第12話 決戦間近

 「中二のときだったかな。ある時、階段から落ちそうになった私を助けてくれた先輩がいたの。私、意外とドジなのよ。ぼーっとしてることも多いから電柱にぶつかったこともある」


 なんて反応すればいいか分からなかったのでとりあえず「へ、へぇー」と曖昧な相槌を打った。


 まぁ、でも確かに意外だな。まさかドジなとこがあるとは。


 「それでさ、その時助けてくれた先輩は私に『大丈夫?』って聞いてきたから私が『大丈夫です!』って答えたらすぐにどこかに行っちゃったんだよね」


 なんだその人、名乗らずに去るとは。どこぞの少年漫画のヒーローじゃあるまいし。


 「それで?」と相槌を打つと彼女は「うん、それでね」と続けた。


 「その時はいろいろ混乱してたから思い至らなかったのだけど、後になってそう言えばお礼言ってないことに気づいたの。それで後日に慌ててお礼を言いに言ったら先輩、ニッって明るく笑ってこんなことを言ったの」


 彼女はそこで一度区切って息を吸い、それからまた口を開いた。


 「『ああ、わざわざありがとう。これからも気をつけて。でも俺は女の子にケガをしてほしくないから助けたんだよ。男だったら助けなかったな』って」


 「それはまた、キザなセリフだな」


 ただ、男からは嫌われるやつっぽいな、とは思った。


 「そうなのだけど、でも、そんなこと言われたら・・・仕方ないじゃない」


 氷崎さんは頬を膨らませながら、ふんっとそっぽを向いたのだった。何それ、可愛いじゃねぇか。


 まぁ、確かに仕方ないのかもしれない。きっかけはなんであれ、人を好きになるのに大層な理由は必要はないだろう。俺はそう思う。


 氷崎さんは再びこちらを向いて続けた。


 「それでね、何かにつけてその人に会いに行くようになったの。先輩、優しい人だったから優しく接してくれてた。ますます思い上がっちゃった私はある日、意を決して告白したの。・・・・結果は、言わなくても分かるわよね?」


 「・・・ああ」


 きっとその先輩はただいつも通りに接していただけだろう。まさか、自分を好きになっているとは知らず。


 「それで、思いっきり落ち込んだ私はしばらく学校休んだし、『私、バカみたい』って何度も自分を責めた。少し落ち着いた頃にまた学校行くと、私のクラスに先輩が来たの。そしたらまた泣きそうになったからその場を逃げ出そうとしたんだけど、先輩は出口をふさいで優しくこう言ったの。『なんか、本当ごめん。大丈夫?学校、何日も休んでたみたいだから』って」


 「その人、マジでいい人だな」


 俺は思ったことをそのまま話した。すると氷崎さんはゆっくりと感慨深そうに頷いた。


 「そのおかげで大分持ち直せたの。こんな経験があったから、私はフラれた人がどれだけショックを受けるのか知ってたってこと。私もあの先輩みたいに、優しく接しようって決めたのよ」


 彼女は俺に向かって優しく微笑みかけた。


 ああ、俺、この人を好きになれて本当に良かったな。


 心からそう思った。少し泣きそうになったが何とかこらえた。


 まだ、言わなければならないことがある。


 「でもさ、俺に誘惑・・・みたいなことをしてくるのはやめてくれ。俺はバカだからまだチャンスがあるのかと思って勘違いしちまう」


 俺を気にかけてくれるのは本当に感謝しかないが、それでもあんまり距離を近くしすぎないで欲しい。


 「不快に思ったなら申し訳ないわ。ごめんなさい」


 彼女はしっかりと頭を下げた。


 だが顔を上げてすぐにこんなことを言うのだった。


 「でも、残念ながらやめるつもりはないわよ」


 彼女は何かを企んでいそうな笑みを浮かべていた。


 「何で?」と聞こうとしたが、やめた。聞いても無駄だと思ったからだ。本当に何を考えているのか分からない人だ。もしかしたら、さっき話してくれたことも事実じゃなくてでっち上げなんじゃないかとまで思ってしまった。


