第28話 おじいちゃんの子守唄


 慣れた様子の母親と受付を通り過ぎる時、徹はひとり緊張していた。ここへは初めて来る。

「あら、お孫さん? 時生さん、喜ぶわねえ」とスタッフに声をかけられた時には、ずっと面会に来なかった罪悪感から居心地の悪い思いをした。


 徹がなんとなく想像していたより、施設は明るい雰囲気だった。あちこちで談笑したり手遊びをしている入居者や、静かに読書をしている老人、柔らかな笑顔を湛えて立ち働いているスタッフの中をすり抜け、時に曖昧に挨拶など返しながら廊下を進む。


「……おじいちゃん、俺のことわかるかなぁ」


 ぽつりと言葉が漏れた。本当はそれが怖かったのだ。

 多少ボケてしまったとしても、性格が別人みたいになってしまったとしても(そういうことはままあると聞いたことがあった)、おじいちゃんが自分を認識してくれるならそれで良かった。

 でももし、「お前など知らない」と言われたら……優しかったおじいちゃんが、肩車をしてくれたおじいちゃんが、子守唄を歌ってくれたおじいちゃんが……そう思うと、顔を合わせるのが怖かったのだ。


 母の温かい手が、ポンと肩に置かれる。肩を抱かれるような格好になり、少し気恥ずかしい。


「どうかしらねえ。だいぶボケちゃってるから……でも、会わずに後悔するよりは、ずっといいと思うよ。おじいちゃん、徹のこと可愛がってたもんねえ」




 結論から言えば、おじいちゃんは徹のことを忘れていなかった。


 徹を見るなり、「大きくなったな」「元気そうだ」と喜んで出迎えてくれた。徹が見舞いに来るというので、わざわざ着替えて首にお気に入りのスカーフを巻いて準備をしてくれていたそうだ。昔から、首にスカーフを巻くのは、おじいちゃんのとっておきのお洒落なのだ。

 ただ、最初は問題なかったのだが、話すうちに同じ話題を何度も繰り返したり、たまに徹と徹の父とを混同している様子が見られ、徹は少し悲しくなった。

 特に、「今、さきちゃんが『タケノコおいなり』作っとるから、後で食べよな」と頭を撫でてくれた時には、危うく泣きそうになった。

 おばあちゃんは、何年も前に亡くなっている。そのショックでおじいちゃんは体を壊し、さらにボケてしまって今ここに入所している。おじいちゃんは、そのことを時々忘れてしまうそうだ。


 おばあちゃんが生きていた頃、おじいちゃんはおばあちゃんを「さきちゃん」と呼び、甘く煮たタケノコを使った『タケノコおいなり』は幼い頃の徹の大好物だったのだ。


 涙が浮かぶ前に、徹は急いで袖口で目を擦った。まだ「じわっ」ときた程度だったから、おじいちゃんには見えていないはずだ。


「……徹は泣き虫の時でも、さきちゃんのおいなりは残さずに食べたもんなぁ」


 懐かしそうに笑うおじいちゃんに、徹は頑張って笑顔を作り、明るく言った。


「僕、もう中一だよ。泣いたりしないよ」

 おじいちゃんの前では「俺」と言うのは何となく憚られて、徹は「僕」で通すことにした。幸い、この部屋には二人きりだ。

 

「そうかぁ。中学生かぁ……立派になったなぁ」

 おじいちゃんが顔中を皺だらけにして笑うので、徹は「学生服を着てきておじいちゃんに見せてあげればよかった」と思った。学生服は好きじゃないけど、おじいちゃんがそれで喜ぶなら……


 また少し泣きそうになり、徹は急いで話を変えた。むしろ、本題はこっちなのだ。


「ねえおじいちゃん。『ハンザキ』って知ってる?」

「はんざき?」

「うん、ハンザキ。もしくはハナサキ……」


 急に話題が変わり、おじいちゃんは面食らった様子だったが、すぐに思い出してくれた。


「ハナサキ、ハンザキちゅうたら……あれよ。オオサンショウウオかいね。体の模様が花が咲いとるみたいだから『花咲』、身を半分に裂いても死なんほど強いけえ『ハンザキ』」



(やっぱり……)少しゾクゾクしながら、徹は今朝覚えた言葉を反芻してみた。



『火焔の如きハナサキ 淵に沈みし時、時の泉は枯れ果つる……』


  ハナサキがオオサンショウウオの事だとして、もともとそれは水の中に生息しているのだから、『淵に沈む』というのはおかしい……じゃあそれって、死ぬ時、ってこと?



「おお、よーく覚えとったなぁ。懐かしい。昔よく歌ったもんなぁ。懐かしいなぁ……」


 無意識だったが、徹は考えを口に出していたらしい。おじいちゃんが節をつけて歌い始めた。


「〽︎ おおきな水辺のぬし、おおいなる時を超え山へ潜る……赤と緑のほし、その光失いて時は止まる……裏と表、陽と陰 重なり合いて時を繋ぐ……」


 鼻歌のように覚束なげに始まった歌が、だんだん確信めいた歌い方に変わり、最後には徹も聞き覚えのある子守唄になっていた。昔、おじいちゃんに歌ってもらった子守唄だ。


「……あ~、時の泉ふたたび満ち……えーっと、なんだったかなぁ……」


「おじいちゃん、それ子守唄だよね? 続きは? 続きはなんていうの?」


 徹の剣幕を気にもせず、おじいちゃんは腕組みして目を閉じ唸っている。


「父さんが作った言うとったんだがなぁ……時の……あー、なんだ~、黄金? そう、黄金がなんとかち……うんん…」



 こらえきれず、徹はおじいちゃんの膝を揺さぶった。


「おじいちゃん、その歌、ひいじいちゃんが作ったの?」

「んあ? 徹、徹か。おお久しぶり、大きくなったなぁ」


 出会いの場面に戻ってしまったおじいちゃんが、両腕を伸ばし徹を抱きかかえた。子供の頃と比べて随分背も伸びているのに、昔の様に徹の頭を撫でながら、自然な動作で膝枕をする。一瞬戸惑った徹だったが、おじいちゃんが嬉しそうに微笑んでいるので、抵抗せずに従った。


 おじいちゃんは徹の腕のあたりを柔らかく叩きながら、優しい声で子守唄を歌う。徹はそれを聞きながら、考えていた。


─── 水辺のぬし、赤と緑の星、裏と表、陽と陰、時の泉……ひいおじいちゃんの生きてた頃って……




 気づくと子守唄は止んでいた。見上げると、おじいちゃんはソファの背もたれに頭を預け、気持ちよさそうに眠っていた。そっと身を起こし、母親を呼びに行く。おじいちゃんの寝顔は幸せそうで、口元に微笑みが残っていた。


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