第4話 Sour(後)

「もったいつけて売らないってつもりはないんだけどさ」


 今日も今日とて部活帰りのパン屋さん。典子ちゃんはちょいとばかり鼻高々だ。

 なんてったって二日前、満を持して参戦した合コン第三戦で初のお持ち帰りを勝ち取ったのだから。

 念願の一勝、しかも完勝――典子ちゃん曰く。


 終始楽しいトークで笑わせてくれた大学生の男の子は合コン終盤に彼女を外に連れ出し、慣れたしぐさでホテル街までエスコートし、ホテルの入口まで来たところで典子ちゃんに逃げられた。

 この、土壇場で振ってやったところが、「完勝」のポイントなのだそうだ。



 で、売る売らないってのは、彼女の処女のことなのである。


「あんな安く買い叩いてやれって本音が見えたら、売ってやるもんかって思うわけ」


 直前まで今日は決めてやる(何を?)と鼻息荒くしていた典子ちゃんは、ホテルの前の「御休憩――三千九百八十円(税別)」の看板を見て、一気に萎えたのだそうだ(何が?)。


「サンキュッパだとぉ? わたしの処女はサンキュッパの安ホテルで散らされる軽いもんだってのかよ? そんな処分セールはしてねぇわ」


 処女を売り買いするもののような言い草で表現する典子ちゃんの考え方には半分共感、半分なんだそりゃと思うけど、なにより面白い。彼女の無邪気な直観はいつも私の蒙をひらいてくれる。


「当分合コンはいいや」

 すっかり落ち着いた声で。そんなときの彼女の声は、女子高生であることを忘れてずいぶんお姉さんになる。それは私のお姉ちゃんよりよほど頼りになる声だ。


「だってもう一勝したからね」


 声をかけられた時点で勝ちらしい。

 一勝したことで満足する典子ちゃん。最後までは行かなかったし、お付き合いに至ることもなかったけれど。それでいいのか、典子ちゃん。

 高二の十月、高校生活後半戦は始まったばかり。かくして、私たちふたりは揃って処女だ。まあいいさ、人は恋のみにて生きるにあらずだ。




 かく言う私にも、恋心はある。駅のホームで見かける他校の男の子。たぶん三年生なのだと思う。今年になって参考書や英単語帳を睨むことが多くなったから。


 名づけて、英単語帳の君。

「ネーミングセンス!」

 典子ちゃんは笑うが、ほかに何があるって言うんだ。三番線の王子。細身メガネ。頑張れ受験生。どうせ、私のセンスは救いようなく酷いさ。


 毎朝同じ電車に乗るのだけど、車両はいつも別。なぜなら私が女性専用車両に乗り込むから。一年の夏服になってすぐの頃に痴漢に遭って以来、男性と同じ車両に乗るのを私は避け続けている。それがなければ彼と同じ車両に乗れたのにな。



  ***



 この世には二種類の女がいる。勝ちいくさを知っている女と、知らない女だ。


「言っとくけど、花蓮かれんはまだ全敗だからね」

 うん。一戦しかしてないけどね。零勝一敗。

「早く次の試合組んで、勝ちを拾ってきなよ」

 勝ち戦を知っている典子ちゃんは、上から目線で言う。処女だし、年齢イコール彼氏いない歴なのに偉そうだ。でも、線を引くならたしかに私はこっち側で、典子ちゃんはあっち側なのだ。

「いいよ、私は勝ちを知らない女で」


 強がってはみたものの、実は内心穏やかでない。本音を言うと――誰か私に告って、私に勝ちを献上して。できればイケメンで、運動も勉強もできて、やさしくエスコートしてくれて、御休憩ホテル代をケチらない男。

 でも理想はやっぱり英単語帳の君かなあ。いっそ私から告ってみようか。

 そう云えば、私から告って、もし実ったら、それは勝ちなんだろうか。今度典子ちゃんの意見を聞いてみよう。


 よぉし。



 けれどもこんなときって、たいてい何かが起こって、それが障害になって、思う通りにことが進まなかったりするものなのだ。部活中誰かが怪我したり、大雨に降られて服がびしょ濡れになったり、電車が止まって学校に行けなくなったりね。


 障害物は突然に、今朝の三番線ホームに現れた。

 英単語帳の君の隣に女の子が立っていたのだ。談笑して、手をつないで一緒に一般車両に乗り込むのを、呆然と私は見送った。

 いつから付き合いだしたんだろうか。彼女から声をかけたのだろうか。私が先に声をかければ、どうにかなっていたのだろうか。夏服で痴漢に遭ったのがいけなかったのだろうか。今更言っても仕方ないことを考える。

 行動に移さないで、後から頭の中でぐるぐる考えるのが私の悪い癖だ。分かっているのだ。自分で分かっているから、どうか誰も私を責めないで。




 ところでこれって、けにかぞえられちゃうのかな。まさかの二敗目? 試合前に終わってしまったら勝ちも敗けも無いもんだと思うのだけど。

 だが、典子ちゃんならこれは不戦敗だと言うかもしれない。


「うん、敗けだね」

 あっさり言った典子ちゃんは、その日の帰り、パンをひとつ奢ってくれた。

 やさしいね、と言うと、たいして大きくもない胸をぽんと叩いて、

「泣くなら胸貸したげるよ」

 と笑った。

 私も笑った。涙なんか流すもんか。でも明日からは電車の時間は変えよう。彼がほかの子と手をつないでいる姿を平気で見られるほどには、私は強くはない。




(Sour:おわり)

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