第3話 息子の孫の発言

2 息子の孫の発言


 ぼくはじいちゃんが嫌いでした。

 死ぬほど嫌いでした。

 この世で一番嫌いでした。

 じいちゃんが死んだと聞いたときに、ぼくは思わずガッツポーズしてしまいました。おそらくほくそ笑んでいたと思います。我慢しようと思っていたのですが、それができないくらい嬉しかったのです。おそらく、その情報を伝えに来た母さんや父さんは、僕が嬉しそうな顔をしているところに気がついたと思います。いや、これは僕の憶測せしかないので直接本人たちに聞かないとわからないです。でも、とりあえず嬉しかったことは覚えています。すごく嬉しかったです。

 じいちゃんで記憶に残っていることに、叱り方のことがありました。言うことを聞かない僕に対して、怒るのです。アニメとかであるじゃないですか、言うことを聞かない悪ガキを押入れの中に入れて反省するまで放ったらかしにすることが。それと同じように僕も家から追い出されて、ドアに鍵をかけられて入れなくなったことがあります。でも、そんなことは大したことがないのです。一度あったことが、ライターの火を近づかれて脅されたことがあるのです。言うことを聞かないと燃やすぞ、と。当時はなんとも思わなかったんですけど、冷静に考えたらこれってメチャクチャですよね。意味わからないですよね。パワハラみたいなものですよね。そういうことが当たり前のようにあったから、感覚がマヒしていたのだと思います。

 他にも思い出すのは、食事に関することです。なんか、食事の時にはよく噛むように言われました。それ自体はいいことだと思うのですが、きちんと噛めているのかを目の前が数えられるのです。じいちゃんが意地悪な顔で一つ一つ丁寧に数えてくるのです。本人は意地悪な顔でなく真面目に数えていただけかも知らないですが、僕から見たら意地悪な顔にしか見えなかったのです。まったく味を楽しむことができずに、修行の時間のようでした。しかも、それが食べ物だけならまだわかるのですが、飲み物に対しても同じなのです。牛乳を飲む時もきちんと30回噛んでから飲むように言われました。いや、意味わからないでしょ?たしかに唾液で分解させるとかを考えたらそうかもしれないですが、普通飲み物を飲む時に噛まないでしょ?しかも、じいちゃん本人は噛まないのです。よく考えたら、僕にだけ言っていた気がします。あれ、僕っていじめられていたのでしょうか?まぁ、それは今となってはわからないことですので、この話は流しましょう。僕の母さんが目の前で噛む回数を数えられて可哀想だったと言っていた気がしますが、そんなこともあったんだと思います。

 そんなこんなで、ぼくは食事の時間がすごく嫌でした。目の前に座っているじいちゃんと目を合わせることも嫌でした。だから僕は横を向きながらテレビをずーっと見ていました。目の前に座っているじいちゃんと一言でも話をすることが嫌でした。だから僕は横を向きながらテレビをずーっと見ていました。目の前に座っているじいちゃんの存在を感じることが嫌でした。だから僕は横を向きながら……

 ぼくはできる限り食事の時間を早く終わらせて、すぐに食卓から離れるようにしていました。じいちゃんがいる1階の食卓からじいちゃんがいない2階へ逃げるように上がってくのです。そういう囚人のような生活が生まれてからずーっと続いていたのです。

 そういえば、食事の時に先に漬物を食べていたら、先に漬物を食べるのか?と嫌味を言われたことを思い出しました。別に漬物から食べてもいいだろと思っていたので、なんか腹が立ちました。じいちゃんの中では漬物は最後の方に食べるという考え方のようだったけど、そんなことをいちいち言ってくるのはおかしいと思います。

