4 灯里の披瀝

で?」


 凛子りんこのその言葉に、灯里あかりの頭にはいきなり憎々にくにくしい梅田の顔が浮かんだ。



 ――お一人様ですね?



 それで灯里は白けた笑いを零した。

 少し前の灯里なら腹に据えかねたであろうその言葉も、何故だか今は笑える。


「私、入部するまで趣味にしてたことがあってね」


 気づけばもう六月である。

 すると一ヶ月近く趣味が途絶えていたことになり、それでか灯里は懐かしいものでも見るような顔つきで、外の黒々した疎林そりんに目を向けた。

 月は見えない。月はいま、あの螺旋らせん階段のてっぺんに張り付いている。


「知ってるわよ。一人カラオケでねちねちとORCA/noteオルカ・ノートにクレームを送っていたことでしょ」


「な……!? 何で知ってるの!?」


 まるで大須観音おおすかんのんのハトのようにくるっと凛子を見返ると、彼女はいつものような意地悪そうな笑いではなく、優しい微笑みを灯里に向けていた。


 ほぼ毎日通い詰めていたカラオケ ―― 一人カラオケのクレーム趣味。あれは親友の凛子にだって話していなかった。

 ここ数年放課後の付き合いなどほとんど無かったし、それに先月の入部以降、灯里の趣味はぱったり途絶えている。そうなら、凛子が灯里の趣味を知る機会など無かったはずだ。


「その話は後」


 凛子は、それで、と言って話を戻した。


「ぱったり途絶えたその趣味に、何故今、灯里は突然走ったのかしら? 別にクレーム処理が終わってからでもよかったでしょうに」


「その話をするなら、先にちょっとかなきゃいけないことがあるんだけど――凛子はさ……、」



 ――カラオケって言ったら何を思い浮かべる?



 先月、灯里が入部した日に奈々千ななちから受けた質問を、そのまま凛子に投げかける。

 あれからひと月。

 奈々千がこの質問を通して何を伝えたかったのか、灯里は薄々勘づいている。けれどたぶん、灯里はその意図に背くことになる。


「何よ、やぶから棒に」


「いいから答えて」


「そうねぇ……『歌いやすさ』とかかしら。あとヘッドホンに、パソコン。テロップの塗り替わりや、歌詞に合った映像の割り当て。クリエイター、ディレクター、音楽業界。それから……――」


「……もう、いいよ。ほらな。凛子さ、入部前はもっと違う答えだったらしいじゃん。この部活を続けてると変わっちゃうんだよ」


「あぁ……。そういえば私が入部した時も奈々千先輩が同じこと尋いてきたっけ。灯里も尋かれたんだ?」


「そう。先輩の言いたい事は分かるよ。凛子の連想した言葉はめちゃ格好いいもん。私もそういう風に変われたらよかった。そしたら多分、続けられたんだと思う――けど」


「うん」


「なんかね、違う方向に変わっちゃったの……『クレームがわずらわしい』って」


「ああ。そこに繋がるのね」


 クレームを送る側は気楽でいいだなんて、入部するまでの灯里なら絶対に思わなかったことだ。

 あの趣味は誰のためでもない自分のために続けてきたことだった。

 必死にすがるものを探して、ようやくたどり着いた『私』がまもられる空間。独りぼっちだった四年間を嘘にしてくれる、たった一つの趣味。


 そんなことを、灯里は独白のように語った。


「――すごいんだよ。一人でいる事も許される。楽器をやめたことも正当化できる。……あれをしてる時、私は満たされた気持ちになれたんだ。だからこそ、クレームをかろんじた私自身を許せなかった。クレームを否定してしまったら――あの時の私は……嘘になっちゃう」


 あぁ……、と凛子は相槌とも憐れみともつかない声を漏らす。


「だから確かめに行こうとしたって訳ね」


「そういうこと」


 ――今でもまだあの時の気持ちは生きているのか。


「心がモヤついたとき、私はいつもカラオケに行った。何度も助けられた。今もそう。さいっ――――――……っこうに! モヤモヤしてる。だからあそこに行って確かめるの。まだ私にとって大切なものなのかどうか。それで、もしダメなら……もし本当に私の気持ちが変わってしまったんなら、もうここにはいられない。ていうか、いたくない。あの四年間を守るために、私は必死にあの時の気持ちを取り戻す。そしたらカラオケ部は………………うん、辞めるかな」


 断固として言い切る。

 けれど凛子も、きっぱりと言い放った。



 ――――だめ。

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