第33話 三途の川。キレる船頭。
エマトールを探し、ハスミュラは泉を覗き込んだ。先ほど放たれた強い光は一瞬で消えたが、泉はまだ、月光に照らされたような銀色の光を湛えて揺れている。儀式に使った束ねた枝も消えていた。
どう考えても、エマトールは泉の中に落ちたのだ。でもこの泉は、普段なら水底まで見透せる………
「エマトール!! エマトール、返事をして!!」
泉に向かって叫んでも、返事は返ってこなかった。その代わり、別の声が答えた。
「……ハスミュラ?」
由良の声だ。姿は見えないが、由良の声が聞こえる。
「由良、エマトールが泉の中に消えたの。私の見ている前で、光に包まれて」
沈黙が降りる。姿が見えないので、短い沈黙でも怖い。
「徹は? そこにいる?」
返ってきたのは、震える声だった。
「……いないの。私、家へ帰ろうとして一人で洞穴を出た。山道を少し下ったところで莉子に会って」
「やっほー、莉子だよ。ハスミュラ、久しぶ」
突然カットインしてきた莉子の挨拶を遮り、由良の震えた声が続く。
「莉子と少し話して、すぐに引き返してきたの。だから徹は、山を降りてない。もし頂上へ向かっていたとしても、あの短時間だったら、山道を登っていく後ろ姿を莉子が見てる筈。だから徹はここにいる筈。いなきゃ、おかしいのに」
「鏡の周りに、水が飛び散ってるよ。あと、徹のメモ帳が転がってる。ページが切り取られてて、何も書かれてない。ねえ、これって」
冷静な莉子の声が、向こうの様子を実況してくれる。由良よりも莉子の方が肝が座っているみたいだ。
「二人とも、吸い込まれたんだわ」
「そうみたいだね。でも、どゆこと?」
ハスミュラが手短に説明する。時の扉を開ける鍵のこと、枝の束を泉に浸した時のこと。
「こっちの鏡の水も、なんか光ってるよ。真珠色みたいな光で、そっちが見えない」
黙ったままの由良と不思議なほど冷静な莉子に、ハスミュラは静かに告げた。
「私も、行く。エマトールの所に。そっちのことは頼むわ」
「待ってよ、あたしも行く。面白そうじゃん?」
呑気な莉子の声に、ハスミュラは苛立った。この子、冷静なんじゃなくて事態がわかってないだけなの?
「遊びじゃないのよ、莉子。どこへ行くかもわからない、どうなるかも」
「だから助けは多いほうがいいでしょ。よし、では早速……よ、っと」
「莉子!!」
泉の水が強い光を放つ。莉子が飛び込んだのだ。躊躇する暇はない。ハスミュラは固く目を閉じて泉に飛び込んだ。無意識に、エマトールの笛を掴んで。
▲▽▲▽▲▽▲▽
「なぁんだよ、またかよぉ………今日はいったい、何だってんだ」
情けない口調でぼやきながら、男が水音の方へヨロヨロと走りだす。その背中を少年たちの声が追いかけた。
「ハスミュラ!」
「由良! と、莉子?!」
さっきと同じ場所で、3人が盛大に水飛沫を立ててもつれ合いながら立ち上がった。肩で息をつき支え合っている。
「ちょっと由良、抱きつきすぎ。お腹が苦しいって」
「由良、向こうに二人がいるわよ。私たち、合流できたのよ」
「でも私、プールでしか泳いだことない!」
「大丈夫だって。ここ、立てるから。ほら、行くよ」
やはり年下の莉子の方が頼りになりそうだ。由良を真ん中に挟み、3人はざぶざぶと岸へ向かった。船頭を追い抜かしてたどり着いたエマトールと徹も、川へ入って行き3人に手を差し伸べる。
「なんで来たんだ!」
「なんで、って。心配だからに決まってるでしょう?!」
「だからって!」「帰れるかどうかもわかんないのに!」
「ってかここ、どこよー。やたら白いんですけどー」
「 う る さ ーーー い !!!」
男がキレて叫んだ。