 あと、何を言われたのかは忘れましたが、食事中に腹立つことを言われたのでぼくは激高して立ち上がりそのまま2階に駆け上がったことがありました。そのまま2階で不貞腐れていたら、父さんが2階に様子を見に来て、心配しながらも、ぼくが悪くないと理解しながらも、一応は一階に来てじいちゃんに謝るように言われました。それでぼくは反省は全くしていないですが、一応謝りました。その時のじいちゃんは偉そうな態度で自分は間違っていないと言いたそうにいました。その顔を思い出しただけでも腹が立ってきました。一応、母さんが僕の擁護をしてくれていたことは覚えています。しかし、それ以上にあのくそじじいの顔が思い出しただけで腹立つのです。

 ぼくはじいちゃんが早く死ねばいいのに思いながら何年も生きていました。正月のお参りでの願い事も、世界平和や家内安全とかではなくじいちゃんに死んでほしいと毎年していました。しかし、まったく叶うことがありませんでした。だからぼくは、神様のことを信じなくなりました。

 そんなじいちゃんに対応する方法をぼくは思いつきました。それは、無視をすることです。こんな頭おかしい人にいちいち付き合っていても意味がないのです。腹が立つだけです。だから無視をするのです。感情もなく喋ることもなく関心をもつこともなく対応するのです。そうすることで難を逃れることができるのです。しかし、その副産物として、ぼくは感情を出すのが苦手になり、喋ることをしなくなり、物事に関心を持てなくなりました。それは、いわゆる普通というものから逸脱したものです。ぼくは学校などの普通を求められるところでは生き難くなりました。しかし、家の中で精神をおかしくしないためには仕方のないことです。学校での苦痛は大変なものでしたが、家での苦痛に比べたら大したことではありませんでした。

 しかし、学校の生活が苦痛なのも事実です。そもそも、学校というものが何なのかわからないのです。いきなりよくわからないところに放り込まれたから、何をしたらいいのかわかりませんでした。そして、どうしてそれをするのかわからなくて先生に聞いても理由を教えてくれないのです。椅子取りゲームやフルーツバスケットなどのお遊戯が嫌いで嫌いで仕方がないときに先生にその旨を訴えても、参加するように言われただけです。どうして参加しなければならないのかを教えてくれませんでした。クラスメイトに聞いても、楽しいから、という意見しか返ってこなかったです。ぼくは聞くだけ無駄だと思いました。というのも、家でじいちゃんに何を言っても無駄だったからです。だから、人には何を言っても意味がなく無駄だと思っていたので、何も言わずに何も感じず何も思わないことにしました。後に聞いた話ですが、母さんが学校の先生か家庭訪問でお遊戯に参加したくない発言をした初めての生徒だと聞いたとき、自分の意見をきちんと言えることを嬉しく思ってくれたらしいです。

 話は脱線しましたが、学校は嫌なところで間違いなかったのですが、じいちゃんがいないだけマシな場所であったのも事実です。家に帰ったら、憎たらしい目で僕を見てくるのです。お風呂やご飯の時間も決まっていて、それに遅れたら怒ってくるのです。正直言って、ご飯はじいちゃんと一緒に食べたくないので遅れて行きたいのですが、遅れていっても結局じいちゃんは食卓にずーっと鎮座しているので、会うのが早いか遅いかだけの話です。嫌なことは早めに済ませてしまおうとさっさと行くわけです。

 ぼくは小さい頃から習い事をしていました。いや、させられていました。それはそれで嫌だったのですが、学校と同じように、じいちゃんと一緒にいるよりはマシでした。家にいてもじいちゃんから離れたところにいたからイラつくことはあまりありませんでしたが、それでもたまに呼ばれることがありまして、それがイヤでイヤで仕方ありませんでした。その少しの可能性も外に出てしまえばなくなりますので、そういう意味では学校や習い事はまだマシでした。

 そうなんです。家にいると家の手伝いをさせられることがあるのです。うちの家は百姓の家系ということもあり、たまに畑仕事を手伝わされました。といっても、本格的なものではなく、スコップで掘ったり種を植えたりと簡単なことでした。手伝いが嫌というよりは、じいちゃんと一緒にいるのが嫌というものでした。

