2022

Star and bloom



 二月七日、午前十時。

 それは、通常業務をしている最中のことだった。


「えっ、なに!?」

 謠子が突然大きな声を上げたので、その隣で船をぎながら雑務をしていた秀平が、びくりとして手にしていた書類とクリップを取り落とす。

「寝てないですやってます」

「これ……何……?」

 メインの大きなディスプレイを一緒に覗き込むと、画面のど真ん中に、両手でピースサインをして笑っている黒髪の女性が描かれたドット絵のウィンドウが開いており、チカチカ光っている。いつも音量は必要なときにしか上げないというのが幸いしてか、何か派手な音がしているとわかる程度ではあるが、スピーカーから流れる古いゲームのような電子音調の音楽は本来なら騒がしく鳴り響いていたに違いない。

「まさか、ウイルス……違う、そんなはずない、だって先週セキュリティ新しいの組んだばっかりっ……」

「……あっ」

「何!? 心当たりあるの!?」

「落ち着いて下さい謠子さん、多分そういうんじゃないです」

 秀平には覚えがあった。この女性の容姿、そしてこんなことをするのは――


「喜久子さん……じゃないですか、これ……」


 その名を聞いた謠子は、驚愕と困惑と、更に作業の邪魔をされたほんの少しの怒りの入り混じった感情を、歪めた顔いっぱいに表した。


「はあぁ!?」



 秀平が呼んできた平田と、それについてきた鈴音が、画面を見ながら同時に「あー」と声を漏らした。

「こっ、れは……間違いなく喜久ちゃんだァ……どこにこんなの仕込んでたんだ顧客データか?」

「そういえばこういう人でしたよね、あの人……」

 謠子がキーボードをばん、と叩く。

「何のんきなこと言ってるのさ! 困るんだよこのウィンドウ消しても消しても出てくるんだよ!? 意味わかんない!」

「落ち着けお嬢様、出所わかればちゃんと消せる。……な~んせ喜久ちゃんだからなァ、ただの悪戯いたずらってわけじゃなさそうだし……こう、かな?」

 横から手を伸ばし、数字をいくつか打ち込んでエンターキーを押す。と、ピースサインが引っ込み画像の点滅が消えて、新たにその下部に小さなウィンドウが開いた。


 〔それを うちこむとは さては おにいさま だな〕

 〔さすが この キクコ の おにいさま だ〕


 平田は苦笑する。

「相変わらず買い被るなァ、この妹さんは」


 〔こっち が ひらかれた ということは〕

 〔ウタコ は まだ おにいさま の たすけ が ひつよう なのか〕

 〔けっこう せいちょう してるだろうに まだまだ だね〕


「うるさいな!」

 ただでさえ苛立っていて声を荒らげる謠子を秀平が宥める。

「謠子さん。落ち着いて下さい」

「何なの!? お母様ってこんなっ……こんな人だったの!?」


 写真で見る限り、謠子の母――シーゲンターラー喜久子という女性は、真っ直ぐな黒髪の似合うたおやかな佳人であった。彼女を知る人は「ちょっと変わってた」と口々に評していたが、まさか方面だったとは。


 こんなひと、と小さく繰り返した秀平はというと、数秒、考えて、少し困ったような表情になった。

「まぁ、おおむねは」

「きみ憧れてたって言ってたよね? 好きだったの? こんなのを?」

「優しい人でしたよ、こんなだけど」

「優しい人は実の娘をあおらないと思うけどな!」


 そう言っている間にも、文字は次々に出てくる。

 

 〔それは ともかくとして〕

 〔なにを かくそう〕

 〔これが ひらいた ということは〕

 〔つまり〕

 〔そう!〕

 〔そのとき が きた!〕

 〔ということだよ!〕


「『そのとき』って何、伯父様……」

 不愉快そうな顔のまま、今度は平田の方を見るが、こんなことを仕掛けた本人の実兄はというと、

「やー? さっぱり、わからんわ」

 首を横に振る。

「さっきパス当ててたじゃないか」

「喜久ちゃんは異次元に生きる子だからわかるときとわからんときの差がな……つーか明日お前の誕生日じゃん、今開いたってことは、それに間に合うようにプログラムしてあったんだろ」