「ここをどこだと思ってんだ。三途の川だぞ! さ・ん・ず・の・か・わ!! 死者を迎え入れるための、敬虔な場所なの! それをお前ら、ぎゃあぎゃあ騒ぎまくって、バシャバシャ暴れて……」
興奮と混乱で言葉につまり、男は柔らかなくせっ毛に両手を突っ込んで髪をかき乱したかと思うと両腕を大きく打ち振った。
「もおおお、なんなんだよぉ!!!」
「いやそこは『なんて日だ!!』でしょ」
「莉子、黙って」
徹が莉子を黙らせ、一同の前に進み出た。再び、ぺこりと頭を下げる。
「お騒がせしてしまって、すみません。僕ら、大事な用事があるんです。そのために、時の扉を開けたらここへ着いてしまって」
「泉が枯れるのを止めないと、時が止まっちゃうんです」
「……はぁ?」
エマトールが続きを話そうとするのを止め、徹がリュックのポケットからメモを取り出した。由良が鏡に飛び込む際、床に置きっぱなしだった徹のリュックをとっさに掴み持ってきてくれたのだ。メモを手渡すと男はそれを受け取り、無言で読み始めた。読み進むうち、眉根が寄って怪訝そうな表情になる。
「なんだこりゃ。暗号か?」
「暗号っていうより、昔に書かれた指示書だと思います。それ、僕が書き写したんですけど、もともとは布に刺繍されていて」
「刺繍……昔って、いつぐらい?」
「100年ちょっとです。多分」
エマトールの言葉に、男は目を瞠った。再びメモに目を落とし、「大正時代あたりか……」と小さく呟く。
「それで僕たち、オオサンショウウオを探してるんですけど、この辺で見かけませんでしたか?」
「……オオサンショウウオぉ?」男が素っ頓狂な声をあげた。
徹がメモを指差し、「このハナサキっていうのがオオサンショウウオのことらしくて」と言い添える。
男はメモを見つめながら考えていたが、首を振った。
「さっきも言ったけど、ここには死んだ人間しか来ない。魚はおろか虫すら居ない。向こう岸には花が咲いてるけど、こっちの岸には草も生えてないだろ?」
5人は改めて辺りを見回した。男の言う通りだ。
「いや、待った。そういや何日か前に、濁った水が流れてきたことがあったな……あれも初めて見た。いつもは川底がすぐ近くに見えるほど、澄んだ水が流れてるんだ」
「行こう」
「それ、どっちですか?」
逸る一行を見下ろしながら、男は渋い顔をして首を振った。
「ダメだ。危険すぎる」
抗議する子供たちに服を掴んで揺さぶられながら、男はまた首を振った。
「ここは三途の川だ。勝手させるわけには」
「なら、お兄さんが手伝ってよ」莉子の言葉に皆が頷き、そうだそうだと囃し立てる。唇を引き結んだ徹以外は。
「私たち、時間が無いんです」「時が止まっちゃう」
口々に言い立てながら、皆で男の服を掴み揺さぶっている。
「……お兄さんも、大人に頼めって言うんですか?」徹の固い声に、一同が静まった。
「大人はこんな話、信じやしない。いつだって仕事が忙しくて、それどころじゃないんだ」
「……私たちのところも、似たようなもの。もし信じたとしても、普段は仕事で家にいないからどうしようもないわ」
ハスミュラも概ね同意する。動ける大人たちは、普段は山のあちこちで、または里や村へ出て働いているのだ。
「私だって、怖いです。何があるかも、この先どうしたらいいのかもわからない。でも、私たちがやらなきゃいけない気がするんです。見なかったふりは、できません」
そういった由良の声は、まだ震えていた。斜めがけにしたバッグのストラップを、両手でギュッと握っている。
「由良……」
「だって、しょうがないじゃない。鏡を通ってこんなとこまで来ちゃったんだもん」
悲壮な顔で決意を語る由良を見て、男は深くため息をついた。
「しゃーない。着いておいで」
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