第5話 グッドコミュニケーション

 私――イザベル・アイアネッタに、前世である無敗の女王の記憶が蘇ってから一ヵ月がった。……というのが正しいらしんだけれど、私の感覚的には銃で撃ち殺されてイザベルとかいうお嬢ちゃんに転生してから一ヵ月が経った。


 の午後には、アイアネッタ公爵家御用達の高級服飾職人が屋敷にやってきた。


 お父様お母様曰く、運動するのは大変よろしい。健康を考えても大歓迎。でも公爵家に相応しい服装で、ということだそうだ。


 そして数日のうちに、私の要望をふんだんに取り入れたオーダーメイドの高級トレーニングウェアが何着も届けられた。公爵家ってすごい。お金持ちってすごい。


「いやしかし、これって高級すぎるんじゃ……」


 クローゼットの中に大量にしまわれた、再現ジャージを前に一人つぶやく。この上着一着だけで、この世界の庶民一家族が数か月十分に暮らしていけるくらいのお値段だ。この環境で育つと、元イザベルがワガママ放題に育ったのもわかる気がする。


 前世での私も裏格闘技のファイトマネーでたんまり稼がせてもらったけれど、ほとんどは孤児院への仕送りに、そして残りもトレーニング機材なんかに費やしていた。だから生活自体は質素なものだったので、あまりお金持ちの感覚はわからない。気をつけよう。


「お嬢様、セシリーです。入ってもよろしいでしょうか?」


 時刻は早朝。勤勉なメイドのセシリーは、私のトレーニングの時間に合わせて出仕するようになった。私はいいと言ったのだけれど、早朝トレーニングに付き合うのは彼女のメイドとしての矜持らしい。立派なものだ。


「おはよう、セシリー」

「おはようございますお嬢さマ゛ッ!?」


 セシリーが爽やかな朝に似つかわしくない野太い声に変顔で固まる。可愛らしいお顔が台無しだよ?


「どうしたのセシリー?」

「お……お嬢様……、その御髪は一体……!?」

「ああこれ? 髪切ったのよ。邪魔だったから」


 今までロングの髪の毛を運動の時だけ一つ縛りにしていたけれど、冷静に考えると運動には邪魔なだけだ。


 なので鏡を見ながら、自分でバッサリとプラチナブロンドの髪の毛を切り落とした。やっぱりショートくらいがちょうどいい。


「奥様もお褒めになる、ご自慢の御髪だったじゃないですか!?」

「え、ああ、そうだったわね。でも自分の髪型くらい自分で決めるわ。もう子供じゃないんだから」


 そういえばお母様は、イザベルの美しいロングヘアを大層お気に入りだった。でもまあ私は着せ替え人形じゃないし。必要だから髪を切ったのだ。


「きっと奥様は卒倒されますよ。この前みたいに上手く頭をキャッチしてくださいね……」

「まさかあ。いくらお母様でもそんなにポンポン倒れないでしょ」


 結果としてセシリーの不安は的中した。朝食の時に顔を合わせたお母様は見事に卒倒し、スープの皿に頭を突っ込んだのだった。



 ☆☆☆☆☆



 なにはともあれ、トレーニング自体は認められ継続している。朝晩のランニングやストレッチ、筋トレなんかを少しずつ運動強度をあげている。


 このゆるみきったイザベルの身体を鍛え上げ、この世界でも最強の女――もとい、立派な公爵令嬢を目指すのだ。


 結果、成人病一直線の肥満気味体系だった身体も引き締まりつつある。順調順調。目指せ腹筋シックスパック!


「ぜえ、はあ、お、お嬢様~、おまちくださ~い!」


 今日も元気にランニングをしていると、後ろからお付きのメイドさんのセシリーが、ぜえはあ息をしながらついてくる。


 始めてしばらくの頃は周回遅れして当然、悪ければ道中で力尽きるのが彼女の当たり前だった。なので、息を切らしながらもなんとかついて来れるようになったところに彼女の大いなる進歩を感じる。


「だから無理しなくていいのに。私が走っている間待っていればいいじゃん」

「そ、側付きとして……ぜえぜえ、そういうわけにも……はあはあ、まいりませんので」


 やっぱり彼女なりのプライドなのだろう。仕事熱心なのはいいことだ。

 こんなに良い子をむげに扱っていたイザベルは馬鹿だな。まあ前世の記憶が戻る前の私なんだけれど。


「あれ? 外を通っている荷馬車、やけに積荷が大きくない?」


 立ち止まったのはちょうど門の前。目の前の道を通る荷馬車の積荷は、みたことないほど巨大な物だ。


「あわあわあわ……、あれは小麦! そう収穫された小麦ですよお嬢様!」

「小麦? 馬鹿言わないでちょうだい。小麦の収穫時季くらい私も知っているわよ?」


 このセシリーの反応、何かを隠そうとしている?