「何で今年? キリのいい年でもないのに」

「『成人する前に』ってことじゃねえの? 喜久ちゃん生きてた頃まだ法改正するなんて決まってなかったしな。ほら」


 〔ウタコ もうすぐ せいじん だね〕

 〔ああ なんて めでたい!〕

 〔この わたし と ウィリー の むすめだ〕

 〔きっと おおきく おおきく そだったんだろうな〕

 〔そう!〕

 〔とても おおきく!〕


 現状を知ることのない母の期待たっぷりの言葉に、

「うるさいな!」

 背があまり伸びなかったどちらかというと小柄な方の娘は憤慨ふんがいし、

「ぶふ」

「ンっく」

 母の兄と娘の友は吹き出した。睨み付けてくる謠子の頭を平田は雑に撫でる。

「お前が成長期にちゃんと睡眠とらなかったのが悪い。ずーっと机とパソコンに齧り付いてて運動もロクにしなかったしな? 自業自得だぞー」

「いいじゃねーですか、ちっちゃめの方が抱き締めやすいし」

「トダてめェふざけたこと抜かすんじゃねえぶっ殺すぞ」


 〔そういう わけだから〕

 〔この はは から いわいのしな を おくろうと おもう〕

 〔なに えんりょ は しなくていいさ〕

 〔この はは からの いわいのしな だからね!〕

 〔いって おくけど かなりの とっておき だぞ!〕


「喜久子さんのとっておき……何だか、とんでもなさそうですね……?」

 興味深そうに、それでいて僅かに臆するように鈴音が言うが、こんなことを仕掛けた本人の実兄はというと、

「やー? 喜久ちゃんの遺産は全部ちゃんと謠子の財産として管理してる……はず……そんなたいしたもんなかったと思うどな……」

 顔いっぱいに疑問を呈しながら首を傾げる。謠子も頷いた。

「お母様の遺産、保険金と駅前の小さいビル一つぐらいだったよね」

 鈴音は乾いた笑いを漏らす。

「充分すぎると思うけどな……」


 恐らく喜久子がのこしたものだろう言葉は更に続いた。


 〔まずは ぶつま に いってくれたまえ〕

 〔そこからは ノーヒントだ〕

 〔ウタコ〕

 〔あの ウィリアム シーゲンターラー と〕

 〔この ジョウエンジ キクコ の むすめよ〕

 〔きみなら きっと いや ぜったいに ときあかせるだろう〕

 〔ま おにいさま も いるしね だいじょうぶ だいじょうぶ〕

 〔さあ〕

 〔たからさがしの はじまりだ!〕


 言い放たれた(?)瞬間、また喜久子だろうドット絵が背景をビカビカと光らせながら楽しそうに笑い、


 〔がんばれ ウタコ〕


 ぶつん、と消えた。



 こんなことをされては仕事も手につかない。幸い浄円寺データバンク側は急ぐような依頼もなく、また、キャプターの仕事も精々秀平が昨年の定例会議の配布物をクリップで留めてクリアファイルにまとめていた程度だったので、四人全員が浄円寺家の仏間に集まった。ちゃんと定期的にぜんまいが巻かれて時間合わせもされている古い掛け時計は、今日も元気に振り子を揺らしながら時を刻んでいる。

「お母様が隠した、ってことは、それより後に亡くなったお爺様とお婆様の遺影と位牌は関係ないよね」

 謠子は経机きょうづくえの前の座布団に座り、仏壇に向かい手を合わせると、派手ではないが見事な彫刻の施された格狭間こうざまの引出しを開けた。線香の箱と蝋燭ろうそくの箱しか入っていない。

「流石にこんなわかりやすいところにはないよなぁ」

「どいてみ」

 平田が座布団の端を持って後ろに引っ張り謠子を移動させた。開いたままの経机の引出しを引き抜いて裏側を確認し、今度は引出しを下に置いてから、経机の天板の裏を手で探る。が、

