第25話 俺は嫌だ

 『諦めねぇから、俺』


 この一文が意味するところは。


 そんなもの、すぐに分かった。


 「まぁ、らしいっちゃらしいな」


 あいつがいつもの調子を取り戻してくれたのなら何よりだ。ただ、ある一人の人物のことを考えると何とも言えない複雑な気持ちになる。

 それに、今こそ紅島は俊のことを何とも思っていないが、もしかしたら、ということもあり得てしまう。


 けれど、焦ってはダメだ。焦って答えを出せば俺自身だけでなく彼女たちをも傷つけてしまう。それだけは絶対にダメだ。


 俺は自分に言い聞かせるように空いている左手で顔をパンパンと叩いた。そしてそれくらスマホを置いて、自分の部屋で余計なことを考えないように必死に勉強に励むのだった。


 ****


 数日後のテスト最終日の放課後。俺は荷物をまとめ帰り支度をしているところだった。


 結局これまでと何も変わらない日々を過ごした。昼は氷崎さんと俊を交えて勉強し、放課後は紅島の家で勉強会。まぁ、紅島と氷崎さんがこれまでより少しだけ積極的に俺と絡むようになったような、気がする。

 俺の方も、緊張しながらも彼女たちと会話を重ねていったのだが。


 俺の目の前に誰かが来たのでゆっくりと顔を上げた。


 「神ノ島くん、行きましょう」

 

 氷崎さんだった。


 俺は「あ、うん」と返事をして、荷物を持って席を立ち、彼女とともに教室を出た。


 すると廊下の奥の方から見知った顔の人物がこっちへ向かって走ってきた。おいおい、これから生徒会に所属するやつが廊下を走るなよ。生徒たちにしめしがつかないだろ。


 その人は俺たちの前まで来て足を止めた。当然というべきか、若干息を切らしている。


 「っ、はぁ、先輩、はぁ、行きましょう」

 「めっちゃ疲れてんじゃん。アホか、お前は」

 「えへへ・・・」


 もちろん、紅島だった。


 俺たちは三人で生徒会室へと向かった。今日はテストを終えた後、体育館で集会があり、それを終えた後そのまま生徒会役員選挙に移行し、演説を行った。役員は(いつものことなのだが)定数ぴったりだったため信任投票のみが行われた。そしてこれから俺たちは選挙管理委員とともに開票作業をしに行くというわけだ。

 

 道行く生徒たちは「テストどうだった?」「マジやべぇ」「あの問題むずすぎじゃね?」と、テストの話をしていた。


 「な、なぁ紅島。そういやぁテスト、どうだったんだ?」


 隣を歩く紅島に訊くと彼女は苦笑しながら答えた。


 「あ、あー、まぁ数学以外は、そこそこって感じ、ですかね・・・」

 「ふむ、数学とか理数系はともかくそれ以外が悪かったら俺の言うことを聞いてもらおうかな」

 「えー!?それはひどいですよ、先輩!」


 紅島が俺の右腕をガシッと掴んできた。いてぇよ。


 「ひどくない。俺があんだけ教えたんだ。当然の権利だろ」

 