あとは、日曜大工的なものも手伝いました。倉庫とかの修理のために釘を打ったりしました。屋根の上にも登りました。ぼくは高いところが苦手ではなかったのでなんとも思いませんでしたが、母さんは心配していたようです。僕が高いところから落ちたらと心配していたらしいです。ぼくはそんな母さんの心配をどこ行く風か、屋根の上から強い風を感じていました。その間だけじいちゃんのむかくつ顔を忘れることができました。でも、よく考えたら、あの鬱陶しいじいちゃんの言うことを聞いて手伝いをしていると考えたら、気分は最悪でした。

たまに焚き火をすることがありました。庭でやってました。今ほど消防法が厳しくない時でした。今はもうできませんが、当時はしていました。ドラム缶みたいな専用のものを被せて灰などが飛ばないようにしていました。なぜ焚き火をしていたかといったら、庭に生えている雑草や枝葉を燃やすためです。雑草を抜いたり枝を切ったりして、それを集めて燃やすのです。今はそれができないのでゴミとして出すのですが、当時は焚き火にしていました。その時に、ついでに焼き芋を作っていました。僕は焼き芋が好きなので、とても嬉しかったです。また、単純に火が燃えているのを眺めることも好きでした。メラメラと燃えている炎、黒く色付いていく可燃物、歪む炎の上の空間、色々と見ていました。そんな中、じいちゃんも燃えてくれないかなと思うときもありました。

というか、畑を耕している時もこの桑で頭と砕いてやろうかと何度思ったことやら。枝と切っているときは枝ハサミでじいちゃんの首を切りつけたいと何度思ったことか。外で作業をしている時に熱中症かなんかで倒れてくれたら見殺しにしてやろうと何度思ったことやら。

色々とじいちゃんのことを思い出していると気づいてのですが、いい思い出が1つも出てこないんですね。普通ならどんな嫌な人でも1つくらいは美化されたいい思い出があるのですが、そういうものが1つも出てこないです。ちょっと待って下さい。頑張って思い出してみます。

そういえば、僕が爺ちゃんの入れ歯と自分の歯を入れ替えたいと言ったことがあったらしいです。でも、全く思い出せないです。

ちょっと待ってくださいね。

……

じいちゃんの腹立つ顔しか出てこないです。ちょっと待ってください。

……

外食した時に店員に文句を言っていた気がします。たしか、机が汚い、とか言っていた気がします。せっかくの外食なのにそんなことを言わなくていいのにと思った気がします。しかも、机が実際に汚れていたわけではなく、そういう模様だっただけです。怒るようなことではなかったのです。でも、店員は謝るしかなかったのです。ばあちゃんとかはそれを止めようとしたり店員に謝ったりしていました。でも、本人は何の悪びれる様子もなく澄ました顔をしていました。せっかくの外食なのに気が重くなりました。せっかくの外食が不味くなりました。

だからでしょうか?僕か外食があまり好きではないのです。外食に行くといつもじいちゃんがトラブルを起こしていた気がします。食べ物がまずいと文句を言っていた気がします。家のほうがいいとブツクサ言っていた気がします。そういうものを見ていたら気が滅入ってしまします。

ただ、家で食事するときも文句ばかり言っていたので、関係ないかもしれません。それなら、家での食事も嫌になるはずです。いや、待てよ。そういえば僕は食事自体にあまり興味がないですね。前にも言いましたが、食事中はイヤイヤ食卓にいました。そして、じいちゃんがいなくなった今も特に食事が好きというわけではありません。ただただ空腹を満たす作業をするのみです。僕はひとりで黙ってもぐもぐ食べるのみです。外の世界では食事はみんなでワイワイしながら食べるという考えがあるらしいのですが、僕にはそんなものはありません。それはじいちゃんの教育の賜物なのか自分が生まれ持ったものなのかはわかりませんが、食事は1人で静かに食べていました。でも、それは社会での一般的なルールとは離れたものらsくて、学校とか人との付き合いのときにはあまり役に立ちません。食事中に話して仲良くならないと生きにくい世の中なのです。でも、こんな人間になってしまったのだから仕方ありません。食事中に喋ったら注意される家庭環境と、食事中に喋ったほうがいい外の世界とのギャップに戸惑うばかりです。