「……ウィリーのようにはいかんか」

 何も出ない。座布団に乗ったままの謠子が問うた。

「お母様はそういう感じのところに隠す人なの?」

「少なくとも畳をひっくり返すようなお嬢様じゃアなかったな。あとはー……」

 何故か全員で、揃って同じところを目で追っていく。何かを隠すのに適していそうなのは、片隅にある桐箪笥きりだんすと壁掛け時計、そして――

「はい! 罰当ばちあたりだと思います!」

 ばっ、と秀平が挙手した。姪と伯父が気付いたような顔を見合わせ、同時に腕組みをした。

「成程」

「それだわ」

 平田が経机を横にずらし、立ち上がった謠子が仏壇内部に手を突っ込み位牌や花立はなたてなどを無遠慮に掴んでは畳の上に置いていく。鈴音は戸惑った。

「え、そんな、そういう感じでいいんですか?」

 少し呆れたように目を細めながら秀平は返す。

「ここの家の人たち、昔からあるからって形式上こういうの置いてますけど、神様も仏様も全く信じてねーですからね。戸谷家うちでこんなことしたら絶対誠に叱られる……」

「師範代も誠さんも意外とお師匠の教育行き届いてますよね」

「おかしいですよね、うちの爺ちゃんはともかくこの人たちあのめっちゃ厳しい叶恵かなえさんの息子と孫のはずなんですけど」

「そういえば親戚でしたっけ、お師匠と叶恵小母おば様」

「いとこ、じゃなくてはとこだったっけかな……叶恵さんちが本家筋で」

 流石に他所よそのお宅の仏壇を探るわけにはいかないので、秀平と鈴音の二人は少し距離をとったところで見守ることにした。興味はあるから手伝いたい気は山々であったのだが。

 しばらく仏壇をくまなく見ていた謠子と平田だったが、欄間らんまの裏側を指先でなぞっていた謠子が、


「あ」


 何かを見つけた。ペリペリとフィルムを剥がすような軽く乾いた音に、平田が慌てて覗き込む。

「おい大丈夫か、塗装剥げねえかこれ百年ぐらい前の年代物だぞ」

「裏側だしどうせ見えないからちょっとぐらい大丈夫でしょ、それにそれだけ古ければ何でも多少は劣化するものさ。……あったよ、ほら」


 少し重みのある、小さめサイズのポチ袋。欄間の裏側に貼り付けていた透明なテープには、経年劣化による変色と硬化がみられる。


「何か入ってる」

 封をしていたシールを剥がして袋をかたむけると、一つの鍵が出てきた。他に何か入っていないか袋の口を広げる。小さな紙片が見えたので、それも取り出す。銀行の名前と支店が明記されていた。

「鍵、と、銀行……貸金庫かな」

 背後から謠子をハグしながら覗き込む秀平が、顔をしかめながら小さく声を漏らした。

「今ゆーまがいる支店だ……」

「ふぅん? じゃあ連絡して」

「絶対嫌です先輩お願いします」

「全く、毎度のことながらめんどくせえ兄弟だなお前ら」

 秀平が兄・優真との仲が険悪であることは平田も重々承知している。仕方がなさそうにしながらも、電話を掛けに仏間を出て行く。謠子にまとわりついたまま、秀平は謠子の掌の上の鍵を指でつついた。

「ゆーまなら、何か知ってるかもしれませんね。喜久子さんと仲よかったし」

「優真くんが? あの……何か、変な人と?」

 典型的な生真面目きまじめ優等生な優真が、こんなことを企てる悪ガキのような彼女と友人であったという事実――にわかには信じがたいのだが、鈴音が笑って頷いた。

「そうそう。結構一緒にいたっけ。付き合ってるのかと思っちゃった」

「それゆーまに言ったら絶対パクチーとミントとシソとパセリとバジルいっぺんに口に入れたような顔するな……」

「ですね」

 秀平と揃って笑いをこらえる姿に、謠子は、はぁ、と息をついた。

「それ、ほんとに仲よかったの?」

「勿論」

「よかったんですよ」



     ☆     ☆     ☆



 平田から連絡を受けていた戸谷優真は四人を応接室に通し、ドアを閉めるなり深々と溜め息をついた。

「何で戻った途端に浄円寺絡みの仕事が……」

 聞けば一年半ほど海外に単身赴任していてつい先日帰ってきたばかりらしい。謠子は苦笑した。

「ごめんね優真くん、うちのおかしな母親が」

「いいよ、きくちゃんはいつもこんな感じだったし謠子ちゃんは全然悪くない。……貸金庫ね。代理人は謠子ちゃんになってるから、先輩たちはここで待ってて下さい。さて行こうか、お姫様」