 俺が言うと、紅島は「ううう、反論できない・・・」と嘆いてガクッと項垂れた。


 まったく、仕方ねぇやつだ。


 「ま、けどそんな心配することねぇだろ。お前、範囲の内容は結構分かってたし」

 「・・・まぁ、そうなんですけど。ただ、自分ができたと思った時ほど当てにならないものはないと知っているので、いつもできなかったと思うようにしてるんです」

 「ああ、確かにな・・・・・」


 俺はしみじみと頷いた。


 分かる。超分かる。いい予感は外れるくせに、悪い予感ばかり当たりやがるんだよな。


 そんなことを思っていると、左側から声がした。


 「私はいけたけどね、今回のテスト」


 俺は氷崎さんの方を向いた。


 「マジっすか。流石。一位狙えそう?」

 「余裕・・・って言いたかったけど、西ノ宮さんがいるからどうなるかは分からないわね。彼女、『今度こそ勝つわ』って宣戦布告してきたから」

 「へ、へぇ、そうなんだ。ってことは、西ノ宮って、これまでのテストずっと二位だったってこと?」

 「そうね」


 あいつが氷崎さんのことを苦手としているのはそのためか。


 「ん、西ノ宮って今日演説してたあの人ですか?」


 紅島が訊ねると氷崎さんと俺は「ええ」「ああ」と答えた。


 「へぇー・・・・じゃあ、何だか荒れそうですね」


 声が小さかったので最後の方が聞き取れなかった。


 「何か言ったか?」

 「あ、い、いえ。何でもないです」


 俺が訊ねると、紅島は首と手をぶんぶん横に振った。氷崎さんの方に目を向けてみるが彼女も「さぁ」というように首を傾げるのだった。


 なんだったんだ?ま、いいか。


 窓の外からは湿っぽい風とともに、夏の虫たちの鳴く音が入ってきた。


 夏、か。


 「な、なぁ、ふたりとも」


 俺が呼び掛けるとふたりは黙ってこっちを向いた。俺はごくりと唾を飲み込んだ。


 「夏休みさ、生徒会の仕事がないときとか都合のつく日でいいんだけど・・・・・どっか、行かない?」

 「「・・・・・・・・・・」」


 なぜかふたりは無言だった。口を開けてぽかんとしている。「何いってんだこいつ?」と言わんばかりだった。


 え、ちょっと待って。俺、結構勇気出して言ったんだけど?傷ついちゃうよ?


 俺が汗をだらだら滴ながら内心焦っているとふたりは「ぷっ」と吹き出した。


 「いや、は、めっちゃ真剣な顔して言うから、はっ、何の話かと思ったら、そんなことですか、ははっ」

 「ふっ、ご、ごめんなさい。身構えてたものだから、ふふっ」


 ふたりはそっぽを向いて肩をくつくつ揺らしているのだった。紅島はそれに加えて俺の肩をバシバシ叩いてきやがった。


 「君たちちょっとひどくない・・・?」


 と俺が嘆くとふたりは俺の方を向いた。


 「失礼しました。ごほん・・・そうですね、行きましょう。真水先輩とかも誘って」

 「ごめんなさい、笑いすぎたわ。そうね、西ノ宮さんとかも誘って行きましょう」


 ふたりはそう言って穏やかに微笑んだ。


 高校二年生の夏は泣いても笑っても一度きり。ならば後悔のないように過ごそうじゃないか。


 まぁ、不安要素もないわけではないのだが。


 俺は口の端を上げ、ふたりに向かってこう言った。


 「約束だぞ」


 彼女たちは俺の言葉にただ無言で頷き、微笑んだ。


 気づけば生徒会室は目の前だった。


 ****


 「そんじゃあ始めろよー。退屈だろうから好きに雑談しながらやれー。俺は会議だから」


 それだけ言い残すと、生徒会の顧問の先生だという山白陽輝やましろはるき先生が教室を出ていった。

 今、生徒会室にいるのは選挙管理委員の十数人と俺を含め今日立候補したメンバーたちだった。だが一人、よく知らない人物がいた。名前は確か、識野友喜しきのともきといったか。紅島と同じ会計に立候補した一年の男子だ。茶色で毛先が少しカールしている癖っ毛で黒縁の眼鏡をかけており、インテリ男子っぽい感じだ。