じいちゃんは健康に気をつけていましたね。なんか、テレビかなんかで聞いた変な健康法を信じていました。それは信じるのに医者は信じなかったですね。普通は逆だろと思いましたが、言うだけ無駄なので放っておきました。よくわからない健康にいいという薬を勝手に作って飲んでいました。それ自体は別にいいのです。それでじいちゃんが死のうが自己責任でしたので。むしろ、死んでくれと思っていました。しかし、問題はその薬を家族にも進めることです。いりませんよ、そんなもの。僕はそんな得体の知れないものなんか欲しくなかったです。ただでさえ嫌いなじいちゃんが差し出したものなのですから、意地でもいらなかったです。すると、せっかく作ったのに、とじいちゃんは不貞腐れるじゃないですか。たぶん、そういうところでもじいちゃんは僕のことが嫌いだったと思います。でも、僕はもっとじいちゃんが嫌いなので、それで嫌われてもいいと思っていました。嫌ってもいいから、一生僕に話しかけるなと思いました。

朝は軽く挨拶するくらいですね。なんせ、じいちゃんのことが嫌いだったから、ギリギリまでじいちゃんがいる玄関付近の食卓には行きませんでした。単純に朝が苦手だったということもありました。でも、じいちゃんに会いたくないというのも事実でした。だからということもあるのですが、朝食は抜いていました。朝食を食べるためには食卓に行く必要があるのですが、それが嫌だったのです。じいちゃんからは朝食を食べるように注意されましたが、お前がおるから食べないんだよ、と思いながら睨んでいました。母さんにそのことを言ったら、2階に軽くつまめるお菓子を置いてくれるようになりました。学校では朝食をとるようにと教育がありましたが、うちの家庭環境のことを考えろよ、と思いながら聞いているふりをしていました。

学校に行くと、先ほど述べたとおり、静かに1人でいました。学校というシステムがよくわからなかったこと、じいちゃんからのよくわからない教育の成果、本来の僕の性格、あらゆるものが総合的に合わさってそうなったのだと思います。勉強はある程度出来たのですが、友達はいなかったか少なかったと思います。少なくとも、学校は楽しくなかったです。行きたくなかったです。毎日のように母さんに学校に行きたくないと言っていました。でも、家にいてもじいちゃんがいるので地獄でした。学校に行っても家にいても地獄でした。逃げ道がなかったのです。でも、とりあえず学校に行っていました。もしかしたら、じいちゃんがいなかったら不登校になっていたかもしれなせん。そういう意味ではじいちゃんは役に立ったのかもしれません。

学校から帰ると、いつも通りじいちゃんがいます。地獄の門番のように腹立つ顔でいます。僕はいつも通り軽く挨拶して通り過ぎて、2階まで直行します。そのあとは状況によって変わります。

なんの予定もなく家にいる場合は、そのまま2階に居続けます。テレビを見るなりゲームをするなり、いろいろとします。じいちゃんに会いたくないので、ひたすら2階にこもっています。

予定がある場合、習い事や友達と遊ぶ場合、家から出ていきます。じいちゃんの前を心を殺しながら通り過ぎるのです。何かを言われても適当にそれっぽいことを言うか聞こえないふりをして無視します。鬱陶しいな、と思いながら通り過ぎます。それは帰ってきたときも同じです。

お風呂はそうですねー、何かあったかなー?お湯の温度とかタオルの位置だとか沸かす時間だとか、色々とあった気がしますが、何があったのでしょうかね?お風呂の時間が長すぎたら怒られるということがあった気がしますが、早すぎても怒られるのですよね。ただ単に、じいちゃんのさじ加減だと思います。

晩ご飯とかもありますが、一通り終わったら2階に避難します。じいちゃんがいない所に行って、ゆっくりするだけです。そのあとは寝るだけです。翌日にもじいちゃんと会わないといけないことを忘れながら寝るだけです。