 俺が何も言わずにいると、彼女は席をたって最後に一言だけ俺に向かって言った。


 「友達だよ、君は」


 そしてどこかへ行ってしまった。


 はぁ、と思わずため息がこぼれた。


 全く、勘弁してくれ。


 ****


 放課後。俺はいつもの通り公園で紅島とトレーニングに励んでいた。


 「6秒98です、先輩」


 「マジか!くそ、全然縮まらねぇな」


 ここのところ成長にストップがかかっている。あと一週間しかねぇってのに。


 「も、もう一回、はぁ、いくぞ、はぁ」


 俺はもう一度やろうと、スタートラインに向かったのだが、途中で膝から崩れてしまった。それに気づいた紅島が近寄ってきた。


 「せ、先輩!少し休憩しないとダメですよ」


 「い、いや。勝たないと、いけねぇんだ。じゃなけゃ、俺の全てが無駄だったってことになる」


 無理矢理立ち上がろうとしたが、思いの外強い力で地面に座らされてしまった。


 そしてそれから、紅島は穏やかな口調で


 「先輩。大丈夫ですよ、焦らなくても。ここ二週間必死に汗を流して努力したじゃないですか。だからその分だけきっと強くなってます!大丈夫です!」


 「・・・お前」


 いいこと言ってくれるじゃねぇか。


 そんなことを思ったのだが、同時に過去に自分がこいつに対して似たようなことを言ったような気がした。


 少しずつ、少しずつだが取り戻せそうだ。記憶を。多分、完全に取り戻せるのはすべてに決着がついたときだろう。


 案の定、紅島はこんなことを付け加えた。


 「・・・まぁ、先輩が昔言ったことの受け売りなんですが」


 やはりな。


 「やっぱりか。なんか、そんな気がした」


 俺が思ったことを言うと、紅島はぱぁっと表情を明るくした。


 「先輩、もしかして少しずつ思い出してきているんですか・・・?」


 「ああ・・・まぁ、少しずつ」


 彼女は「やった」と小さくガッツポーズを作った。


 そんな可愛らしい姿を見せられたので不覚にも微笑ましくなってしまった。


 「私がなかなかタイムが縮まらなくなって落ち込んでいたとき、先輩が励ましてくれたんですよ。私、その時本当に救われたんです」


 「詳しい状況とか、言ったことの詳細は覚えてねぇけど、多分・・・俺とお前、そこそこ仲、良かったんだな。昔から」


 俺がそう言うと紅島はおどけながら「はい、そうなんです!」と言った。


 「・・・そうかよ」


 と俺は薄く笑いながら言った。


 「よし!大分休憩したから、もうちょっとだけやろうぜ」


 「はい!」


 日が暮れるまで走り続けたのだった。


 ****


 翌日の昼休み。


 最近はいろいろと考えることも多かったために気づかなかったが、そういえばここ最近は俊のやつが教室に来ることがほぼなくなっていた。


 まぁ、あいつには俺と違って友達も多くいるからある程度は仕方ない話だとは思う。けど、ここ最近昼には一度も会っていない。


 「あいつ、何してやがる・・・?」


 仕方ないので重い腰を上げて俊の教室に向かい、廊下側の窓から探してみるも見当たらなかった。


 俺が誰かを探していることに気づいた教室内の生徒一人が俺に声をかけてきた。


 「・・・神ノ島?あんた、誰か探してるの?」


 気づいて声の方を向くと眼鏡をかけた黒髪ショートヘアーの女子生徒がいた。


 ああ、確か去年、委員長やってたやつか。


 「あ、ああ。俊・・・真水はどこ行ったか知ってるか?」


 「ああ、真水か。一年生に気になるやつでもいるんじゃない?よく一年の教室に行ってるみたいだよ」


 ・・・あいつ。


 まぁ、でもそれなら。


 「そうか。分かった。さんきゅ」


 俺はその場を去ろうとしたのだが、後ろから彼女に声をかけられたので立ち止まった。


 「神ノ島。・・・ごめんね、去年は」


 ちっ、と心の中でも舌打ちをした。


 俺は振り返らずに言った。


 「何の話をしてんだよ」


 それだけを言って、さっさと自分の教室に戻った。