 貸金庫に向かう途中、謠子はそっと、優真に問うた。


「優真くん。お母様と、仲、よかったんだって?」


 ゆっくり先を行く優真は振り返らずに返した。


「先輩と一緒、振り回されてただけ」


 背中しか見えない、が、きっと顔は笑っている。声が明らかにそうだ。


「実の娘に言う言葉じゃないかもしれないけど。きくちゃんは、ものすごく変な子だった。高校生にもなって授業中に机の上にザリガニ乗せて自由にさせてたりつまらなそうな顔して箱買いした消しゴム三種類崩れないように積み上げてたり」

「小学生?」

 とうとう優真は笑い出した。

「きくちゃんの頭の中には、そこらの人とは違う空間が広がってたんだろうなって思うよ。……散々振り回された、けど、一緒にいて楽しかったのは確かだな」


 普段どこか刺々とげとげしい優真の声色こわいろが、心なしかやわらかく感じられた。

 彼は本当に、母のいい友人であったのだ。



 貸金庫に入っていたのは、一封の白い封筒だった。厚さが全くといっていい程ない。

「……何が入ってると思う?」

 応接室に戻り椅子に座った謠子が摘まんだ封筒をぺらぺらしなうと、

「全く、見当付かないな」

 立ったままの優真は難しそうな顔で首を振った。

「普通なら何かの権利書とか遺言書とか、そういうのなんだろうけど……浄円寺喜久子が遺した、って考えると……」

「優真くんでもわからないか」

 ちらり、平田に目を向けるが、平田もまた困惑する。

「きょうだいだからって何でも知ってると思ったら大間違いだからな」

「何か覚えてないの?」

「そもそもあんな隠しファイル作ってたこと自体わかんなかったんだぞ? 十五年以上も! はーっ、よりによってこの俺が! あんなのずっと見落としてたなんて!」

 座ったまま悔しそうに地団駄を踏む。隣に座る鈴音が、まぁまぁ、と宥めた。

「相手は喜久子さんだったわけですから、ね?」

「確かに喜久ちゃんのが腕は上だったけど! 俺だって二十年前より超進化してるもん! 悔しい! めっちゃ悔しい! もー!!」

 何だか喜久子が遺したものどころではなくなってしまっているようだ。気持ちはわからなくもないけど、と謠子は言おうとしたがやめて、封筒の端をちぎっていった。秀平がこそっと謠子に声を掛ける。

「さっきからずっと何かブツブツ言ってたんですけど、大丈夫ですかね先輩」

「妹にしてやられたのが今になってじわじわきてるようだね。まぁそのうち落ち着くさ。……ん?」


 封筒に入っていたのは、これまた一枚の紙片。たった一枚、である。

 そこに書かれているのは、一軒分の住所のみ。


 紙を持つ指に、力が入った。

「何なのふざけてるの!? これだけのために貸金庫!? 年間何万も払って!? バカじゃないの!?」

 謠子の怒声に我に返った平田が、手を伸ばして紙を取り上げる。

「……こっからそんな遠くねえな。鈴音ちゃん」

「はい」

 鈴音がスマートフォンを取り出した。素早くタップして検索する。

「……よし野屋……呉服屋さん、ですね」

 あ、と秀平が声を上げる。


「そっか。十九歳。来年成人式だ」



     ☆     ☆     ☆



「『絶対に受け取りに来るからそれまで預かっていてほしい』とおっしゃられましてねぇ」

 年配の呉服屋の主人が奥から持ってきた振袖を広げ、丁寧に衣桁いこうに掛ける。


 ぽつぽつと散らされた金彩が星のように光る、ほのかにあたたかみのある白地。吉祥紋様である花入りの亀甲柄も同じ金彩でところどころに入っている。

 裾と袖を彩るのは真紅と薄桃色、そして白の大輪の芍薬しゃくやく


 シンプルだが華やかだ。


 謠子と鈴音は揃って感激の溜め息をついた。

「きれい」

「すごい、こんなシンプルなのに大胆なデザイン、二十年近く前に……当時って、もっとごちゃっとしてる柄多かったですよね?」

 近年は振袖に限らずさまざまな色柄の着物が出回り、個々が好みのものを着るのが主流でそれぞれの個性が色濃く出るが、喜久子が生きていた頃は振袖にも“流行りの柄”というものがあったはずだ。そんな中、デザインからオーダーして作ったのだという。