 純朴なメイドだと思ったが腹に一物あるのか? まさか。


「あの、よろしいか」


 話をしていた私たちに、一人の男が声をかけた。

 パリッとした上等な服に身を包んだ、隙の無い雰囲気の男だ。


 接近には気がついていたけれど、屋敷の使用人と思っていてスルーしていた。でも急にかしこまったセシリーの反応を見る限り、違うのか?


「まずは名を名乗るのが礼儀じゃないかしら?」


 相手がわからない以上、脳内イザベル知識をもってお嬢様言葉で誰何すいかしてみる。男は恭しく片足を引いて一礼した。


「これは失礼を。私の名はトリスタン。第三王子スチュアート殿下にお仕えするものです」


 第三王子スチュアート……。私が殴り飛ばしたあいつか。


「で、その王子様の使いが何用かしら?」

「はい。以前殿下が申し上げた通り、スチュアート殿下はイザベル様との婚約の破棄を希望しておられます。イザベル様の性格にはほとほと呆れ果てたと。今日はそれを改めてお伝えしたく参上しました」


 婚約破棄――。

 つまりイザベルはスチュアートと婚約していたということ。


 私は心の中のイザベルの記憶をたどる。イザベルの中でスチュアートは輝いていた。それも一番中心のところで。


 あの女神は「何かを受けて前世の記憶が蘇った」と言っていた。つまりそれは――。


「御当主には日を改めて正式な書類を――ッ何を!?」


 ――そこまで考えた時、私の拳は前に突きだされていた。トリスタンは中々の使い手なのか、半歩下がって私の拳を腕で受ける。


「婚約を破棄したいのはわかったわ。もっともな理由よ」


 イザベルの性格の悪さは折り紙付きだ。それは私自身の事だから確信をもって言える。


「けれどやり口は気に食わないね。人前で欠点をあげつらう? おまけに自分はビビッて子分に別れを言いに行かせる? 最低の男じゃないの!」


 いくらイザベルに非があるからと言って、あれだけ心の多くを占めていた男にそんな仕打ちをされるのは納得がいかない。


 私はガードされた状態からもうひと捻り身体に回転を加え、今度は左の拳をトリスタンに叩き込む。


「――ゴベッ!?」

「あんたの主人に伝えなさい。イザベルの痛みはこんなものじゃないって」


 私の拳を受けたトリスタンは吹き飛ぶけれど、上手く受け身をとって立ち上がる。


「それともう一つ。大事なことはちゃんと自分で伝えさせなさい。こんな使いっパシリをさせられて、あんたの拳が泣いているわ」


 告白するにしても振るにしても直接言え。それが最低限の礼儀であり、戦いに臨む者の心構えだ。


 トリスタンは何も答えなかった。

 最初と同じように綺麗に礼をすると、ただ「失礼いたします」と言って立ち去った。


「お、おおおおおおお嬢様!」

「何よセシリー、文句あるの?」

「文句というより大事ですよ、前代未聞ですよ。王家との婚約破棄なんて!」


 まあそうなんだろうな。有力者との血縁構築に失敗した不味まずさは、さすがに私でもわかる。


「それになんで殴っちゃうんですか!?」

「拳を突き合わせてわかることもあるのよ」

「……そうなんですか?」


 拳を突き合わせて、あのトリスタンという男の考えはわかった。グッドコミュニケーションよ。


「私の考えっていけないことかしら?」

「アイアネッタ家の使用人としては全力でお止めしたいです。けれど女としては拍手を送りたいです」

「そう? ありがとう」


 やっぱり世の中目先の利益より大切なことはいっぱいあるのだ。プライドとか。


 セシリーの言葉に気をよくした私は、夕食の際この出来事を家族に自慢げに報告した。結果、お父様とお母様の顔はスープに沈み、さすがのお兄様も硬直した顔のまま手に持ったフォークを床に落とした。

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