 開票作業をしながら、俺は近くにいた紅島に話しかけた。


 「なぁ、紅島。そういえば、あの識野ってやつのこと何か知ってるか?」


 手元に目を向けたまま、紅島は口を開いた。


 「いや、特には。ただ、見た目通りというべきか、勉強はできる子らしいです。噂によればトップで入試を合格したとか」

 「へぇ、マジか」


 少し遠くにいる識野の方に目を向けると、彼は黙々と開票作業を進めていた。


 不意に、正面の方から声がした。


 「ふん、入試トップだって?別にすごくもなんともないわよ」

 「そうね、西ノ宮さん、トップだったものね」


 西ノ宮が自慢げに語り、氷崎さんが薄っぺらい笑みを浮かべ、西ノ宮を挑発した。案外受けたダメージは大きかったようで、西ノ宮は苦い顔をして氷崎さんの方をキッと睨んだ。


 おいおい、バチバチやんな。仲良くしろ。


 「紅島。お前、ちょっと識野に話しかけてこいよ。これから一緒にやっていくんだし」

 「いや、そうですけど・・・っていうか何他人事みたいに言ってるんですか!先輩も同じですよね?」


 紅島が俺の方をバッと向いて言った。


 「はっ、バレたか」

 「私を舐めないでください」

 「舐めてねぇよ、別に・・・ただ、お前の方が、その、何というか・・・」

 「ん、何ですか?」


 俺の言葉を訝しむように紅島は首を傾げながら言った。少し気恥ずかしいので、俺は彼女から目を逸らし、手元を見ながら口を開いた。


 「・・・見た目とか、コミュ力とか、お前の方が俺より、いいだろ・・・・」


 くそっ。


 俺は思わず右手で顔を覆った。恥ずかしすぎる・・・


 しばらく紅島の顔を見ることができなかった。彼女の方も何も言わずに黙っていた。


 周囲の人達の話し声がやけに大きく感じ、カチカチと時計が刻む一秒が何十分にも思えた。


 先に沈黙を破ったのは紅島の方だった。


 「ふふっ、ごめんなさい。びっくりしたんです。そうですねー、確かに先輩の言う通りなんですけど」

 「・・・さらっと自慢すんじゃねぇよ」


 思わず口の端が上がった。やっぱり俺はこいつとこうやって話すことを楽しいと思っているのかもしれない。


 「けど、先輩も顔はそこそこいいと思いますし、コミュ力だって一般人並みにはあるじゃないですか」


 俺はちら、と横目で紅島を見た。彼女も俺の方を見ていた。


 「いや、別に・・・」

 「そこは、素直にお礼を言っておくところだと思いますけど?」


 紅島は不服そうにそう言った。なぜだか正面の方からも視線を感じる。


 まぁ、確かに一応褒めてくれたのだ。お礼を言っておくのが筋というもの・・・なのだろうか。


 「・・・・ありがとな」

 「よし。じゃあ、私がちょっくら行ってきますね」


 ニコッと微笑んでから紅島は識野のもとへ向かった。


 「ちょっと、あんた手が止まってるわよ」


 声の方に顔を向けると、西ノ宮が俺をじーっと睨んでいた。こっわ、獲物を狙う猛禽類みたいだな。


 「あ、あー、わりぃ」


 いつの間にか手を止めていたらしいので再開しようとしたらそのタイミングで紅島が帰ってきた。早かったな。


 彼女の方に目を向けるとなぜかむすっとしていた。


 「どうかしたのか?」

 「あー、ムカつく!先輩、識野に声をかけたらこう言われたんです。無表情で『集中してるんだ。話しかけるな』って。食い下がったんですけど、今度は『僕はお前たちと違ってひとりが好きだし、これから一緒にやっていくからって馴れ合うつもりはない』って」

 「あ、あー・・・・」


 なるほどそういうやつか。少々めんどくさそうだ。


 「まぁ、別にいいんじゃない?好きでひとりでいるんだし。周りに迷惑かけないならどうでもいいわよ、私は」


 と、西ノ宮が言い、


 「できれば仲良くしたいけど、無理強いはできないしね」


 と、氷崎さんが言った。


 ふたりの言うことはもっともだ。俺たちに彼の生き方とも呼べるものを侵す権利などありはしない。だから、強制はできない。


 けど、俺は何だか気分がよくなかった。


 「・・・確かに、強制はできない。けど、俺は何だか嫌だ。あいつをハブっているような感じがして、嫌だ」


 三人が一斉に俺の方を見た。全員驚いたような顔をしていた。だが西ノ宮だけはすぐに普段通りの顔に戻った。


 「じゃあ、どうするつもりなの?口で何を言っても無駄なのよ?」

 「まぁ、そうだな・・・・・」


 俺は考えを巡らした。どうすれば彼の機嫌を損ねず、俺の我を通すことができるのか。


 ・・・・思い付いた。


 「こうするんだよ」


 俺は身を乗り出し、小声で三人に話した。


 「なるほどね。ま、そのくらい私も考えてたけどね」

 「いいんじゃないかしら。それなら、彼を不機嫌にさせることもないだろうし」

 「なるほどです!それで行きましょう!」


 三人とも賛成してくれた。


 決行は明日以降だ。


 「さ、さっさと終わらせるわよ。今日の仕事」

 

 西ノ宮の言葉で俺たちは開票作業に戻った。終わった頃には日はすっかり沈み外は暗くなり始めていた。


 そして、案の定、識野はすぐに生徒会室を出ていったのだった。




 

 


 


 


 




 


 

 



 

 

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