僕が大学生の時に、母さんが倒れました。父さんから聞いた話だと、長年のストレスが爆発したらしいです。離婚するかもしれないという話も聞きました。ぼくは母さんと一緒に出て行って、兄ちゃんが父さんと一緒に家に残る予定でした。ぼくはそれでもいいかなぁーと思っていました。じいちゃんから離れられるならラッキーかなぁー位の気分でした。ところが、親たちが話し合って、じいちゃんとばあちゃんが親戚のおばちゃんのところに行くことになったようです。具体的にどういう話があったのかは知りませんが、知らないうちにそうなったようです。僕が知っていたのは、母さんが母方の家に療養していてじいちゃんと暮らすつもりはないと言ったこと、じいちゃんが後継の孫たちは家に残るべきだと言っていたことくらいです。

なにはともあれ、じいちゃんは家からいなくなりました。ぼくはすごく嬉しかったです。心が晴れやかになるとはこのことなんだと初めて実感しました。家にあのじいちゃんがいないだけですごく心地よかったです。なんというか、嬉しいという感情しか出てこなかったです。

その後ほどなくして、母さんは家に帰ってきました。帰ってきたんだ、と思いました。それに対して嬉しいとか安堵したとかの感情はありませんでした。僕はただ、帰ってきた事実を確認しただけでした。これももしかしたら、じいちゃん対策で感情を押し殺したことの副作用かもしれません。

僕は父さんから、頭を撫でられました。今までよくあのじいちゃんの仕打ちに耐えてきたな、という意味だと思います。母さんからは、じいちゃんから守ってあげられなくてごめん、と謝れました。僕はなんとも思っていなかったのですが、周りから見たらじいちゃんの僕に対する扱いはひどく見えたんだなぁー、と思いました。たぶん、僕の感覚がマヒしていただけかもしれないですが……

そういえば、近所の人からじいちゃんのことを聞かれたことがありました。最近見かけないけどどうしたのか、と聞かれました。僕は親戚の家に行ったと言いました。そうなんだ、と言って納得したような雰囲気を出していましたが、少し含みのある雰囲気も感じました。父さんとかも近所から聞かれたようです。まぁ、最近までいた人が急にいなくなったら気になりますよね。でも、父さんや母さんが冗談半分で言っていたのですが、僕たちがじいちゃんを殺したという事件を近所の人が憶測しているのではないか、とのことです。もちろん、そんなことを近所の人たちに聞くのもおかしな話ですので聞きはしませんでしたが、近所の人は勝手な噂をしていたと思いますよ。

その後、大学の長期休暇の時に何回か母さんと散歩した記憶があります。まぁ、母さんのリハビリに付き合ったというところですか。たまに近所の人と出会って、親子仲いいですね、と言われたのを覚えています。

その数ヵ月後、なぜか家に犬がいました。小さくて白いマルチーズのオスでした。なぜいるのかというと、母さんが友達からもらったからです。その友達の家で犬の夫婦がいて子供を産んだのですが、そんなにたくさんの子犬を面倒見ることができないので預かって欲しいということらしいです。母さんは本来は犬が嫌いでして最初は断っていたらしいのですが、かかりつけの精神科の先生から犬を飼ったら癒されると勧められたから試しに飼ってみることにしたらしいです。

そしてら、母さんは犬にメロメロになっていました。いつも犬と一緒にいました。そのうち、自分の布団の中に犬を入れて一緒に寝ていました。自分より長生きしてな、といつも話しかけていました。これがつい最近まで犬を毛嫌いしていた人なんだと不思議に思いながら見ていました。

そんな生活が数年続いていました。たまにじいちゃんが家に帰って来たがっているが親戚が体を張って止めているという話を聞きながら暮らしていました。じいちゃんが老人ホームに入ることを嫌がっていたが入ったあとは嫌がっていないことも聞きながら暮らしていました。じいちゃんが怪我をしたことや死にかかっていることも聞きながら暮らしていました。

あの日、じいちゃんが死んだと聞きました。でも、そうなんだと思っただけです。それ以上でもそれ以下でもありませんでした。


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