 ****


 数日間粘り強くトレーニングに励んでいたら、少しずつまたタイムが縮み始めた。もしかしたら、なんてことも思うほどに。


 そして今は決戦を間近に控えた水曜日の放課後。


 俺と紅島は競技場を訪れていた。


 「なぁ、今日ここ使えるのか?」


 「はい、私の力ですよ!」


 「嘘つけ」


 どう考えてもこいつ一人が頼み込んで理由できるようにしたとは思えない。


 「あはは!バレちゃいましたか」


 「どうせ、上崎先生に頼み込んだんだろ。あんま、あの人に迷惑かけんじゃねぇぞ」


 「まぁ、その通りなんですけど、先生は喜んでオッケーしてくれましたよ?」


 「あのオヤジ・・・ったく」


 いるよな。女子に弱い体育教師って。


 今日は紅島からスパイクを持ってくるように言われていたので久しぶりに持ってきた。少し埃を被っていたので軽く拭いて綺麗にした。


 「競技場で走る感覚を思い出して欲しいので。あと、本番に向けての本格的なトレーニングもしといたほうがいいですよね?」


 「なるほどな、まぁその通りだ」


 競技場は学校のグラウンドのように砂ではなく、トラック全体が特殊素材でできている。それゆえに走るときの感覚も違う。


 ただ。

 

 「ちょっと、緊張・・・するな」


 ここのトラックに足を踏み入れたときから鼓動が高鳴っていた。


 緊張というのは少し違うかもしれない。それとは別の理由もあって、こんなにも高鳴っているのだろう。


 そう。


 「うっ!」


 突然、頭の中に様々なことが流れてきた衝撃で、思わず膝をついてしまった。


 異変に気づいた紅島が「大丈夫ですか、先輩!」と声をかけてくれた。俺はへら、と笑って何とか「大丈夫だ」と声を絞り出した。


 「ああ、突然いろんなことが頭の中に流れてきてビビっただけだ。そのうち落ち着く」


 「・・・そうですか。でも、無理だけはしないでくださいね」


 紅島はまだ、心配そうな顔をしていた。


 だから俺はこいつを安心させるために半ば無理矢理に不適な笑みを浮かべて言った。


 「すべてが終わるまでは、倒れる気はねぇよ」


 すると紅島は


 「終わった後も倒れちゃダメですってば」


 と笑って言うのだった。


 それからしばらく競技場でのトレーニングを行い、日がくれる頃に帰路についたのだった。


 ****


 一昨日、昨日と練習し、競技場で走る感覚は大分思い出せてきた。あと、昔にどんなことがあったのかも。


 今日は決戦を明日に迎えた金曜日。外は雨が降っていた。まぁ、天気予報によれば明日は晴れると聞いたので大丈夫だと思う。


 昼休み。今日は久しぶりに俊のやつが教室に来て一緒に昼を食べていた。


 「明日だな。この俺が付き合ってやったんだ、負けんじゃねぇぞ?」


 「ま、途中から相手にならなくなったけどな」


 直近の日曜日にこいつと競争したときは俺が圧勝した。ははは、どうだ。すごいだろ。


 俊は「はは」と笑った。


 それにしても。こいつに関してちょっとだけ、気になることがあるんだった。


 「お前、ここ最近ずっと一年の教室に行ってたらしいな」


 あの元委員長から聞いた話だ。


 「ああ、まぁな。可愛い子いねぇかなーって」


 俊はふざけたようにそう言ったが、理由はそれではないだろう。


 まぁ、だがお前がそんな調子なら俺も同じように。


 「お前、年下好きなんだっけ?」


 とからかうように俺は言ってやった。


 すると俊は


 「そうそう!そうなんだよ。って、そんなこと言った覚えねぇよ!」


 と、ノリツッコミをしてくれたのだった。こいつに友達が多いのはこういうところもあるだろう。


 お互いに笑いあった。


 結局、確信に触れるのはやめたのだった。


 


 

 

 





 


 




 

 


 


 


 


 


 

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