 主人は笑った。

「そうそう、小さめの花を沢山使った柄が流行ってましたわ。私も地味すぎる、もっと柄や花を散らした方がいいんじゃないかって申し上げたんですけどねぇ。喜久子さんのお嬢さんは華があるからこのくらいで丁度いいって」

 眩しそうに謠子を見る。

「確かに、きらきら輝くお星様のようなお嬢さんですなぁ。きっとよくお似合いでしょう」

 言われた本人ではない平田が満更でもない顔をする。

「そうでしょうそうでしょう!」

「平田くんうるさい黙って」

「へい」

 主人はたとう紙を広げて帯も出し、かたわらの箱も開けていく。

「帯とバッグと草履、あとその他の小物類はこちらですな。全部、ご用意されてます」

「長い間こんなに預からせてしまってごめんなさい」

 着物や帯、和装小物は、湿度に注意しちゃんと管理しなければダメになってしまう。謠子は今は亡き祖父母にそれを教えられたし、自身も色留袖いろとめそでや訪問着等を持っているからそれはよく知っている。母のこの店に対する無茶振りに申し訳なく思い口にすると、

「なぁに、その分もちゃんと、いただいてましたからねぇ」

 主人は冗談めかしながら手で金銭を表すジェスチャーをした。思わず笑ってしまう。

「そっか。ありがとう。……じゃあ、これ、今日全部受け取らせていただくね」

「はい、こちらこそ、ありがとうございました。またのご贔屓ひいきを」




「あーあ、今日できたはずのことが全くできなかったなぁ」

 仕事も急ぎではないとはいえ中断してしまったし、毎日自分に課している勉強にも手がつけられなかった。日が落ちるのはまだまだ先だが、あっという間に夕食の時間になってしまうだろう。後部座席で謠子が愚痴を零すと、

「明日は仕事しちゃダメだぞ、休み取ったんだからな!」

 運転席の平田に強く言われる。はぁい、と仕方なさそうに返事をすると、秀平が後ろから平田の肩を叩く。

「先輩、先輩、明日の飯の予約夜でしょ。昼間出掛けませんか。パンダ見に行きましょパンダ」

「お前な、うちのお嬢様もう成人するのにそんな」

 謠子も身を乗り出す。

「動物園? 行きたい」

「よっしゃ行くか」

「鈴音さんも来るでしょ?」

「行く!」

 助手席の鈴音は元気に返事をすると、振り返って笑った。

「そういえば、喜久子さんの言ってた通りとっておきのお宝だったね」

「やり方が回りくどいんだよ」

 呆れたような溜め息はつくが、顔は顰められていない。結局悪い気はしていないのだ。

「でもあれ、すごく喜久子さんらしいお着物だったと思うけどな」

「そう?」

「芍薬って、二月八日の誕生花のひとつだったはずだよ。喜久子さん、花が好きだったから」

 そういえば、屋敷の庭には彩りで季節を告げる花が常にある。喜久子にそうしてほしいと頼まれたのだと、馴染みの庭師がいつだったか話していた。彼女が気に入っていたという牡丹の鉢植えも、平均寿命はとっくに迎えているのに今年も花をつけそうなくらいに元気だ。

「あの金の柄も、星……だったんだろうな」

 平田の言葉に、はっとする。ステラ――謠子が生まれたときに候補に上がっていた名前だと聞いている。


 「かなりのとっておき」。

 間もなく成人を迎える愛娘への、精一杯の贈り物。



 『頑張れ 謠子』



 彼女は笑ってそう遺していた。



「……見せてあげたかったな。着てるとこ」

 思わず漏れ出た本音に、伯父が静かに笑った。

「写真いっぱい撮るからだいじょーぶだよ。俺が死んだら副葬品に一枚入れてくれ、喜久ちゃんに見せてやる」

 秀平が呆れ返った。

「生きてる人の写真入れたらダメって知らねーんですか」

「俺が謠ちゃん道連れにするわけねえじゃん。可愛い子には天寿を全うさせよってことわざ辞典に載ってんぞ、覚えとけ」

「そう……ですかぁ?」

 納得しかけているが、謠子と鈴音は間違いを指摘することなく込み上がる笑いをぐっと堪えた。




       了




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