほうが周りからいじられないという計算なのでしょう。といっても、折り鶴女子は元から声が小さいのでヒソヒソ話に近いものでした。


「それもそうですね。やめときましょうか」

「そういえば、欲望の三角形ってあるんだけど、知っている?」


 話を続けるのですか……。周りを気にしていないのか、何か言いたいことがあるのか、おそらく前者です。僕は折り鶴女子と以心伝心の心持ちです。


「知りません。何ですか、それは?」

「3つのものの友好関係を表すものよ。自分と自分が真似しているものと好きなものの関係よ。簡単に言うならば、自分が真似しているものを自分も好きになるという考え方よ」

「難しそうな話ですね」

「略奪愛みたいに人のものが欲しくなることも表しているのよ。または、カップルにおいて付き合っている人の趣味を好きになることも表しているわ。好きなものは自分で決めるわけではなく周りの影響を受けているということね」

「周りですか……」

「ほかにもエディプスコンプレックスってあって、男性はマザコンというところが前提にあるけど、それに近いのよ。男性は母親が好きなのだけど、父親がいるから結婚ができないのよ。だから、母親に似た人を好きになるの」

「はぁ、それも好きを決めるのは周りの環境ということですか」

「それらとは違うけど、吊り橋効果というものがあるわ。それは説明しなくてもいいわね。つまり私が言いたいことは、好きという感情は環境に左右されるということよ」

「その理屈はわかりますが、どうしてそれをわざわざ今言うのですか?」


 僕は折り鶴女子が好きだの愛だのにかんする学問的な話題を選んだことにあまり意味はないと思っていました。ただ単に自分の言いたいことを言っているだけであり、それは昨日僕がそれを許容したからだと思っています。折り鶴女子は曇空を背景にして、死刑を覚悟したように目を一旦閉じてから開きました。


「遠まわしに言っていたけど、この際はっきり言うわ。間違っていたらごめんだけど、私はあなたに興味ないわ」


 ――?


「何を言っているのですか?」

「あなたって、同じクラスになってから半年、誰かと話しているところを見たことがなかったわ。まぁ、それは別に悪いことではないし、私もそうだけど。そんなあなたが急に昨日話しかけてきたときは何事かと思ったわ」

「それは、折り鶴が気になったからです」

「それは仕方ないと思うわ。でも、そのあとも会話を続けたでしょ?私はせっかく会話を切り上げたのにむりやり」

「それは、仲良くなろうと」

「どうせあれでしょ? 自分と同じクラスで浮いた存在となら仲良くなれると思ったのでしょ? でも、私は仲良くなる気はないから」

「そんなはっきり言います?」

「はっきり言うのは悪いと思ったから遠まわしに退けようとしたのよ。興味なさそうなややこしい話をしたり、愛想悪くしたり、思い当たる節はあるでしょ?それなのにあなたは嫌な顔一つせずに近づいて来るわ」

「もとからそういう人でしょ、君は?」

「だから、昨日の別れ際に死人がどうとか人殺しがどうかとかという気持ちわるい話をしたでしょ?それで離れていけばいいと思ったけど、それでも今日に近づいて来るから、愛がどうかとかという話で間接的に伝えようとしたわ。でも、あなたは勘が悪いようね、私の言いたいことを全くわかっていないわ」

「言いたかったこと?」

「私はあなたのことは好きでも何でもないということよ」

「……いや、わかるわけないですよ。話を飛躍させすぎていません」


 僕はきちんと毛細血管まで集中して聞いたが、何一つ理解できませんでした。折り紙女子は僕が理解できないことを何一つ理解できないらしく、小鳥のように静かに首をかしげました。その手元では折り鶴たちも首をかしげていました。


「何を言っているのよ。まず、欲望の三角形で好き嫌いの話を始めるでしょ?」

「はい」

「次にエディプスコンプレックスで、あなたの私に対する好意はまやかしであり、しかも成就することもないことを示すでしょ?」

「はい?」

「そして、吊り橋効果で好意の話を印象付ける後押しをする。完璧でしょ?」

「……たしかに完璧です、意味のわからなさが」

「――あれ?」


 折り鶴女子は大きく実のなった果実のように頭を深くかしげました。たしかに僕は折り鶴女子にわずかばかりの好意を持っていましたが、それがどこかに飛び去ってしまう位の爆発的な飛躍を目の当たりにしました。僕は地雷撤去のように細心の注意を持って目の前の人物と会話を合わせないといけない。

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